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『シダネルとマルタン展』

シダネルとマルタン展』
SOMPO美術館



印象派って聞くとモネ、ルノワール、ドガって感じの有名どころが表に出がちやけど、「他にもめちゃくちゃいい絵描いてる人たちいるやろ?発掘しよ」っと思って色々調べてた時に、この人たちいい感じや!と思ったのがギヨネ、フリージキー、そしてシダネルでした。


そんなタイミングで本展が開催されることを知ったので、お、これは運命やな?とシンパシー感じたので一時期遠藤の携帯待受はシダネルの「夕暮の小卓」(1921)でした。とても美しい絵。なんとこれ大原美術館にある。いつか見にいきたい。(ちなみに今の待ち受けは清方先生の描いた娘道成寺の白拍子花子)



調べた段階で、シダネルの描いた作品が好きやな〜と思った理由が、「人は描かれてないんやけど、そこに人の息遣いが感じられる」っていう点です。これ日本美術では【留守模様】っていう表現方法で、人を描かずにアトリビュートみたいなのだけ描いてその人を表してみたり、何秒か前までそこに人がいた形跡だけを描いて不在の中の在を表現するってやつで、その趣がたまらんぐっとくる。直接的ではなく、「感じさせる」っていうのがなんとも日本人らしい美意識やと思ってるんやけど、シダネルの作品にはまさにそれが表現されてる。


ちなみに塩田千春さんやクリスチャン・ボルタンスキーが表現する不在の在に関してはとてもヘビーな背景があるので遠藤的にも「うぉぉおっ…重い…しかし受け止めねば…くっ…」と精神持っていかれる系で大変疲労するのですが、シダネルの不在は「みんなでディナー、楽しかったな〜♡」といったみんなが帰ったあとも残る幸福感みたいな、そう、超ウルトラ平和を表している!!!!!!!!ありがとう!!!!!!!好き!!!!!!!!



というわけで、よ〜し今日はほわわわ〜ん♡になるで〜という気持ちで見に行って参りました。



少しだけ象徴主義に影響を受けてた時の作品もあったのですが、それら数点を見てなるほど納得。遠藤がシダネルのことが好きなんは、単に印象派のようにただ目に見えている美しいものを描いているというよりはそこに加えて象徴主義のような幻想さや神秘性があるからやということに気づきました。

中でも川面に浮かぶ一艘の船に乗るウェディングドレスを身に纏った女性が描かれた『モントルイユ=ベレー、朝』(1896)が素晴らしかったです。妹の幸せを願う気持ちと朝やけのキラキラした美しい光が重ねられてるそうで、静謐な中にも希望や深い愛が感じられてその美しさに心がラブで満たされました。

象徴主義といえば終末思想漂うなんかやばいメンタルの作品が多い中で(失礼)シダネルの表現は徹底して温かい。色は暗いのも多いけど、お店のウィンドーに灯る明かりとか見てると人の営みを感じてほっこりする。

シダネルは時代の流れと共に画風の変化はあれど、表現したいムードみたいなのはブレずに一貫してる気がしてて、そういう面から見ても象徴主義にも印象派にもカテゴライズされる人ではないんやなぁと思いました。

対してお友達のマルタンは薔薇十字展に出展してたみたいで、最近この薔薇十字展に遠藤は夢中なのでおっ♡と思いました。


そしてモネがお庭を作ったことを筆頭に、20世紀初頭になってくると画家たちはモネに憧れて自分達のオリジナル庭を作ってそこで絵を描くのがブームになったんやけど、もれなくシダネルもマルタンもお気に入りの場所に移り住み、『俺の庭』を作ります。えぇなぁ。

これ、普通に考えてチームお金持ちしか無理なやつやと思うのですが、ちょうどシダネルとマルタンの時代になってくると【印象派】が世間から認められるようになってヨーロッパはもちろんアメリカでの評価も目覚ましく、マルタンなんかは国のお仕事もたくさん任せてもらえたりして(快挙)、きちんと生きてる間に売れることができたという時代の変化も感じられてぐっときました。先人ありがとう案件や。


で、遠藤がシダネルの作品ですごく好きなのが、そんな『俺の庭』が作られたジェルブロワというフランス北方の小さな村で描かれた『食卓シリーズ』です。

ちなみにこの村、『フランスで最も美しい村の1つ』と言われてるんやけど、シダネルが「この村、薔薇で埋め尽くさへん?」って街の人たちに声かけたら賛同してもらえたのがきっかけで、今でも季節になると村中が薔薇で咲き乱れるそうです。はぁ。うっとり。最高やん。

そんなジェルブロワで描かれた絵の多くが、夕暮れや月が輝く夜、庭先やテラスに置かれたテーブルに果物やお皿、ポットなんかが置かれ、椅子にはかわいい花束が。もちろん人は描かれていません。これら不在の表現がほんまにほんまに美しい。シダネルの絵には全体的にモヤみたいなのがかかってるようなぼややや〜んとしたものも感じるんやけど、それがより幻想さを増している要因な気もします。

食卓シリーズの中で『ジェルブロワ、テラスの食卓』(1930)が本展では見れますが、テーブルに置かれたワインが夕暮れの太陽の光に反射してんにゃろか。キラキラしててほわ〜♡ってなります。むこ〜うの方にもパステルカラーで描かれた花畑みたいなのが見えて、はわ〜♡ってなります。(ちゃんと感想を書け)

よく海外旅行インスタグラマーの写真で、景色のいいホテルのテラスのテーブルで朝ごはんとか食べてるやつとかありますが、そういう「どうや?ええやろ?綺麗やろ?!羨ましいやろ!?!?」みたいなドヤは一切なく、「日常の中の美しい一コマやで…♡みんなにもお裾分けや…♡キラキラキラキラ…」みたいな感じ(説明の仕方に悪意がありすぎるごめんw)



そんな感じで念願のシダネルの十八番作品を実際に見て、その不在の中の在の美しさを感じることができて大満足だったのですが、最後、ヴェルサイユに住まいを移した時にヴェルサイユ宮殿のお庭を描いたシリーズもしっかり数点展示してくださってたのですが、その中の1作品「ヴェルサイユ、月夜」(1929)がもうほっっっっっっんとうに美しかった!!!!!!!!!!!!!!!足がこの絵の前で止まって動けへんくなってしまうほど!!!!!!!!!!!何もかも、いろんなものが浄化された!!!!!!!!!!!!心の中を月の光が温かく照らし出してくれるような!!!!!美術館にいるはずなのに、ヴェルサイユ宮殿のお庭に立っているような!!!!!見過ごしてしまうような目の前にある生命の!そして自然の圧倒的な美しさに!気付かせてくれる!これがシダネルの絵なんや!!!!!!!!!!!と遠藤心の中で感動の嵐!!!!!!(うるさい)

いやほんまに感動したわ。


というわけで、シダネルもマルタンも認知度低いけど、ええ絵描かはる人らやってことが今回の展示で十二分に感じることができたので、大収穫でした(マルタンの感想全然書いてへんけどw)。

あと、今回の出展作品の多くが「個人蔵」やったんやけど、この展示の担当者の方、1作品ずつ探して交渉して持ってきてくれはったん大変やったやろなぁ〜って感じたので、シダネルの作品をまとまって見れる機会ってなかなか無いと思うしほんまありがたいなぁって思った。

それから、こういうまだまだ知らない素晴らしい芸術家がいるということを気づかせてくれた本展ですが、美術史を学んでいく上で私たちが知ってることは事の一端でしかないし、知らないところに眠っている事実がたくさんあるということを忘れずにいたいなと思いました。


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