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ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室

じっくりと反芻しながら書き進めていたので投稿が前後してしまいますが、こちらの記事は天高い9月10日のことです。



DIC川村記念美術館へ


病みあがりでの遠出に自信がなかった私は友人に相談とお願いをして、高速バスでの移動を選択し、その乗り場で待ち合わせた。

『色と素材の実験室』というとても興味深い展覧会の会期に合わせて何ヶ月も前から予定を組み、お休みも取って楽しみにしてきた。
DIC川村記念美術館はずっとずっと来たかった場所。

所要1時間ほどの高速バスの乗車時間に車内で果物を一緒に食べようと、2種の果物を2人分カットして用意した。ランチ後のデザートに館内のテラスや芝生で食べてもいいなぁとも想っていた。

車内では、会えていなかった間のお互いのお話をたくさんした。
それと朝、最寄りの駅で不思議な木の実が落ちていたことも。フルーティーな香りのする橙色の実。ちょうど座席の真上にあった空調のスイッチくらいの色と大きさだった。
電車に乗り遅れたり待ち合わせに遅れてしまうといけないので、ちゃんと観察できず写真も撮ってこれなかったことだけが悔やまれた。
なんの木なのかわからなくて、木と実のおおよその説明をすると「もしかしたらシュロじゃない…?」と言うのでさっそくシュロの実を調べてみるとビンゴ!独特な白いお花の写真も出てきた。実が生る前にはきっと咲いていたと思われるお花。次に咲くのはまた来年になるけれど、今後は気にして観ていようと思う。あんなにもフルーティーな香りがするのに、実は不可食なのだとか。不思議な木だ。
シュロでひとしきり盛りあがった。


プチトリップ


高速バスは特別感も小旅行感も演出してくれて、期待値やわくわく度がぐんぐん上がる。そしてきっと今回の展示を観たあとには世界が違って見えてくるんだろうなぁと、車窓を過ぎゆく街中のアートや大きな広告、建物の外壁の色や影などを眺めながらぽつりと友人に呟いた。

千葉に入ると雲がとても近く、いつの間にかもくもくと低く集まってきていた。
高度差のある高い雲と低い雲の間を無性に飛びたくなった。

それから、そんなに行った回数も知識もなくて決して詳しくはないけれど、横を通り過ぎたディズニーランド&Seaのお話をしたり。ディズニー派かジブリ派かと聞かれたらジブリ派だと即答するが、Seaにはまだ行ったことがないので、いつか一度は行ってみたい。そしてそれを言うなら三鷹の森ジブリ美術館にだって、愛知にできたジブリパークへだって行ってみたい!そんなお話も。

いちばん嬉しくて驚いたのは、友人から突然のラブレターをもらったこと。

座席にはテーブルがついていなかったため、水分のあるフルーツを出すには少し抵抗があり、後ほど食べることにした。
「何と何でしょう?(果物の種類)」とクイズを出した瞬間、バスがアトラクション並みに激しく弾み身体が跳ね上がり「うわぁ〜!」とふたり、調子外れな声を上げてしまった。その声が響いて耳に残り、可笑しくてツボに入る。

再び会話が果物のことに戻り、友人が「何と何かなぁ…?」と口にするとバスが再びぐわんぐわんと今度は激しく横揺れ。笑
“何と何”を口にするたびに会話ができなくなるほど揺さぶられるので、「もう今日1日は“何と何”は禁句ね」なんて言いながらお腹を抱えて涙が出るほど笑った。

バスの旅はすごく良い。

ふと「今どの辺だろう」と周りを見渡すと、電光掲示板に表示された文字をみつけた友人が「第二工業団地だって💡」と嬉しそうに言った。


………どこの?笑

日本全国に第二工業団地はきっとたくさんあると思われる。現在地が千葉のどこらんへんなのかを知りたかったのだけれど、結局どこなのかはわからなかった。
でも今いる場所がどこであってもよかった。とっても楽しくて、美術館到着までは時間で推測した。


色と素材の序章

途中、右手の道路脇に白馬が突如現れた。一瞬のことに、

私は「えっ…?像?幻??」
友人「動いたように見えた…!」

ふたりで目を丸くして顔を見合わせる出来事があった。


落花生の直売所を曲がるとあっという間に美術館に着く。
降りて乗車側と反対側の側面を見てはじめて気づいたけれど、バスはレンブラント柄をしていた。

よそ見をして歩いていたので何かを蹴ってしまい、見るとゆるい二等辺三角形をした石ころだった。バス停の地面は固められた敷石になっていて、どうやらそこから外れて転がった石のようだ。
よく見ると、転がっている石やそれらが外れた箇所が以外とたくさんあった。

チケットを購入して入口へ。
佐藤忠良さん作の『緑』の像のうしろで、垣根に空いた穴を小さな女の子がしゃがんで覗き込む後ろ姿を横目に、さながらジブリのようなワンシーンからスタート。

緑の象の近くに木の枝が2つだけ転がっていて、それぞれが「イ」と「し」の形をしてるのに気づく。
さっそく「イし」に配置して“木で石”を作って素材で遊んだ。カタカナとひらがなが混ざるところはご愛嬌。


入ってすぐの林の隙間から池が見えた。白いものがいくつか横切ったように見えて「わ!白鳥だ!」と言うと、友人は「え、何にも見えないよ」と言うので急に怖くなる。たしかに自信はなく、歩く人以外には何もいなかった。
病みあがりだからか、普段まったく飲まない内服中のお薬が影響しているのか、とうとう幻覚まで見はじめるようになってきたのかとちょっと心配になった。

噴水の上がる池がよく見える場所まで来ると、まだ羽の灰色の白鳥が二羽鳴いていた。けれどもそれは私が先程林の隙間から観た個体ではない。
私が見たのは真っ白だった。


不思議なことに、いずれもこの日は事あるごとに「白いもの」が現れ、引き寄せているのか、はたまた導かれているのか、見えない引力を感じた。

館内へ。

エントランスホールのステンドグラス
「二つの精神」


【館内図】


101からゆっくり巡る。
103まで来たところで、そのまま110へ。
110のお部屋では今回の日本初のアルバースの回顧展にちなんだ色彩と知覚の作品が展示されていた。

その奥の扉の前で人が数人並んでいたので、何があるのかとても気になり近くまで行くとお茶席のご案内があり、そこではじめてお茶席があることを知った。てっきりなにか展示関連での列なのかとばかり思っていたので、110へ入るときに「お茶席」の表示があって「!?」となったのを思い出して納得。思わぬところで素敵なお茶室に入る機会に恵まれ、目が輝いてしまった。

展示についても場所についてもいつも調べすぎるのは好きではなく、実際に行ってみて初めて観たり触れたり知ったりしたいし、まっさらな状態で楽しんだり感動したり体験をしたい。
下調べも、時に大事なときとそうでない時がある。いつも「しすぎない」ように気をつけている。

アルバースの展示でも体験コーナーがあるらしいと友人から聞いて、どんなことをするのか、どういった体験なのかをそれ以上調べないようにしていた。なんの情報もないまま、ずっと胸を躍らせていた。


普段なかなか経験できない空間は素直に嬉しい。
お茶室ではひそひそ声で会話を交わし、お茶を点てる音を聴きながら席が空くのを待った。穏やかな時間が流れていた。


展示会とのコラボメニューを選び、あたたかいお抹茶をいただく。

『正方形賛歌』

正方形の重なりを錦玉と羊羹に置き換え、真っ白な求肥で優しく包み込みました。色彩の可能性を探求し続けたアルバースへ贈る讃歌のようなお菓子です。

お茶菓子の置かれているお皿までもがアルバースの『正方形讃歌』のようだった。
(このおしゃれなお皿はミュージアムショップで販売されている)

“正方形賛歌とは、アルバースが20年以上にわたって続けられた絵画シリーズで、正方形による決まったフォーマットに色彩を配置した作品。隣接する色同士がさまざまな効果を生み出す。色彩を移ろいやすいものと考え、そのはたらきを動的に捉えようとするアルバースの探究が反映されている”


そしてここでも“白い”お菓子だ。

割った瞬間に息が漏れた。
外からの光の量と角度によって透過性の色の深さと厚みが違う錦玉と羊羹。包む求肥の重なりによっても白の重さが異なる。

静寂の空間で色と素材と味に向き合うとてもいい時間を過ごした。

窓の外ではパンパスグラスが風に揺れていた。
するとそこにスイ〜ッと「白」なるものが!

さっき観たのが幻覚ではないと分かり、
ようやくここでほっとする

茶室には「秋明菊とミズヒキと萩」が生けてあって、正面から秋を感じた。
この三種は去年、ちょうど城崎でのお散歩中に観た三種だなぁと懐かしくなりまた恋しくなり。胸が少しだけ熱くなった。


鑑賞再開。
104から106へ向かう真っ直ぐな通路の先、真正面の上方にある窓から見える景色がひとつの作品のようでハッとしてしまった。
行かれた際にはぜひご覧いただけたらと思います。

階段が二手に分かれて合流する、行き着いた先の200の展示室がとっても好みだった。作品を正面に、両手を広げておもわず大きく深呼吸をしてしまう、そんなお部屋だった。

特に右手の窓側の木々に光があたり、葉の一部分が燦めいていて、下を望めば揺れる木漏れ日。
最後にもう一度振り向いて空間ごと作品をみつめた。


いよいよ待ちに待った、
ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室

「見ること」「経験すること」が重要だという言葉に自信も勇気も力ももらえた。
素材や色彩はもちろん、造形もまた研究の対象で、見ているものの特性や構成をより深く追求することをアルバースは大事にされていた。

「素材の経済性」では紙の特性を学ぶ。
“紙”だからこそできる、“紙”でしか出来ない表現にこだわった「1枚の紙」での演習の様子やその方法と作品が紹介・展示されていた。
最小の素材と加工で最大の効果を産出することの重要性を説いていた。


少し話が逸れますが。

私は普段から紙が大好きで、おもしろい質感や変わった手触りなどの紙を見に行くのも好きで、色や素材に囲まれた紙問屋や画材店には何時間でもいられる。旅行先では時間があればその土地ならではの紙を見に行ったりもする。もちろん何かを作るのに紙から選びに行ったりする目的が多いのですが。
色についても、かなりのこだわりがあって、例えば紺色。ひとことで紺と言ってもめちゃくちゃ広くて深くて豊富。もちろん好きな紺もあれば、そうでない紺もある。自分に似合う紺もあれば似合わない紺も。白にも黒にも、その他のカラーにおいても同じことが言える。
単色だけの研究でさえ一生かかりそうなところ、色が素材と組み合わさったならもう限りない。

色彩の感覚は人によって見え方や捉え方も違うし、生きてきた環境によってもセンスに違いの出る部分なので、良いも悪いもなく、だからこそ難しくておもしろい。
お花を生ける時、ファッション、お料理にお仕事に、その他の日常で。色を選ぶ場面が連続する。そんな色の持つ計り知れない大きな力を以前からとても感じていて興味があった。
色で気持ちやモチベーションを上げ下げできるし、相手に与える印象も操作できるし、人の心を癒やし、救うこともできる。色から起こる効果や影響は絶大で、そんな魅力たっぷりの「色」についてのなにか新しい視点や学びが得られればいいなと考えていた。


アルバースは日常的なもの、身の回りのものに目を向け探求することを基盤とし、それらをよく観察し新たな視点で捉えることや素材同士の組み合わせを追求することを大切にされた。
そのひとつが『リーフスタディ』だ。
とても刺さった。葉っぱは私の人生には無くてはならないもの。
木の葉や木の皮の色や質感、織布の構成などから学び得られるものの多さは、課題としてその研究の素材に最適だったに違いない。取り組む生徒たちもきっととても楽しかっただろうな。

色彩演習の中では、加法混色と減法混色がとりあげられていた。これはアルバースの代表的な取り組みだ。
再考すること、再構成することに力を注いで取り組んでいたと知り、私も原点に立ち帰って再思考することの大切さを何度も確かめた。

隣り合う色同士は相互へ必然的に大きく影響し作用し合う。色でさえこんなに影響し合うのだから、そこに素材が加わればさらに複雑で、ひとたび影光や風雨や季節など自然の環境的要因や人の感情的要因が加わったなら、もう無限大の研究材料となると思った。

色覚のトリックでは、私達が観ているそのままに色見本が提示・実演されている展示があり、唸る。

造形と色彩の関係性への彼の生涯にわたる思考と探求が、まざまざと存在して光を放っていた。

アルバースは晩年、縁の銀にこだわっていたという。
私は展示を見に行った時には必ずその作品の縁を観る。この「縁」が違うだけでだいぶ作品への印象が変わるたいへん重要な部分だ。そこにどんな色と素材を選んでいるのか、どんな展示へ行った際にも必ずチェックする大事なポイントである。


アルバースの手に掛かった色たちは、いとも簡単にその重軽、深浅、厚薄、遠近を変えてしまう。無彩色をカラフルに見せることだって。

それらを探求し、操り司るアルバースが、色と素材の魔術師のように思えた。


私が最もそそられたのは色の透過性だ。



いざ、実践!


ワークショップスペースから出られなくなった。楽しすぎた。
外の庭園もお散歩したいしランチもまだなのに、すでに時刻は14:30を優に超えていた。ゆっくりしすぎなようにも思えるが、これ以上速くは回れなかった。一点たりとも見落としたくないほどの素晴らしい展示内容であった。

ワークショップスペースは、ここを訪れた多くの新たなアルバースの生徒たちの作品で溢れていた。
壁一面に貼られたみんなの作品は、どれも素敵でかわいいものだらけ。大人も子供もみんなアルバースの生徒を心から楽しみ満喫しているのが分かった。
立派な展示室と化していた。それらを見ているだけでもものすごい刺激となり、各々の色彩感覚で仕上げられた作品の数々にはどこまでも感心しきりだった。絞っても私からは一生出てこない色の組み合わせもたくさんあって、かなりお勉強になった。

飾られているものも、ゴミ箱の中に捨てられたものも、切り刻まれて捨てられた色紙も、私にはすべてが芸術だった。

1つの色が2つに見える「色のマジック」、
「3色の世界」の作品たち
「透明のトリック」


まずは手始めに、私達はさっそく色で遊びはじめた。
一番奥の円卓にならぶ穴の空いた色見本のカードに次々と触れる。
最初は手に取る色の名前や紙質を文字を読んで一枚一枚確かめていたけれど、色鉛筆の配色のように色を次々隣り合わせで並べてみることに。どうにも隣り合わない難しい色があったり、どこにも入れない括りの色がでてきたりした。
ベリーピンクやアイスブルーやプラチナホワイトといった極めて僅かなレアな色札をみつけると嬉しくなった。

紙質には「NTほそおりGA」と表示されていて、こちらは以前画材屋さんで伝統的な織り柄のエンボスを施したファインペーパーだと教えてもらったものだった。
紙には縦と横が存在し、折り曲げやすい、もしくは折り曲げにくい方向と特性を有する。そんな紙の性質も、色とは別に楽しんだ。

お隣の円卓から混ざってしまっていた折り紙を見つけ出し、救済。

「花」の名前の含まれた紙を集めてみる

左から、「藤」「ばら」「桜」「山吹」「ひまわり」。

「紫」と表示された“正しい紫“は自分が思っているよりもずっと赤みがかっていて、“正しいホワイト”はまるで“生成り”のようだった。そこには規定があるのだろうか。メーカーによっても同じ色でも違ったりする。
そういえば先程の展示内でも、アルバースは絵具を極力そのままの色で使っていたと記載があった。

色に正しいというものがあるのか分からないけれど、見本に則って初めて気づくこともあった。そうした自分の頭の中の基準色と色見本との違いと発見も楽しかった。

途中から色当てゲームみたいになった。「マホガニー」と「せいじ」を覚えたので、さっそく演習にはせいじを用いた。


私もアルバースの生徒になる。
今日は不思議と朝から白に縁があったし白の色と素材の虜にもなったので、白を使ってみることにした。

透けていないのに透けて見える
透明のトリック

最近の私のブームは緑×ピンク。そこへ白を加えてみる。黒にとても近い濃・焦茶も魅力的だったので使用。
透けているように見えて、素材はすべて透けてはいない色紙だ。
こちらの作品には、台紙を省いて7色の色紙を使っている。


友人と私の作品も壁にペタリ

頭も手も普段使わない回路を使い、フル稼働で作業をした。
途中何度か色紙の置かれた円卓に行き来をしながらようやく完成!

アルバースの教えであった、実際に見て触れて実演していくことの重要性を体験。
アルバースが学生に課した色彩課程は
めちゃくちゃ楽しく、夢中になった。


ひとつ、「ひだ折りの練習」のところで制作途中で捨てられていた芸術を拾った。その作品の反対側の余白に私も演習をして、壁に飾った。顔も名前も知らない誰かにあやかり、コラボ作品として再びそこに命を吹き込んだ。捨てるなんてとてもできない素晴らしい作品だった。


レストラン『ベルヴェデーレ』

気づけば15:30すぎ。正直迷った。でもお腹はペコペコだったし、せっかく訪れたのならお食事もしたいよねということで。
ゆっくりと急ぐことにして入店。笑

奥の船頭のようなお部屋へ案内され、四人掛けの席にランチョンマットが横並びに配置された席へ通された。ちょうど傾きかけた陽射しが差し込む場所で、下ろされたロールカーテン越しに池の水面の煌めきが透けて見えていた。

フルーツビネガーの飲み物が火照った身体とフル回転した脳を冷やしてくれた。
ハーブのサラダはオイルと岩塩だけのシンプルな味付け。最高に美味しかった。
展示を観終わったばかりの目と思考は、その何種もの葉の重なる豊かなグリーンの色と形態の沼に落ちた。

快くベジタリアン対応をしてくださり、シェフのお任せで特別に作っていただいたお野菜のみのペペロンチーノ。野菜を7種も使ってくださり、本当に美味しくて、入っていた緑のナスと共に私までとろけそうだった。
そしてそのペペロンチーノが乗っていたお皿もまた緑!
ちなみにテーブルクロスは淡い桜色をしていた。ここでも緑×ピンクの大好きな色の組み合わせマジックにかかる。

お向かいのギフトショップもセンスの塊だった。

残り約1時間のタイムリミット。庭園へ繰り出し真っ先に「自然散策路」へ入る。
散策マップには木や花の名前と場所が載っていて、オモイガワ(“思川”という品種の桜)の文字を見て、オモワレガワもあったら素敵だねと話す。

朽ちた木
少し前の風雨で落ちたと思われる、
まだ青いどんぐり
小さな芽
寄り添うキノコ
縦と横の縞柄の樹皮


森を抜けると黄緑の波が爽やかな、ヘンリー・ムーアの『ブロンズの形態』のある広場に出る。

久々の外は本当に気持ちがよくて、
「わ~い!」と駆け出し両手を広げた。

芝生には白いキノコが点々と

ハスとスイレンのあるいちばん奥の池へ行く途中、狂い咲きの桜の花二輪があったり、何の実だかわからない筋の入った6ブロックの青い実があったりした。
(※後にその実を調べるもわからず…!)

写真中央、二輪の桜花。
急いで撮ったのでピントがぁ…🥲
池に到着
日も暮れ、銀にも見える白鳥
池に映る水色→灰青色の空

1日往復一本の高速バスの時刻は遠に過ぎ、目指すは最終送迎バスの時刻。
出発地点へ向けて少し早歩きで折り返す。

バス停まではゆるい登り坂が続き、爽やかだった空気はいつの間にか湿度を含んで重くなり、気温も相まってバス停に着く頃には汗が止まらなくなっていた。

建物のドアノブがピエロの赤鼻に観えて可愛いかったことも忘れずに記しておこう。

バス停でまた何かを蹴った。
見れば数ある石の中、来た時に蹴った同じゆるい二等辺三角形の石。笑

忘れていたけれど、私の背中では果物が1日中揺れに揺れていた。バスの時間まで15分くらいあったため、ここに来てようやくの果物タイム。ベンチに腰掛け、友人と私の間に包みを広げた。完全に予想外の予定外。
でも梨も柿も瑞々しくて甘く、容器いっぱいに入れてきたはずの果物はみるみる無くなった。出掛けた先の、しかもお外で食べる果物は格別だった。
病床に伏していた期間に無理に口に運んでいたものとは思えないくらい美味しかった。


無料の送迎バスには補助席がついていて、子供の頃、スクールバスでのこの折り畳みの補助席はみな競って座るほどの特別シートだったことを思い出した。
この最終バスに乗り遅れたら、佐倉駅まで歩けたかなぁ?と、街灯も少ない田んぼ道を通って思う。


JR佐倉駅につく手前で本日の話題となったシュロの木を見た。


白の魔法

思えば白馬や白鳥のあたりから、私達の掛かった白の魔法ははじまっていた。その後もなにかと登場した白。
白にはなにもないけれど、なんでもあった。素材と組み合わさると急に顔や存在を変えた。
ワークショップのスペースの外には、まさに色も素材も異なる白い壁が並んでいて魅入ってしまった。
それほどまでに白の色と素材に魅了された。


世界は色に溢れ、日々は素材に溢れている

身近なものを大切に考え基礎とするアルバースの授業が響いた。

目に入る色すべてが気になりくぎづけになった帰路。色と素材で思考がいっぱいになる。
帰りの電車の窓枠に映る影の濃淡とその幅の比率がとても気になってしまった。影と透過性も気になって仕方がない。色に対する感度が格段にあがり、より繊細になったように感じた。

きっと一生解かれることのない魔法にかけられてしまったみたいだ。

生きている限り出逢い触れ続けていく色と素材。人生のときどきでこれからもそれらを取り入れて挑戦して、足したり引いたり研究しては、配色の組み合わせを楽しんで見つめていこうと思う。

そしてそこから得られるものをどこかで誰かの為にも活かしていけたら。
それが私の次に追求するところだ。



まだまだこの先も永く色と素材に頭も心も大きく占領されそう。



◆DIC川村記念美術館へのアクセス方法と、高速バス・送迎バスの時刻表等


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