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【発達障害と診断されるまで~高校での挫折】

 高校は、家から比較的近い、そこそこのレベルの進学校に進みました。親がそこしか考えておらず、私には高校を選択する権利がありませんでした。私は商業高校に行きたかったのですけどね。

 入った高校は県内の中学校のそこそこ賢い人たちの集まる高校で、私はあっという間に底辺に落ち、挫折を味わいました。それまでは勉強でそんなに分からないと思ったことがなかったのに、高校に入った途端、先生が何を言っているのかさっぱり理解できませんでした。

 どんくさくて勉強もイマイチでクソ真面目な高校生をからかう同級生というのはどこの世界にもいて、キラキラして同級生たちとは仲良くなれないままの3年間でした。

 そんなやさぐれていた頃、成り行き?というか半ば強制で(笑)生徒会役員になりました。中学のいじめで男子恐怖症になっていましたが、気の合う心優しい男子たちと出会えたお蔭で、男子恐怖症が改善されました。そして、高校生活に後悔しかなかった私は、生徒会室が居場所となりました。居場所があったことは私にとって大きな心の支えだったと思います。

 当時の生徒会仲間たちとは、高校を卒業して、大人になってからも割とよく集まっています。おじさんおばさんになった今でも、SNSで繋がっていて、頻繁に会えるわけではありませんが、心は繋がっている気がします。

 そんな進学校だったのですが、私は地元の短大を第一志望にして進学しました。短大は滑り止めでしかないという考えの進学校だったので、多くの先生に反対されました。私はどうしても地元で学びたくて、一択でした。今思えば、発達障害らしい「こだわり」だったと思います。もし地元の大学にその学科があれば、おそらくそこが第一志望になっていたと思いますが、当時は短大しかなかったのです。(今はその学科が地元の大学にもあるんですけどね。20年遅い!(笑))

 これも「今思えば」なのですが、生きづらさを抱えていた同級生が多かったように思います。だから何とかその高校でやっていけたのではないかなと。根っこから真面目な同級生が多かったです。

 ご質問等がありましたら、お気軽にコメントくださいね♪喜んでお答えさせていただきます。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)

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