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理想が高いことに気づく

好きな人の好みの話じゃないです。
いや、実際好きな人に対しての理想が高いから恋人ができな…ごにょごにょ…

とまぁそんなことはどうだってよくて!(ムキ)1月が終わろうとしていますね。年始にたてた目標の進捗はどうですか?

え、毎日○○やろうと思ってたけどできてない?
え、これぐらいできるだろうとたかをくくってた目標が全く手についてない?

わかる〜〜〜〜〜

私は毎日40分だけ英語を勉強するという目標を31日間達成することができましたが、やはり何事も継続するというのは気合いと根性が必要ですね…!

「継続は力なり」って言葉は間違いなくて、何かを継続するってこと自体がめっちゃ大変だからそれだけで継続することに対して付いて来るいろんな力がつくよなぁと思いました。

「え、なんて?」「これいくら?」「それめっちゃかわいいやん!他のないの?」「違うそれはいらんねん」「あーわかったそれな!ありがとう!」と関西弁でごり押ししていた海外での買い付けの時に(意外に通じるから逆に困る)ちゃんと英語で会話ができるようになりたいという熱い気持ちを無くさないように地道に頑張ろうと思います。
ちなみに私は10年以上東京にいるのに標準語が一切喋れないので(イントネーション難しすぎ案件)、英語が喋れるようになるのかは謎です。
が、がんばる。



さて、うちのアトリエでは今年から毎月「今月の目標」を書くようにしています。

1、理想的な目標
1’、目標を達成させるためにやるべきこと
2、最低限成し遂げたい目標(絶対にできる目標)
2’、目標を達成させるためにやるべきこと

私は自分に甘々なので、小さなことでもいいから達成感を感じたいのさと思い、こういう目標の立て方をしてみることにしました。

実際、2の最低限成し遂げたい目標なんてのは「金曜日にパソコンの画面拭く」とかほんまどうでもいいけど綺麗にして仕事環境をクリーンにしておくにこしたことないというこれは絶対できるやろっていう目標だったりします。ちゃんと達成できたらこんなちっちゃい目標でも嬉しいし、私偉いわ〜生きてる価値あるわ〜と謎の自尊心を高められます。(自画自賛、褒めて伸びるタイプ)

しかし若いスタッフの目標を見てて気づいたのですが、目標の立て方がエベレスト級に意識高い。そして1個でいいのにめっちゃ個数ある。

え、ほんまこれ今月中に達成するの難しすぎるやろ。っていうか最低限成し遂げたい目標すらモンドリアンの絵ぐらい抽象的でモンゴルの草原ぐらい壮大すぎる。


1月初めに書いた目標を見て、1ヶ月経ったらどう思うかも聞いてみたいし一旦このままでいいかと何も言わず見守ってみました。

今日1人と面談してみたら、やはり何が達成できて何が達成できてないかが自分でもわからないと。全然達成できてない。とのことでした。

ということでもしかして「目標を書く」という行為自体が何かこうめちゃくちゃ重いことだと捉えているのかな?と思いました。
そしてあれもできないこれもできない今の私はあれもできるようにならなきゃこれもできるようにならなきゃみたいな焦りと必死さが伝わって来ました。

私的には何かができるようになった時って簡単なことは自分で気づけても、大きなことって自分で気づけないことがほとんどで、誰かからこれできるようになったね頑張ったねって褒められてはじめてあ!私これができるようになったのか!って思えることってよくあるよなぁってことで、みんなが何を目標にしてるのか知りたいわ、そしたらそれを集中的にできるような作業が振れるし、できるようになった時に褒めてあげられるし◎と思って目標を書いてねってことで始めたのですが、思ってたのと違う感じでモンドリアンな感じで返って来たので、マジか、理想が高すぎるぜ。となったという話です。

大きな目標を持つことはとても大事なことですが、まずそれを達成するために必要なことというのが割とたくさんあったりします。

そしてその小さなことを達成するのも割と大変なことだったりします。

なので小さなことを達成するということに対して、なぜか「これしか達成できなかったと、まだまだダメだ。もっとがんばらなきゃ。」という追い込むスタイルになってしまう子が多いのですが、そうではなく、「私これ達成できた!順調!」という成功体験に変えていってほしいなと思いました。

使命感に溢れた内容や義務的になればなるほど目標って嫌なものになるし、めんどくさいし、やりたくなくなるし、「好き、知りたい、やってみたい」がないと続かないと思うし、チャレンジのし甲斐がないので、好奇心に溢れた内容になってくるとどんどん達成するのが楽しくなってきていい効果が出るんじゃないかな。

やっぱりやってみて失敗して原因を理解してまたやってみて成功してもう一度やってみたら失敗して改めて悪い点をやり直して成功してを繰り返していかない限り、自分ができるようになりたい!と思うことってそう簡単にはできないと思うので、目標を立てる際に、最初から成功を目指すようなものを書くのではなく、失敗覚悟でやってみたい!チャレンジしたい!という内容にするといいのかなと思います。

あと抽象的になりがちなキーワードで多発するのが「きちんと考える」「しっかりがんばる」「丁寧にやる」「柔軟に取り組む」みたいなそれができたかできてないかはどこで判断したらいいの?という内容ですが、そういった目標はやめて、具体的に時間制限だったり数を決めると目指すべき方向が明確になりやすいと思っています。
例えば「毎日必ず5分間この作業をする」とかゲーム感覚で「この作業を1時間以内に終わらせられるようにする。できるようになれば次は50分以内に。」とか「1日1こ小道具の名前を調べて覚える」とか。数の設定も無理しないで少ない数でいいと思います。「毎日1時間この作業をする」とか設定しても絶対に続かないし。

だんだんそういうわかりやすい目標が達成できるようになってきたら、「きちんと考える」とか「しっかりがんばる」とかそういうものがもっと明確な言葉で示せるようになってくると思います。

というわけで、「目標を立てる」というのは立派なことじゃなくても全然いいのだよ、今の自分を客観的にみて、まず一番直近で自分には何が必要なのかを考えて、やってみたい頑張りたいと思えそうなことで、ほんの少しずつでいいから確実にこの範囲ならできると思えるような具体的な内容を確実にクリアしていけることほど偉いことはないよ。

私!理想高すぎたかも!と気づいてもらえたら嬉しいですな。


確かに私も20代前半の頃はなんでこんなこともできないんだーーーー!!って自分に苛立ったりして、できもしないことを掲げたりして自分の足元を見てなかったし、大人になってそういう「自分全然できてないもっともっと頑張らなきゃ」メンタルが健康を害するということにも気づいたから今こういう考えができるようになったというのもあるなぁと思いました。

お仕事をしていく上で、人から言われたことだけをやるんじゃなくて、それぞれに目標をもって自発的に取り組んでいけるような、相乗効果でできることがどんどん増えていけるような遠藤組をいいチームにしていきたいなぁどうしたらいいかなぁと毎日考えている遠藤でした。

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