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【発達障害と診断されるまで~精神科閉鎖病棟入院】

 それまでかかっていた精神科は入院病床のないクリニックだったので、当時国立の総合病院の精神科を紹介してもらい、入院することになりました。

 当時息子氏はまだ1歳半。関係が良好ではないので一番預けたくなかった私の実家に預かってもらい、旦那氏が仕事が終わったら実家に毎晩通ってくれました。

 早く治して退院したい私は、主治医を見つけるたびに早く治してほしいと噛みつきました(笑)しかし、通っていた精神科がヤブ医者だったため「まずはそれまで飲んでいた薬を抜く必要がある」というところから治療が始まりました。そして、刺激になるからということで、息子氏との面会禁止。これが一番きつかったです。

 投薬が始まっても、「生きていることは迷惑でしかない」という気持ちはそう簡単に抜けることはありませんでした。だから余計に早く治りたくて焦る。焦るから「早く退院したい」と懇願する。焦っている間はまだまだうつの魔物に憑りつかれているので到底退院にはならない。そんな繰り返しでした。

 治療効果が上がらないので、薬の量はどんどん増えていきました。最近ではあまり耳にしない「三環系抗うつ薬」を「最大量」処方されていました。ほかにも、抗不安薬や睡眠薬も飲んでいました。

 主治医の診察ではいつも、
「100点満点じゃなくてもいいんです。70点80点でも充分です。」
と言われていました。

が、私にはこの意味が全く理解できませんでした。

 発達障害には、認知の特性の一つとして「全か無か」「0か100か」の両極思考があります。
 今ならそのせいだと分かるのですが、物心ついた時からその偏った認知でずっと生きてきたので、「70点でもいい」と言われても、本当に意味が分からなかったのです。
「残りの30点を放置しておいていいわけがない」
 本気でそう思っていました。今でも、精神状態が落ち込んでいると、その考えに頭が自動的に占領されてしまいます。意識的に、でなければ理解しようということも難しいのです。発達障害の特性は遺伝子に染み込んだものなのだと思います。
 当時は発達障害のことを全く知りませんでしたし、自分がそうだとは微塵も思っていませんでした。ただただ、自分が軟弱で努力が足りないのだと思っていました。

 いつしか入院というぬるま湯生活が居心地良く感じるようになり、世間の荒波に戻ることが恐ろしくなっていました。

 とはいっても、息子氏が待っている。
 その思いだけで何とか「70点でも良いことになっているらしい」と思い込み、抗うつ薬と睡眠薬があれば食べれるし眠れるから大丈夫と自分に言い聞かせ、退院することになりました。

 入院から半年が過ぎていました。うつ病の入院は長くても3か月程度が通常なのだそうですが、いろいろありすぎて半年になりました。

 続きはまた次回^^

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)



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