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【私】

こんばんは。
亜裕美です。

今日は、自分の写真に書を合わせていただいたお話です。


Twitterでのご縁で素敵な作品を

Twitterで、ある企画で、書道家のこぱさんに、写真一枚に書を入れていただきました。

昨年12月に、MAGICAL!というエンターテインメントショーに出させていただいたご縁で、菅沼萌恵さんの呟きで知り、ご一緒に活動する、黒咲ちよこさんのnoteにも紹介されていて、とっても素敵だなぁと。(お二人のブログやnoteがとっても楽しみで読ませていただいています。リンクでとべるので、ぜひ。)勇気を出して、はじめましてだったこぱさんに、私もぜひ!と、写真を送ったところ、素敵な言葉を載せていただき、それがものすごく嬉しかったのです。



誰にも
似たくないの。
あなたの瞳には
どんな私がいる?



わたしらしいことば

【わたしらしい】というと、なんか、あれなんんですが、「あ。すごく、今の自分」という、くすぐったくてうれしい私がいました。こぱさん、素敵な言葉を添えてくださいってありがとうございます。


書を載せていただく。と思って写真を探したとき、漁るのではなく、この写真がいい!と、直感で送らせていただきました。自分の顔が映っているものは、なんか違うなぁ。って。飾り気のない自分が好きな一瞬を切り取ってもらった写真。これ、面白いなって。好きだったんだけど、文字通り眠っていた写真でした。どちらかというと、あまり意識をしたことはなかったけれど、表に出るのは、はっきり顔が映っている写真だったなぁ。




誰にも似たくないの

すごく、そうだ。
もともと、人に合わせるのは苦手な私。我が道を突っ走って、知らないうちに周囲を振り回すのが得意で、逆に、上がうだうだ方針を示してくれなかったり、割に合わなかったり、妥協点を探すにしても権力を振りかざされるようなのは嫌い。組織に振り回されるのは本当に、疲れてしまう。わがまま。こども。ってよく言われます。


逆に、自分自身が好きな自分でいられるときには、突っ走る。好きな人の行動を見て、ああ、そうか。いいな。じゃあ、私は、私だったらこうしてみたいから、このエッセンスを少し参考にさせていただきます。みたいな。


いろいろ、模索しながら前を向いて、だれにも指図されず、やりたいことをやっている。そんな私に、人は、「あなたはいったいなにをめざしているの?」と不思議がる。自分自身、「そうだねー、いろいろ手出しすぎているように見えるもんね、わはは。」って返す。


私自身が、目指しているものに対して無駄なことをしているなんて毛頭ないし、脱線しているとも思わない。だけど、人は、なんか、脱線していると指摘するのが好きだ。あなたは何をしたいの?って質問するのが好きだ。それと、私は、割と、冷めているから、わかってほしいとか、共有したいって思わない。だって、あなたの本当の気持ちは私には理解できないし、あなたも私のことなんてわかるわけないでしょう?

人には、その目の数だけ、一つのものに対する感性が違うと思っている。その目にどう映っているか、興味はあるし、全てにおいてそうというわけではないけれど、どう映っているかわからないのが面白い。

逆に、どう映っているのか、普通に聞きたい。自己中なんだろうなぁ。とか、思っていたのと違った。とか、ギャップがありすぎる。とか、頑固。とか。

知らないうちに、それを、自分の言葉で、見たままを伝えてくれるような人が、距離ができにくく、話していていいなぁと思う。人がどう見えているか、教える。教えてもらえる。その中に、再発見があったりするのだ。


あなたの瞳には
どんな私がいる?




言葉に自信をもらった

このデータをいただいた時、

「そうそう!あー。そうだよな。うんうん」

って思った。いまのわたしにぴったり。好きと思っていた、眠っていた写真に添えられていただいた言葉は、今の自分を肯定してくれているような感じがして、自信がわいた。

あれだ、根拠のない自信。もとから持っているやつ。でも、なんだろう。私の勝手な感覚だけど、ヒトへの肯定否定ってあまり必要性を感じないって思っている。だから、そう考えている私が、肯定されたって、ほっとしているような。都合がいいのね、私。


シンプルに、背中を押してもらっているような。あなたはこう見えているのよ、どう?って言われてるような気持ちになりました。


SNSは一つの表現の場だと思っているけれど、知らない人に知ってもらえるいい場所。だけど、私はこういう人です!って文字で写真でさらすって、全部見せるって、なかなか難しいし、疲れるし、そんな必要あるのかなぁとも思ってしまう。相反する感じ。矛盾。だけどね、これをお守り代わりにヘッダーに設定したら、なんだか、それもいいじゃない。って思えたんだ。




人に見える自分と今の自分

意識しないように、とか、そんなに関係ない、とか思っていても、やっぱり、ある程度気にしなきゃいけない自分の見え方。人が作り上げたイメージに対して、今の自分に求められることは、ギャップを感じることだってある。

それに悩むのもたまには楽しい、でも、この言葉で一掃できる気がする。


誰にも
似たくないの。
あなたの瞳には
どんな私がいる?






最後まで読んでくれてありがとう。

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