見出し画像

11年ぶりの初デート

2017年9月。11年間お付き合いしていた人と別れてから、たったの3ヶ月後。

34歳にして11年ぶりの初デートをした。

----

間もなく同棲11周年を迎えるはずだった2017年6月のはじめ。

「友達と飲みに行く」と笑顔で出かけた彼が、終電を過ぎても始発を過ぎても帰ってこない。連絡もなくこんなことをする人ではなかったので、心配でLINEしても電話しても反応すらなく、眠れないまま朝を迎えた。

16時過ぎ、ようやく帰ってきたと思ったら目も合わせずに「別れたい」と言い出した。何を聞いても「もう嫌だ、別れたい」と繰り返すだけで話が通じない。目の前にいるのはずっと一緒に生きてきたはずの人なのに、赤の他人のような冷たい顔をしていた。

笑顔で見送ってから、まだ24時間も経っていない。状況が飲み込めなかった。出かける瞬間までは何事もなく、穏やかに楽しく暮らしていたのに。

11年目にしてようやく結婚の話が具体化して、生まれ育った東京を離れて彼の地元で生きていく覚悟をして、数ヶ月前に仕事を辞めて準備しているところだった。

付き合い始めてすぐ、お互いの家族どころか親族ぐるみで交流が始まり、お盆や年末年始の帰省はもちろん、一緒に何度も旅行したり、彼の祖父の通夜・告別式には妻として参列したりしていた。

籍を入れていないだけで、結婚しているのと同じ状況。まわりからもなぜ結婚しないのか不思議がられていたけれど、彼が3歳年下だったので、私から急かしたくないと思っていただけ。待ち続けて、本当にようやくのときだった。

なぜ別れたいのか理解できなくて、努めて冷静に優しく、2〜3日かけて聞き出したら、私のことはもともと好きではなくて、だから結婚話が進んでいくのが辛くて、そんなときにとても素敵な人に出会って、相手も好きになってくれて、もう私の顔は見るのも嫌になってしまったらしい。

何を言われても泣いたり取り乱したりせず、一生懸命に想いを伝えて頑張ってみたけれどダメだった。「一旦その子と付き合ってみてもいいよ。それから時間をおいて、また話し合わない?」とか、いろいろ提案してみたけれどダメだった。

夜中にあてのない散歩に行ったり、くだらない話で笑いあったり。そんな普通の愛おしい日々があっけなく終わった。

別れたいと言われてから3週間くらい経った6月の終わり。ついに彼が出て行った。好きになった人と数日を過ごして、そのまま実家に帰るらしい。去年までは8月の記念日に向けて、旅行やプレゼントの相談をしていた時期だ。

1年前の私はもちろん、1ヶ月前の私も、こんなことになるなんて想像もしていなかったし、当たり前に彼が隣にいる未来を信じて疑わなかった。

この3週間もひとりぼっちのようなものだったけれど、誰も帰ってこない部屋に取り残されて、ついに本当のひとりになった。人生の軸になっていた生活が、跡形もなくなった。

足元にぽっかりと真っ黒な穴が空いて、飲み込まれるような感覚に襲われる。どうしようもなく現実で、心細くて苦しくて、「別れたい」と言われてから初めて涙が出た。そこからはダーダーと滝のように流れて止まらなかった。

あの日からずっと、悲しいのか怒ってるのか自分で自分の感情がわからなくて、泣くに泣けなかったんだと思う。

涙の理由は悲しみや寂しさだけではなくて、これからの人生に対する怖さもあった。当時の私は寿退職のつもりで仕事を辞めた無職の34歳で、再就職に有利な資格も持っていない。

これから先どうやって生きていけばいいのか不安だったし、ひとりで生きていくのは怖いけれど、年齢的に恋愛できる自信もないし、もう誰のことも好きになりたくなかった。

彼が出て行ってから食べることも寝ることもできなくなって、かといって死にたいとすら思えなくて、ただただ横になったまま時間を消費する日々を過ごした。

友達が会いにきてくれて私のぶんまで泣いてくれたり、無理やり食べさせてくれたりして、少しずつ人間らしい生活を取り戻せたのは、8月のなかばくらいだったと思う。

青天の霹靂から2ヶ月ちょっと。こう書くと短いけれど、身も心も地を這うように過ごした日々は永遠のように感じられて、心がすごく老けた気がした。

みんなが「痩せすぎだよ」と心配してくれるので、ひさびさに体重計に乗ってみたら10キロも減っていた。数字を見て胸が躍ったのを自覚して「あ、たぶんもう大丈夫だな」と思えたけれど、心の奥のほうに、壊死したような冷たさをずっと感じていた。きっと、あのとき私の心は一度殺されたのだと思う。

もう二度とあんな想いはしたくないし、11年も一緒にいた人に全否定されるような私が誰かに愛されるはずない。ここからはひとりで生きていこう!と決めた瞬間から、呪いが解けたように爽やかな気持ちになれた。

ひとりで生きていくには、強くならなければいけない。生まれ変わったつもりで生きようと決めて、彼が好きだと言ったロングヘアを鎖骨のあたりで切った。

さらに1ヶ月後、9月のはじめ。友達の仕事を手伝うようになり、少しずつ社会復帰を始めていたころ、知り合いのバーで彼と出会った。

お互いによく行くお店だったけれど、会うのはその日が初めて。後から来た彼は、目が合った私に軽く会釈をして、ふたつ席をあけて座った。

他にお客さんがいなかったので、マスターをはさんで自然に会話が生まれる。彼は酔っても敬語をくずさない、物腰の柔らかい人だった。

なぜか変なモテ期がきていて恋愛的な目で見られることをしんどく感じていたため、一定の距離を保ちつつ話せる空気感がとても心地よかった。なにを話したのかは覚えていないけれど、とにかくずっと笑っていて、すごく楽しかった記憶はある。

最後のほうに「チキンラーメンってときどき無性に食べたくなるけど、食べるとこんなもんかってなるよね」という話になり、近くのコンビニへ材料を買いに行って、閉店後のバーでマスターにつくってもらって3人で食べた。やっぱりイメージを上回らない、絶妙な美味しさだった。

帰り際、ひとりで行く予定だったイベントが彼の好みに近そうだったので誘ってみると快諾してくれて、1週間後の約束をして別れた。

私は件の11年間ほとんど遊ばなかったので交友関係がとても狭く、別れたあとに出会った人は男女問わず新しい世界を教えてくれる貴重な存在だった。

彼も初めて出会う職種の方で、お酒に詳しくて、飄々としていながら丁寧で、まわりにいないタイプ。また会えるのが純粋に嬉しかった。

1週間後の19時、恵比寿駅の東口で待ち合わせ。「出口を間違えて少し遅れるかもしれません」と連絡があったけれど、時間ぴったりに彼が現れた。

出会ったのはバーだから薄暗くて顔もよくわからなかったし、座っているから体型もよくわからなかった。でもここは蛍光灯が輝く駅構内で、明るすぎるくらいに明るい。

ああ、こんな顔だったなぁと思ったのと同時に、自分の容姿も蛍光灯の下で見られていると気づき、ものすごく恥ずかしくなった。反射的に「メイク、くずれてないかな」と考えた自分にびっくりした。というか、引いた。

11年付き合った人と別れてから、まだ3ヶ月。あんな思いをしたのに、もう誰も好きにならないって決めたのに。私を待たせまいと小走りで登場した彼を見た瞬間、壊死していたはずの心の奥が強く動いてしまった。

好きになりたくないなぁ、嫌だなぁと思いながら動く歩道に乗り、彼を見上げると、思っていたより高いところに顔があった。

「こんなに背が高い人だったのか…」と思った瞬間、そんなことすら知らない、まだなにも知らない彼のことを、もっと知りたいと思ってしまった。

もう、諦めるしかない。動く歩道を降りるころには「私はこれから、この人を好きになるんだ」と覚悟を決めた。

あの夜が、人生最後の初デートだったらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?