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ぎょ

 こないだ、ネットフリックスで『さかなのこ』を観た。去年映画館でも観た。すっごくよかった。いや、すっぎょくよかったから、配信でもまた観た。やっぱりすっぎょくよかった。

 重い腰をあげ、1ヶ月以上放置したnoteを書き始めたら、なんだか超バカみたいな書き出しになってしまった。ぎょめんねぎょめんね。

 『さかなのこ』は、ぎょぎょぎょ!で有名なさかなクンの自伝的エッセイをもとに描かれた作品だ。内容は是が非でも映画を見てもらうとして、この映画には何かを好きでいること、好きでい続けることのよろこびもしんどさもぜんぶ詰まっている。

 小学校の卒業アルバムの将来の夢を書くページに「ミュージシャンになりたい。もしダメだったら、ラジオで喋る人になりたい。」と書いた。子供の頃から音楽とラジオが好きだった。趣味じゃなくて仕事にしたいと思っていた。俺はとにかく諦めが悪い。どれくらい悪いかと言えば、学生時代に同じ女の子に3回告白したことがある。俺はそういうちょっとイタいところがある。なんなら、その次もまた別の相手に2回告白した。計5回。全敗だった。苦い思い出だが、そんな持ち前の諦めの悪さが功を奏したのか、30を過ぎて、いちおう音楽もラジオも仕事になった。まだまだ端くれだし、夢が叶った感じは全然しないけれど、続けてきてよかったな、好きでい続けてよかったな、と思っている。だけど同時に子供の頃からずっと変わらない自分自身にときどきどこか心許ない気持ちにもなる。なんか遊びみたいな仕事だし。

 中学の同級生に「俺は将来絶対野球選手になる」と豪語する友人がいた。俺は俺で「ミュージシャンになる」と豪語していた。豪語に次ぐ豪語。青い。青すぎる。豪語ブルーである。

 時は経て20代前半の頃。ある日突然その友人から結婚式の招待状が届いた。同封されていた写真でひさびさに彼の顔を見た。以前よりいくらか太って見えた。幸せそうだった。俺はショックだった。彼は野球選手になるのだと何の疑いもなく、割と本気で思っていたから。普通に働いて、結婚をする彼のことが当時の俺にはどうにも許せなかった。

 今考えると俺がどうかしている。俺が間違っている。みんな、いろんなことを悟ったり諦めたりして大人になっていく。そこに正しいも間違いもない。どう考えたって俺が青すぎる。

 結局、招待状の返信も出さず、結婚式にも行かなかった。今ではそのことを少し後悔している。以来、彼とは疎遠だ。というか、彼に限らずもう地元の友人たちとは何年も誰とも会っていない。20代半ばごろまではちょくちょく飲み会の誘いの連絡があったような気もするけれど、それもどこかのタイミングでぱたりと無くなった。地元の友人たちのLINEのアイコンの写真が子供の写真になったり、苗字が変わっていたりするのを見つけるたびに、なんにも変わらない自分だけがいつまでも子供のままのような気がしてどんどん会いづらくなっていった。

 いつまでも子供のままの俺が、この春から、奇跡的に子供の頃からの夢であったラジオDJになり、番組が始まって1ヶ月ほど経った頃、とあるLINEが届いた。地元の友人からだった。通勤途中の車内でたまたまラジオを聞いたらしく、おそらく15年以上ぶりに連絡をくれた。うれしかった。地元の友人たちと距離を感じていたのは俺の自意識過剰だった。

 何かを好きでいる、好きでい続けること。とてもいびつだ。きっとこれからも悩むだろう。でもこうやって、RPGゲームのセーブゾーンみたいに「まあきっとこれでよかったんじゃない?」と思える出来事がときどき起こるたび、猫背がちの俺の背筋がしゃんとする。


 

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