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発達障害的、地震後の辛さを言葉にする。

~母として当事者として #発達障害 目線での徒然を書いています。発達障害らしさを感じ取って頂けたら嬉しいです。~

 地震後、涙腺が緩んでいて相変わらずすぐに泣いてしまっています。
 非日常性によるストレス負荷の強さを実感し、自分の発達障害らしさを改めて思い知る日々です。

 私はそんな状態なのですが、地震に対する危機感や恐怖心はひとによって・・・私の地元はほぼ平常通りの生活に戻っているので余計に・・・温度差がかなり大きいようです。

 そこで、自分の感じたことをFacebookの記事に書き込むことにしました。
 私はSNSを使い分けしていて、FacebookはリアルやZoomで直接的なお付き合いのある方々とのみ友達申請しています。そこには職場関係の方も数名います。
 私と息子氏が発達障害であることはカミングアウト済みです。ですが、具体的に自分の発達障害らしさについて言及することはあまりなかったかもしれません。

 発達障害のある親子の地震からここ数日について語らせてください。
 最初の大きな地震に遭った時、私は息子氏と2人で初詣に出掛けていました。海から1キロちょっとのところに住んでいるので、津波警報は脅威でした。正直、テレビで見たような過去の震災同様の津波が来たら、うちは沈むと覚悟しました。ですので、津波警報が解除されるまでは帰らない方がいいと判断しました。
 とはいえ、避難所は・・・知らない人が大勢。ストレスで悪化する聴覚過敏。日常性から離れることの大きなストレス。見た目には分からない障害。・・・それらのことを考えると、車の中で避難しようと2人で話し合いました。初詣で海から離れた地域に居たので、避難のための大渋滞に巻き込まれることもなかったのは幸いでした。
 息子氏は「帰れないのは分かっているけど帰りたい」と繰り返し、パニック状態でした。家で見ているようなYouTubeを縋りつくように見て、何とか自分の精神を保っていました。私はというと、避難中は息子氏を守らなければならないと気が立っていました。
 翌朝、津波警報が解除され無事に帰宅出来ました。結果的に避難が一晩で済んだので良かったですが、何日も続くとまた違った方法を考えなければならなかったと思います。
 帰ってきて、今度は私の方が気が抜けたのか、涙が止まらなくなりました。地震に対する恐怖だけでなく、この見通しの持てない生活が非常に大きなストレスになるのだと思います。そして、意欲や気力が全く湧いてこなくなってしまっています。何もかもがどうでも良く感じてしまっています。
 平常通りの生活が出来ていることは、とても有難いです。反面、甚大な被害に遭っている方々に対しての罪悪感が大きくのしかかってきます。かといって、多くの方が救援物資を集めたりしているにもかかわらず、私にはまだそこまで気持ちがたどり着けません。申し訳なく思っていますが、自分の弱さを思い知らされている日々です。
 でも、ちゃんと生きてます。そこそこ食べてるし、そこそこ眠れているのできっと大丈夫です。いつも通り元気になるまで、ちょっとだけ時間をください。
 これを書くことでご心配をおかけしたいわけでは決してありません。ただ、目に見えない障害の生きづらさの一端を知って頂ければと思いました。最後まで読んでくださってありがとうございました。

 たくさんの方からあたたかいコメントを頂きました。言葉にしないと伝わらないし、わかってもらうことはできないんだと改めて思いました。

 もしかしたら「誰だって辛い」と感じる方もいたかもしれません。けど、その負荷が発達障害ではない方々に比べてはるかに強く重いのだということは知って頂きたいなと思います。

 よく「特性は誰だって大なり小なり存在する」と言われます。
 でも「大」だから生活に支障が出るレベルでしんどくなってしまうのです。あくまでも濃度・濃さの問題だと思っています。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝しています。
 どんどんよくなる!未来は明るい!
 

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