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ゼロコ 舞台公演 『Silent Scenes』感想特大号!


はじめに

終演してから幾日も経ちましたが、様々な想いで胸がいっぱいで、少しずつ書き進めていたものの、うまく言葉や形にできなくて時間だけが過ぎてしまいました。
ようやく投稿できることを嬉しく思います。

・✤──────────────✤・


不格好で拙い文章ではありますが、『Silent Scenes』の感想を、飾ること無く思いのままに正直にしたためようと思います。

こちらのnoteに書く理由はひとつ。
ゼロコ『Silent Scenes』というワードが、これまでの私のいくつもの投稿に登場しているからです。

紹介しておきながら、大好きだと言っておきながら感想をあげないのは私の心が許せません。

とてもとても長くなります。編集し直すこともあります!
何卒ご容赦くださいませ。




これまで

『Silent Scenes』は2020年の初演にはじまり、2度の再演を果たして、今回で4度目の上演となりました。
私が初めて『Silent Scenes』を観たのは2021年6月のことです。
今回はコロナが5類に引き下げられて迎えた、前回から1年と5ヶ月ぶりの『Silent Scenes』でした。

コロナ禍、このゼロコの舞台をきっかけにサイレントとはなにかを深く考え常に向き合い続けてきました。家でも、職場でも、移動中も。あらゆる場面で大切に大切に。

静かにしなくてはならない状況、一人の時間、静寂な環境など。私達は日々の営みの中で、様々な時と場面でたくさんの“サイレント(静けさ)”と出逢います。日常に潜み宿るサイレントたちが本当はどんな表情をし、役割を担い、意味を持つのかじっくりと目を向け耳を傾けてみると、そこには気づいていなかった大切なものや見落としていた幸せがいくつもいくつも存在して輝いていました。


きっかけを置く

もしかしたら今回が最後で、もう再演はないかもしれないと伺い、また以前より集客が一番難しいところだと耳にしていて、私も並々ならぬ思いで開幕までの期間を過ごし臨んで参りました。

舞台関係者でも制作側でもないただのいちファンの私にできることは限られていて。多くの葛藤と共に、それでも手も足も頭も時間も移動も距離も場所も、考え出せること持ち合わせるものすべてを使い、すべてを注いで応援に費やしてきました。本当に全力の毎日でした。

今振り返っても、時に過酷で言葉にできないくらい濃くて長い日々だったように感じます。本当にいろいろなことがありました。
『Silent Scenes』の応援もまた、ドラマチックの連続でした。

数えきれないくらいたくさんの場所とたくさんの方々のご厚意とご協力を賜り、終演後も1か所1か所へお礼と回収のご挨拶に順々に伺っています。タイミングが合わなくてまだ回収しきれていない場所もあり、まだまだ訪れなくてはならない箇所があります。

前回の舞台公演『The Writer』でいちばん苦戦したのは、舞台も初演、私自身も未見だったため内容が分からなかったところです。チラシやつくりかけ室等の少ない情報の中から察することしかできず、分かっていない上での言葉での宣伝の難しさに直面しました。
暗黙の規定があったり、丸一日かけても玉砕したこともありました。

しかし今回はこれまでに何度も観てきた『Silent Scenes』、大好きな『Silent Scenes』ともあって、経験を踏まえ、また内容を分かったうえで挑めたことがかなりの強みに。
チラシを背負って回っていた時に興味を持って声をかけてくださった方がけっこういらっしゃり、その方々にも丁寧にご案内ができました。
訪れた場所で突然のプレゼンを求められても、慌てること無く自分の思いを言葉に乗せ、なぜこの場所を選びここに来る人に知ってもらいたいのか、『Silent Scenes』の魅力とみどころを最大限に語ってアピールすることができました。
宣伝の対象はどこでもいい、誰でもいいというわけではありません。そこは私の譲れない、変わらぬこだわりです。
もちろんチャレンジとして大々的な広報を行った内容もありますが。あくまで興味のある人、届いてほしい方々に繋がるように場所も人も信頼できるところにお願いをしました。

そんな微力で私の一方的に好きで行っている勝手な宣伝活動を許してくださったゼロコのおふたりの深くて広いお心にも感謝しかありません。

小さなことから大胆なことまで、言い尽くせないほどの努力と工夫とに燃えた熱き期間となりました。

人は何をきっかけにしてそのものに出会うか分からないところが人生のおもしろさでもあり、そこに着目しました。ゼロコや『Silent Scenes』への“きっかけ”づくりに、僅かでも一石を投じることができるならと試みたことがあります。
このnoteもそのひとつです。
私の日常にはすでに処々にゼロコが存在していて、ふと現れるゼロコをそのままこのnoteの記事のあちこちに綴り、大事に記してきました。TwitterやInstagramで繋がる先はもはやゼロコを知る方々ばかり。そこで、誰もまだ挑戦していない方向からのアプローチをかけてみようと思い立ち、日々大切にしてきたnoteの場で新たにチャレンジすることを決意しました。反応をいただけたり、知らない方々に知ってもらえることが本当に嬉しかったです。

もちろんすべてはゼロコを知っていただきたくて、『Silent Scenes』という素敵な舞台作品を紹介する目的でしたが、たとえ今回ご縁に繋がらなくても、いつか未来のゼロコに返ってくるものと信じて、常にその意識を忘れずに心がけてきました。



▼以降の感想にはゼロコのおふたりのお名前が出てくるので、知らない方のために先にご紹介いたします。

(左)角谷将視さん  (右)濱口啓介さん
プロフィール




※この先より、
少し砕けた言葉になります


2023.7.7-7.8 座・高円寺 1

ひ、広い。やはり広い…!
なにかもっともっとできることがあったのではないかと、思わず己を窘めてしまうほどのキャパでした。


■プロローグ(オープニング?)

柔らかく薄暗くなっていく照明(観客側の)に優しさを感じた。
舞台上も広く、今までの舞台と比べても舞台袖までの移動距離が増し、おそらくパネルのサイズや位置などはさほど変えられないことを想像すると、かつて観てきたシンプルなオープニングアクトが、舞台が広くなったことでどんなふうになるのだろうといちばん心配でもあり、また楽しみでもありました。
舞台の奥行きを楽しく使っていて、袖から出てこられた角谷さんと観客との距離の近さに驚く。おふたりの行き違いに奥行きが出て立体感が増していた。
そういえば、前回の『Silent Scenes』のオープニングでやっていた、おふたり横に並んで棒を曲げたり曲げれなかったり、呑んだり出したりベトベト〜!ってやったりしていた行がすべてカットされて無くなっていた。
アクションの緩急が以前よりも(意識的に?)大きくなっていて、少し遠目からでもとても観やすかった。劇場が広くなった分、観客の視線が左右に大きく振られるのを感じた。
パネルを使い、おふたりが行き違ってなかなか会えない中で起こるギミックには何度観ても「えっ!」とか「わぁ!」と声を上げてしまったり、「おおお…!」と唸ってしまう。クスッとしてしまう箇所も。
やっとふたりが互いに相手に気づいて指を差し合う→舞台背景にどどーんと映し出される大きなSilent Scenesの文字→暗転の流れだけでも、スケールの大きさを体感。よりタイトでクリアに?

【転換】
机の角の位置への両者のこだわり笑。
しっくりくる角度や感覚のズレって人それぞれにあったりして、そのゆるい小競り合いも他者からするととてもおもしろい。そして毎回思う、この「場面転換」をも“見せる(魅せる)”ゼロコのこだわりと粋。広くなっても黒子やスタッフを使わずすべておふたりが転換を行い、そしてそこでも何か起きちゃったり。そこも演出の一部としてまるごと楽しんでもらおうという遊び心と、ずっと観客をわくわくさせて飽きさせないおもてなしがものすごく伝わってくる。
今回は小学生のお子さまから観劇🉑となっていて、観に来ていたお子さま達があちこちでタイトルが出る度に「なんて読むの?」と親御さんに聞いていて、親御さんは周りに申し訳無さそうにして答えていたのが少し気にかかりました。本当はそんなことで気にしなくていいことだと思うのですが。でも静かな場内ではそういう心理にならざるを得ないのかなぁとか。そういった面でのケアやフォローがもう少しできたら良いのかなぁと思いました。障害のある方が観にいらしていても同じことが起きていたかもしれません。ゼロコは特にいろんな年齢層の幅広い世代の方々が観に来られるので、多様性を考えいろんな視点から考えることを必要とされ求められると感じた。
ルビを振る…?(“お子さま用”などの)優しい当日パンフを作る…?など、もっともっと他にもいい案があるかもしれません。インクルーシブな空間を実現する余地や多様に寄り添い工夫する価値はまだまだあるなぁと希望を持ちました。

■図書館

音をあまり立ててはいけない空間でいろいろと起こる。
角谷さんの持つ本の数の多さに思わず笑ってしまった。ボリュームアップ!首や脚にまで挟んで登場し、これだけでも子供たちが大笑いしていて、場内が和みました。
外に流してしまっていた音楽を慌てて停めようとするも、なかなか停められなかったり、最初から再生してしまったり。わちゃわちゃする中での細かな部分や表現がより人の心理面をリアルに描き出し、心情とその動きが手に取るように感じられる。こういう、台本にも書き込めないような小さな動作設定の連続と積み重ねが、人間味の溢れる作品に仕上がるゼロコの創る世界の重要な部分なのだろうなと思った。
本がすべて違う色のカバーなのも、小道具さん大変だっただろうなぁ、素晴らしいなぁと観ていました。
つくりかけ室で観た“良かった部分”がそのまま残って反映されていたのもとても嬉しい。「濱口さんから見えないところ(観客からは見える)で何かをする、或いは何かが起きる」。誰かの観ていないところで小さな秘密を共有するような感覚ってちょっと嬉しかったり楽しかったりする。3回転して机脇まで来るのはさすがに想像していませんでした笑。 無線からの臨戦態勢、いざ敵陣、机の下へ…!からの、角谷さんの机の下でのめちゃくちゃ楽しそうな表情が童心をくすぐられた。そして誰かが居るなんて思ってもいない机の下に人がいた時の濱口さんの驚きようと引き加減がものすごい良い塩梅でおもしろかった。全体的に表情の濃淡と動作の大きさと緩急がついていて、よりくっきりとした印象に。
角谷さんの舞台からの登り降りも普通では終わらせないところ、流石でした。
観客同士のキャッチボールでは、ボールを受け取る側の女性客に、角谷さんが本を両手で持つよう誘導して手渡されていて素晴らしいと思った。両手で本を閉じた方が力を加えやすくて「スパンッ」と音が出やすい。1日目ではちょっと1回試してみる“練習時間”もあったりしてとても良かった。客席と舞台とが境なく一体となるシーンが挟まることで没入感も増す。
濱口さんが離席中、角谷さんが濱口さんの本を盗み見て、濱口さんが戻って来る気配を感じて自分の席へ戻るところですが、今回はその部分で本を立てて戻っていた。「僅かに本が読まれた形跡」→「確実に読まれた形跡」に変わっていた。おそらくこの辺りも、広い劇場内を想定して変更されたのかなと。観客から見て(お子様にも)分かりやすいように視覚的に優しく改善されたのだと思う。そういう配慮が処々に感じられた。
角谷さんと濱口さんの机の前でのキャッチボール時、濱口さんから送られる指サイン後、角谷さんが盗塁を何度も何度も気にしてなかなか投げなかったの、かなりおもしろかったです!!!(←1日目のみ)
盗み見を誤魔化してあらゆる本を広げちゃうシーンと、角谷さんの表情に大注目の“ページめくり”は安定の面白さで大好きです。全力の静寂ページめくり(?)は、目閉じちゃってるし、ページめくることに必死すぎて、もはや肝心の本が読めていない。笑
あんなに読みたい本がたくさんあるのに…!とツッコみたくなる。

【転換】
あれれ?角谷さ〜んっ…笑?!
結局なんにもしていない(しているようで)。…いやいや、でも的確な指示も大事ですね!笑 とてもほっこりしました。
引き続き、頭を使ったり神経を使って注視していなくてはいけないような感じではなく、リラックスしてちょっと息をついて楽しく眺めていられるくらいの感じが転換時にはバランスがとても良い。
きっとここの転換は袖(裏)ではいろいろと確認事項が多そう。

■裏と表

舞台の広さを利用して、靴を履き忘れて慌てた角谷さんが靴を思いきり転がして(クラウニングで)登場するシーンがとっても楽しい。
(1日目のみ)濱口さんが角谷さんに赤い傘を手渡した後、角谷さんが一瞬バトントワリングのように傘を回転させながら踊られたのがとっても好きでした!もっと観たい✨また観たい✨と思いました。
おふたりの噛み合わなかったハイタッチが噛み合うようになっていて“(ハイタッチで)音を立てる”に変わっていた。噛み合わないハイタッチもすごく好きなのですが、『図書館』のときに角谷さんとお客様との“それ”を観ることができたので、それはそれで嬉しかった。2回目のハイタッチはちょこん♪と小さくされていましたね。
もはやラムネひと粒のパワーがすごい…!私も試験勉強中や夜勤時の、集中力や持続力が欠けはじめてきて気合いを入れ直す際にだいぶお世話になりました。ぶどう糖の効果、恐るべしです。
間や場をつなぐ為の「首落ちマジック(?)」が新たに加わっていました!それにより、より裏表感が差し込まれたように感じました。技が決まらなくて慌てふためき裏に戻った時の角谷さんによる「首落ちマジック」の被せもめちゃくちゃおもしろくて、息できないくらい笑いました。ペットボトルのマジックが交互に行う順番性になっていて、角谷さんが何も持ち合わせていないことがより分かるように即投げ返す演出も最高でした。
カーテンの生地にとろみ(重み)がつき、くぐってもストンと落ちるようになったし、動作や場内の風でめくれにくくなったのもとても良かった。
(2回目のみ)観客側の“ガタンッ”のタイミングが神がかっていて素晴らしかったぁ…興奮!すかさず「ちょっツ…」と反応されるゼロコ。素晴らしすぎる!!!舞台で生ものが観れるなんて!と嬉しくなりました。
ラムネのお掃除中にひと粒拾い食いしたのも子供たちが見逃しませんでした(1日目)。笑
コロコロ転がるラムネのお掃除、いつ見ても大変そうだなぁと思う。なにかもっといい方法かアイデアはないかな、と前回も思っていたことを思い出す。
掃除機でのおふたりの演技が終わり=「裏と表」が終わり、一旦暗転して再び挨拶に登場する際に、掃除機をかけっぱなしだったのがすごく良かった。

【転換】
サルのおもちゃ、ようやく観れて感激でした。初演のポスターにはその存在があるものの、私が観始めた2021年再演時からはおもちゃの出演など一切なく、ずっと不思議に思っていました。
「キーキー」怒るのですね、あのおもちゃ。かわいい笑 なでなでしながら捌ける濱口さんもかわいいですが。
観客みんなで「シーーーッ!」って声出しながらアクションをできたのがとても嬉しい。コロナ禍にはできなかったことだなぁ、、としみじみ。

■ある男の一日

ただただなんの変哲もなく過ごす“ついてない”孤独な男の一日だと誰もが思って観ている。徐々に時間が交差しはじめ、ループしはじめ、いよいよカオスに。そこには11:50の無(謎)の時間も存在していて、「カオス後の無の時間」には笑いさえ起こる。ところが。11:50の本当の姿が現れると、これまで観てきたすべてのシーンの意味がガラッと違って観えてくる。男にとっての愛する者、過ごしてきた日々の愛おしさ、動作の別の意味。11:50によって見えてきたものの多さに、もう、もう…私は毎回涙も鼻水も止まらなくなるのです。

友人とお墓のお話が尽きませんでした。
男はお花屋さんで「香り」でお花を選んでいる。そもそも榊ではなく「お花」の時点で神道ではないよね、とか。男にとっての大切な人が誰であるかは明確に示されてはいませんが、きっとそれぞれ観客の受取り方によってもそこには違ったドラマが見えてくるのではないかと思っています。
お墓に持っていくお花も、マナーとして香りのあるものはNGとされていますが、故人の思い入れのある花や好きな花だと特例、きっと愛する方はお花の大好きな方だったのかな。ゼロコはいつも対象のものをイメージしていると聞くので、なんのお花をイメージしていたのかがとても気になるところです。観終わってから研究しに、いくつものお花屋さんに立ち寄り、考えたりもしました。また、お花を花立に対(つい)で生けていない事からも、墓様が伺えます。
気になるといえば、28:00の寝言です。おそらく私が『Silent Scenes』を観始めた頃と変わっていて、はじめは叫ぶ感じと豚鼻(?)のイビキだったように思うのですが(違ったらごめんなさい)、こまばアゴラ劇場あたりから、なにか言っていますね。名前を呼んでいるのか、はたまた全く別の突拍子もないことを言っているのか、はっきり聴き取れていないのが悔しいです。
ボロボロに泣いた後にこのシーンで笑いを誘われる。そうやって感情の緊張を解いていくゼロコの演出が大好きです。
またいつもの朝が来ることを想像させて終わってゆく。でもそれがちょっぴり切なくて愛おしくて。
外から観ているだけでは人には分からない事情が存在し生活と共にあり、そんな一人の男のかけがえのない一日と生き方を知って、私達も誰しもがいろいろなものを抱えながら生きているけれど、それでも前を向いて明日をより大事に生きよう、今一緒にいられる人との時間を大切にしよう、明日も頑張ろうと思える作品。
これからもずっとずっと大好きな作品です!

そしてそしてなんと言っても!チンベルを使っての阿波踊りが!最っっっ高でした!!!!!
阿波踊りを挟むのは今回が初めてだと思うのですが、もうこれ以上の正解は無いのではと思うくらい好きです!!!
めちゃくちゃ盛り上がりましたね〜(大興奮)!!!!!
濱口さん、つい熱が入ってしまって「ヤットサー!」言うてましたね。笑笑

それから、高円寺駅の発車メロディーと駅構内のトイレの入口の壁も阿波踊りなのに気づいて嬉しくなってしまいました。

【転換】
前回のこまばアゴラ劇場でのモップをかける転換の際の角谷さんのステップが可愛くて大好きで、「裏と表」後の転換、ラムネを掃除した際に見ることができなかったので今回はもう観れないのかなと思っていたら。BOXを運ぶ時に挟んでくださっていてちょっと嬉しくなりました。

■エレベーター
レトロなエレベーターの階数表示がオシャレ!「おおお…♡」となった。(最前列の人には観えているのかな?とか、若い子には通じるのかな…?と心配にもなった)前回までは背景に縦列数字での階数表示だった。変えた理由はなんだろうと真っ先に考える。
この『エレベーター』は、特に角谷さんの着替えが多いことが予想されるので、広くなった舞台で袖に履けて着替えるその往復の移動と時間すらもおそらく惜しまれる。「生着替え」にして見せてしまおう!ということになったのでしょうか。おしりフリフリダンスがめちゃくちゃ可愛かったし、終わってからのいろんな人との会話でもこの場面は大好評でした。着替えない方(主に濱口さん)が着替える方(角谷さん)を「はよはよ」と煽っていたり、それに対して「まだよまだよ」と応えていたり、お着替えのない濱口さんが角谷さんを待つ間、箍が外れたかのように解き放たれて音楽にノリノリになっていたり笑。
着替え終わった方から「はーい!」と挙手してアピールしていたのも可愛らしくてほっこりにまにま。
“臭い”と感じるまでの間や反応にも大注目でした。人の内心と表情と動作が絶妙。最後、鼻をつまんでこらえきれなくなって先に開いたエレベーターを出たとき、普通なら息を吐いて外の空気を大きく吸ってしまいそうなものですが、ずっと捌けるまで鼻をつまんでいたので相当な臭いだったのかなと想像する。笑
私の大好きな角谷おじいちゃま。また会えて嬉しかった。おじいちゃまの悪気の無い数々の動作と、やられ放題(?)のもうひとり。優しくすればするほど自分に返ってくるものは時間のロス…笑
あそこの位置がおじいちゃまのこだわりの定位置か癖なのでしょう。おじいちゃまはなにも悪くないからこその濱口さんの方の心情が可笑しくて。おじいちゃまのペースに巻き込まれていく様子が大好きなナンバーです。
お礼のナッツ(?)の袋が開けられなくて好意で手伝おうとした手をペシッと叩かれる部分。優しさも仇?
看護・介護視点でいうと、とても馴染みのある、職場では日常的なシーンです。その人が一生懸命しようとしていることに途中で手を出すことはご法度。何か起こらないようにそっと傍で見守り、困ったらお手伝いをする、が基本姿勢です。今ある機能やできる事・能力を奪ってしまうのが優しさや親切ではないからです。そんなことを少し思いながらも「あああ…でも時間がね💦…」と濱口さんの味方になりつつ、それぞれに感情移入をして愛おしく眺めていました。他の階でもしもエレベーターを待っている方がいたら、そこが何階かは分かりませんが、その階でずっと停まっちゃってるけどどうしたのかな?大丈夫かな?ってなりますね。笑
濱口さんがボタンから離れないところを見ると、開延長ボタンのないエレベーターなんだなと思った。
それにしてもおじいちゃま、ナッツがお好きなのかな。(そもそもあれはナッツですか??)ナッツを食べれるということは、まだ自歯がかなりしっかりされていらっしゃいますね…!!
角谷さんのボクシングでの戯れ加減と濱口さんの鬱陶しそうな表情、なりふり構わない熱き角谷さんと冷静クールに淡々とかわそうとする濱口さんとの差があればあるほどおもしろい。
「エレベーター」の境界(枠)を破るほどの熱量体当たり(?)…ゾーンに入ってる…?試合前なのかな。笑笑
そして毎回思う、角谷さんの運動量…!!!
濱口さんが、見えないはずの幽霊角谷さんの仕掛けのあれこれに笑いをこらえていたり、2日目はとうとうこらえきれなくなってしまったところを観て、お腹がよじれるほど笑ってしまった。1日目と2日目でまるっと変わっていたので(口ずさむ音楽なども)、角谷さんが濱口さんを笑かしにいくあの部分は、自由にして良い部分なのですねきっと笑?!
暗転したあとも、着替えるまでは前の役柄が続いていたのが良いと思った。
小道具のキーホルダー、おふたりのつけていた色のタイプがきっと1番レアなんですね。笑
ぎこちなくも意気投合して嬉しそうに順番に自慢し合ったり、驚いて認め合ったり、友情が芽生えていく過程が見えるのが素敵。角谷さんの勝ち誇った「はい〜!」にはつい笑ってしまう。別れ際にどうして良いか分からなくなって慣れないソフトタッチをしたり。でも、それもお互いに嬉しそうで。微笑ましくなってしまう。2人だけの間の指信号が(ヲタ界での合言葉?意思表示?のようなものが)あるのは羨ましいなと、いつも思います。
ウッディシアターの再演の際に観に来てくれた前職場のクラークの子との暗号にその指の形を職場で使っていたけれど、それももうできなくなるんだなと思ったら違う涙が溢れそうになった。
毎回エレベーターはお腹が痛くなるほど笑う。笑い死ぬという言葉がしっくりくるほどに。

■日常
窓を開けた時の外の香り、洗剤、タバコ、料理、お茶。日常には多くの香りや音(声)を筆頭に、あらゆる情報で溢れている。音も香りも心の動きも常に変化し続けて存在する。
お料理中、食べた時、お茶を淹れて飲む時には温度も感じた。

角谷さんが作っているものはなにかと話題にあがった。何度観ても、ご飯を炊飯器からよそう(もしくは冷凍ご飯を使う)動作が解読できないけれど、何かを刻み卵を2個割り混ぜているのは誰が観ても分かる。ニラ玉かな?くらいに思っていたけど、どうやら違うようだ。食材に添えた左手の進み具合を見ると刻み方がかなり細かく、対象物も大きくない。そしてきっと細い。刻んだものをまな板からフライパンに移す時も、そこまで量が多くない。ということはネギ? フライパンを縦に数回振る動作と音が入り、スプーンを使用して食べていることから(レンゲかな?とも一瞬思いましたが、レンゲの持ち方や食べ方ではないように見えた)、チャーハン説が最有力候補。真相はどうなのでしょう。

換気扇を止めたあとの静けさに、思いが溢れた。心の中が言葉やいろんな気持ちでいっぱいになっていた。

サイレントは深遠で、実のところ静寂がいちばん饒舌かもしれないと思った。
さらには静寂が雄弁であるように、喧騒はまた寡黙であることも然り。どんなに賑やかで騒がしく忙しない状況の中にあっても、その時の心理状態によっては静寂を感じる時がある。
また、「危ない…!」と思った瞬間スローモーションになって走馬灯がよぎるときもそちらに近い。

逆を探っていくこともまた楽しい。

私生活でも色々な角度から物事を見ること、人や物事の真意やその陰に存在すること、本質や深くに隠れる声を丁寧につぶさにみつめる癖がつきました。


【追記】
今回は個人的に夏を感じる『Silent Scenes』でした。
たとえば初日が七夕ともあり、散らばったラムネとバミリが暗転時に天の川のように見えてきたり、ラムネを上にばら撒いてしまうところでは打ち上げ花火のように見えたり。
ある男の一日では、茎の先に一輪つくお花の形態をしている動きだったので、選んだお花がひまわりだったらいいなぁとか。でも香りを嗅いでいたのでひまわりではないかぁ、残念…!とか思いながらあらゆる想像をすることを楽しんでいました。阿波踊りにもとても夏を感じました。

それぞれの日常へ

『Silent Scenes』は私の人生観や日々の幸せへの感度をあげ、今ある日常を深く豊かに鮮やかに変えてくれた作品です。
お仕事や、その他の人や物事に対する見方や姿勢や向き合い方、気づきや考え方の質がより高まり厚くなりました。
些細なことへのセンサーがぐんと高まり反映され、日常に起こるどんな小さなことでも幸せに、或いは楽しく思えるきっかけをいくつも差し出してくださっていたんだと実感します。
人、もの、事に関心や興味を持ち続けることの楽しさと幸せを日々尽く感じています。

ゼロコの作品は「今ある状態=今ある幸せ」「人間らしさ」への描き方と携わり方が群を抜いていて。だからこそ共感できたり惹きつけられるのだろうなと思います。

決して押し付けるのではなく、観た方々それぞれに何かを感じて持ち帰ってもらう創り方をしているところが大好きなところです。
また、大胆に挑戦したり、繊細な修正を何度も加えて丁寧に作品を磨いていくゼロコ。その創作過程や作品との向き合い方や考え方も大好きです。

観終わった後、一歩劇場をあとにした瞬間から今度は私達の目の前の日常に『Silent Scenes』が開幕します。
『Silent Scenes』は即効性もあり、あとからじわじわ効いてくるものもあり。
日常に帰った時はじめて見えてくるもの、聴こえてくるものがきっとそれぞれにあるはずです。
日々のふとしたSceneでSilentが五感に深く働きかけ色濃く語りかけてくる時、そこにゼロコの真髄と真価が見えてくるのだと感じます。
静寂に面した時、またふとした時や忘れかけた頃、『Silent Scenes』のシーンがむくむくと立ち上ぼり生活に彩りが加わります。

日常こそがドラマチックなのだと思わずにはいられません。

生きている限り切り離せない私達の生活と日常をも巻き込んでゆくゼロコのねらいがすごい。
死ぬまで巻き込まれていくのかな。或いは幽霊になってまでも…?!笑
それも悪くはなさそうです♪


感想を書くにあたり、大好きなシーン、印象に残ったシーン、思い出深いシーン、面白かったシーンなど。いくつものシーンをもう一度はじめから振り返りながら、時に思い出し笑いをしながら書きすすめたこの時間もまた、愛おしい時間となりました。



その先へ

数年後〜数十年後のある日、突然『Silent Scenes、再演決定!』というニュースが届くのを私は静かに待っています。
その間にきっと世の中の情勢もさらに変わっていて、私達の生活もそれぞれにきっと変わっていて。
「あれからちゃんと日々に目を向けて大切に過ごしていましたか?」と『Silent Scenes』を以て問いてほしい。

もしかしたらまだ今の私には気づけていなかったことが出てきたり、見落としていたものがみつかるかもしれません。家族が増えている方もいたりして、『Silent Scenes』を新しい形や環境によって一緒に観ることで、また育まれるものや築かれることもあるかもしれないと思うと、『Silent Scenes』がもう観れなくなってしまうのだけは本当に悲しい。
『Silent Scenes』の再演に伴い、過去の『Silent Scenes』の思い出話を楽しそうにしているみんなの姿が想像できます。

そんなふうに少し先の未来のことを真面目に考えてしまうのも『Silent Scenes』が終わってほしくないからです。
まだゼロコや『Silent Scenes』に出逢っていないたくさんの方々に観ていただきたい作品ですし、ずっとずっと続いていってほしい舞台です。

1日1日を大切に過ごしながら、両手を大きく広げて再演を待つ私を未来にちょこんと置いておきます!
信じてずっと待っています。

同じ時代に生まれて、同じ情勢を共にして。ゼロコとその作品、そしてそれを愛する方々に出会えたことが本当に幸せです。

生きていると辛いことも悲しいことも苦しいこともたくさんあるけれど、明日への希望と挑戦を忘れずに生きていきたいと思います。


それぞれの日常に持ち帰った『Silent Scenes』の種が、各々の場所で芽を覗かせ、育ち、花を咲かせ。この先もずっと根を広げてふくよかに薫る光景を想像してやみません。


おわりに

観に来た方のみにお礼の言葉を向けることが多い世の中。いつもどこかちょっぴり悲しくなってしまうのですが、観に来れなかった方、思いを寄せている方、陰でずっと応援してくださった方々への配慮のある言葉がすごく嬉しくて泣きました。
そのひとことで救われる人がどれだけいるでしょう。
大好きだからこそ。これからもずっとずっとそんなゼロコであってほしいなぁと心から思います。

これからも応援しております!


最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。

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