見出し画像

5歳のわたしは、フランスに恋をした。

わたしの人生に、突然フランスが登場したのは、
保育園の年長さんにあたる、5歳の春だった。

大学教授をしている父のサバティカル(研究休暇)で、家族で一年間フランスのパリに住むことになったのだ。
初めての飛行機、初めての外国、初めての外国語…。それが、わたしにとってはこのときの経験だった。

自分が保育園に通う子どもの母親になった今、
もし子どもが親の都合で、住み慣れた町や、大好きな友達と離れることになったら、かわいそうだなと思う。

けれど、振り返ってみると、当時のわたしは、
そのまま通っている保育園の年長さんにはならないと言われたとき、“ちょっと特別なわたし”がうれしかったのを覚えている。
想像もつかない知らない場所で新しい生活がはじまることに、子どもながらにワクワクしていたのだ。

-

幼い頃の記憶は、あまり鮮明に覚えていない方だ。

たとえば、わたしの夫はとても記憶力がいい。
頭の中にカメラがあって、一度歩いた町の風景を
しっかりとシャッターに収めているのではないかと思う。昔はここは何のお店だったとか、とてもよく覚えているのだ。

それに比べてわたしは、覚えている保育園の友達の名前もひとり。あべみかちゃん。どのくらい仲がよかったのかも覚えていない。
ほんのり香りのついたサンリオのティッシュペーパーをみんなで交換しあったっけ、とか。
いつだったか、愛知のおばあちゃんちに姉とふたりで預けられて、両親がベトナム旅行に行ったことがあったな、とか。
おばあちゃんちの近くにあった恐竜公園や、流れるプールとか。
そのくらいのことしか記憶にない。

-

そんな乏しい記憶力のわたしでも、
いいもわるいも何もわからなかったあの頃、
子ども時代の一年間をフランスで過ごしたことは
自分の原点として、ずっと心の中でいきつづけている。

わたしはわたし、あなたはあなた。
多様な価値観があたりまえの社会とか、
何歳になっても人生を謳歌する国民性とか、
自分の意見をもつことと伝えることの大切さとか、
あとは、美味しいものへの貪欲さも(笑)

帰国後も、フランスに両親の友人家族もいたので、数年に一度は、家族でフランスに旅行に行くことがあった。当時は両親ともに忙しく働いていて、あまり家族で出かけることもなかったけれど、そんなわけで、フランスには家族とのあたたかで愉快な思い出がたくさんあるのだ。

中学生からはフランス語会話を習いはじめたわたしは(母のかつての恩師で、フランスの大学で教授法FLEの資格をとった日本人女性の先生の自宅レッスンに通っていた)、大学では迷わず仏文科にすすみ、交換留学でふたたび一年間パリ暮らしを叶えた。

会社員になってからも、年に一度の休暇は、フランスの友人宅に遊びに行ったりと、なんだかんだ2~3年に一度は渡仏するような暮らしをずっと続けてきたので、自分にとっては第二の故郷のような、つかず離れずのような存在。

そんななか、突然のコロナと物価高円安。
今は小さな子どもたちも生まれて、
自分の気まぐれだけでは、ひとっ飛びができなくなってしまったけれど、何かに悩んだり、先が見えないような気持ちになるとき、
いつだって思い出すのは、フランスの友人たちにもらった言葉だ。

パリの素敵なお店とか、おしゃれなパリジェンヌとか、そういう煌びやかなフランスのイメージとは一味違う、もっと人間臭くて、雑多で、庶民的なもの。だけど、深い愛のあるもの。
なかなかフランスに行けない今なので、
わたしの目に映る「フランス」を少しずつ、言葉にしていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?