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ピレネーで危機一髪

90年代にパリに住んでいた当時の話をするとき、家族で必ず話題にあがる「十八番」のエピソードがある。

家族で夏の休暇に南フランスを旅行していたときのこと。ピレネー山脈を車で旅していたのだが、ある日、山道の下り坂を走っていたとき、突然車のブレーキが効かなくなったのだ。

「ブレーキが効かない」「えっ……!」
そのとき車には、わたしたち家族4人と母の親しい友人のおばさんと5人で乗っていた。ざわざわしだす大人たちの不穏な会話を聞きながら、わたしと姉はいつになくわくわくしていた。

「え!何が起きたの?それってどういうこと?」
子どもってすごいなと思うのだけど、大人たちが困っている様子が妙におかしくて、予想外のハプニングに姉とふたりで無邪気に盛りあがっていたことを覚えている。

あのとき、まったく死ぬ気がしなかったし、恐ろしい事態を怖がるほどの想像力もなかったのだ。

幸いなことに、車通りが少なく、フランスはマニュアル車なのとスピードも出していなかったので、くねくね道をくだりながら両脇の砂利道にタイヤを滑らせるようにして、少しずつスピードを落としていって、車を止めることができた。こういうときにも冗談のひとつやふたつは言えるほど冷静だった父の運転のおかげで、危機一髪、全員助かった。

その後は、まだ携帯もスマホもない時代である。電話ですぐに助けを呼べないので、家族みんな車から降りて全身でSOS!

人生初のヒッチハイク体験。
車が故障したので助けてほしい、というのを、道行く車に合図をするのだが、控えめに手をあげる父を見かねて、ブンブン両手をあげてアピールする大胆な母!そんな母をみて、げらげら笑い転げる娘たちと、母を真似してちょっと恥ずかしそうに両手をあげるおばさん。

しばらくすると、体を張った母のおかげで、通りかかったレッカー車が止まってくれて、車も家族も近くの町まで送ってもらえることになった。今までで唯一、トラックの助手席に乗せてもらえたのがこの日のことだ。

あの絶対絶命のアクシデントは何だったんだろう。こうして何度も思い出す家族のドラマチックな出来事として刻まれているのは、わたしがたった5歳の怖いもの知らずな女の子だったからだなぁと思う。


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