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何度でも立ち上がれるように

小学校5年生の時のことだ。
クリスマスに近いある日、天王寺にあるYMCAから帰ろうとしていた。習い事の英会話が終わったのだ。
当時の天王寺駅周辺はキャバレーが立ち並び、お世辞にもガラのいい街と言える場所じゃなかった。

私は赤と白のサンタの帽子を被っていた。
クリスマスが近くて浮かれていたのだと思う。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいな、という気持ちでサンタクロースの帽子をかぶっていた。

もうすぐ駅に着く、というところで誰かが私の手を握った。
振り向くとだらしなく汚い服を着た背の低いおじさんが、ゲヘヘと笑いながら私の腕を握っていた。
え?と思う間もなく、私はその知らないおじさんにキャバレーのある通りに引っ張られ、2軒ほどキャバレーの裏口を通り過ぎたところで、おじさんは立ち止まった。
私の足元には、誰かの吐瀉物が落ちていて、目を上げると使い古されたタオルが放射状に広がるハンガーに干されていた。
その吐瀉物を見て突然自分に迫る大きな危険を感じ、おじさんの手を振り払ってダーッと駅まで走った。後ろを振り返っちゃいけない、と思った。

天王寺駅の改札を過ぎて谷町線のホームに着くと、体が震えた。
何が起こったのか幼くてあまり分からなかったけど、危険が迫っていたことははっきりと理解できた。
駅の中までは来ないよね?お金いるもんね?
誰かに助けて欲しかったし、一刻も早く家に帰りたかった。
けれど助けを求めるにもホームにはひと気がなく、もどかしく電車を待った。

ようやく来た電車に飛び乗り、ひと安心できるかと思いきや、私を待っていたのは期待していたものとは全く違った。

電車の中には無数の“知らない”おじさんが乗っていたのだ。
スーツを着た人、若い人、髭を生やした人…。
10歳の私にはどの人が“いいおじさん”でどの人が“悪いおじさん”なのか、判断がつかなかった。
「助けてください」
と言おうと思っていた私の小さな勇気は打ち砕かれ、涙を堪えながら、背中をドアにぴったりつけて全員を睨め付けるように自分の身を守った。

最寄駅に着くと公衆電話で兄に駅まで迎えに来てもらった。
「どうしたん?」
と聞く兄に
「知らないおじさんが…知らないおじさんが…」
そこまで言っただけで、一気に涙が溢れ、わんわんと泣いた。
私の言葉を最後まで聞けなかった兄はもっと大きなことが起こったと勘違いしたようで、ハッとした表情の後で涙を滲ませながら
「くっそーーーーーーー!!!!!!」
と駅で大声を出し、地団駄を踏んだ。
「くっそー!くっそー!!!」

勘違いしてる!

「何もされなかった」と誤解を解かなくてはと思ったけれど、「何もされなかった」の「何」って何?
「何もなかった」のに怖い思いをしたって、どう説明すればいいのだろう?

私は黙ったまま兄と手を繋いで家に帰った。
家に帰ってからも、両親には話せなかった。

17歳の時、JR環状線で痴漢にあった。
どこかの駅(それも天王寺付近だったと思う)に着いた瞬間、ドア付近に立っていた私の両胸を、誰かがギューっと掴んだ。
あ!
と思った時にはもう、たくさんの人が降りる波にその手の持ち主も飲み込まれていった。
あの時感じた行き場のない気持ちを「傷ついた」と表現できるようになったのは何年も後のことだった。
このことも今でも両親に話していない。


昨今の小児性愛的な事件やいじめ、性的虐待の記事を目にすると、犯人に対するとてつもない怒りが湧いてくる。
犯人許さざるべし。死刑または無期懲役。
怒りと悲しみが私を覆い尽くす。

けれど、もし自分の子どもに起こったら?
知ってる子どもたちの誰かに、起こったら?
その子どもたちはこれから長い長い人生を生きていかなければいけない。
子どもには卑劣な犯人に屈することなく、その後の人生も謳歌してほしい。
私は彼ら・彼女らにかける適切な言葉を持っているだろうか。

どうして私は両親に話せなかったのだろう。
私は何に躊躇していたんだろう。

正しい対処法を知りたかった私は、去年末にCAPプログラム(子どもへの暴力防止プログラム)を受けた。
初日はおっかなびっくり、嫌になったら帰ろうと後ろ向きな気持ちだったけれど、性被害ワンストップセンターや児童保護施設、役所などで働くソーシャルワーカーの人たちが日本中から受けに来ていて、頼もしかった。
3日間の講座を通して、暴力に対する知識と実践をたくさん学んだ。

そのなかに今も反芻する言葉がある。
「子どもが生きやすい社会というのは、みんなにとって生きやすいということなんです。私たちはそれを身をもって知っていますよね。障害者のためにバリアフリーが叫ばれた時、反対の声がたくさん挙がりました。でも今は誰もがエレベーターやスロープに助けてもらってますよね」

私たちはずーっと強くは生きていけない。
心が弱ったり病気になったり、傷ついたり悲しんだり、つまづきながら生きている。
ソーシャルワーカーがいなくても、助け合いながら立ち上がれるように、誰かを助ける方法を、世界を切り拓く方法を、現代をサバイブするための「生きるスキル」を、子どもと一緒に学ばなければならない。

子どもたちに口をつぐませては、いけないのだ。


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