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私が望んでいる私はどんな人間か。

私は究極に自由になりたいに人間なんだ
の一言に尽きる。

物質的にも、精神的にも、環境も、魂の成長にも。
自分に制限がかかっているということが、たまらなく嫌。

そのためにも、依存型から自立型に変化させるということが必須だった。
誰かに自分の人生を歩いてもらおうとしていては永遠に自由は手に入らない。

「誰か助けて、そばにいて」

これが昔の私のベースだった。
男の人に対しても、自分を守ってくれる人を探していたし、自分を成長させてくれるような人を探していたし。
しかし、どんなに素敵な人でも大好きな人でさえ
いつもだんだんどこか頭の片隅に

「このままこの人といると自分が思うように生きれなくなるな」

という想いが頭の中をよぎる。

相手の意見が気になったなり、ご機嫌が気になったり。
どんどん自分の本心に正直で生きれなくなってくる。
依存していると頑張らなくていいと思えるけれど
実際は他人のご機嫌とりに一生懸命にならなければならない。
自分を中心にでなく、相手を中心に動かざるを得ない。

このまま続ける?それとも抜ける?というような人生の大きな岐路が目の前に出てきた時に私が必要だったのは
「決断」「勇気」だった。
この決断と勇気のおかげで私は一筋の光が道となって
奇跡のような現実を手にしたことがある。

もちろん、依存的な自分に居心地が悪かったから私は脱脚を選択したわけで。
そこに居心地の良さをい感じている人は抜けなくてもいいと思う。
とことんその環境を味わうべきだ。
自由には責任がついてくる。
自立するということは自分の人生・選択に全責任を自分で持つということ。
それは今まで依存して生きてきた人には怖いと感じてしまうことかもしれない。

私は勇気を出してよかったと思う。
あの時の大きな一歩が私に自信を与えて、その後の勇気の一歩の積み重ねがまた私に自信を持たせてくれた。

本当は違う事を書く予定だったのに、こんな話になってしまった。
それもまた必要なことだったのかもしれないな。
これからも小分けして、私の哲学を記してゆこうと思います。
哲学といっても大したことはない。
ホント当たり前のことで。
しかし、その当たり前のことが真理であり道理なんだと悟った。

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