見出し画像

不安は己の解釈の化身

私は基本ひとりだ。
人間はみんなひとりか。
だけど、なぜだろう。
自分の脳みそを他者へ開示しても
共感を得られるどころか「わからない」の一言でいつも返されるのだ。
母、姉、中学生の頃の同級生、大学時代のゼミの男子、
インターン先の上司。


私の脳には「なぜ」がたくさん住んでいて。
事実を見るたびに「なぜ」が騒ぎ出す。

「なんでドイツ人はみんな傘をささないんだろうか」
「ドイツは天気が悪いのになんで傘を持ち歩かないのだろうか」
「なんでみんなフードがある服を着ているんだろうか」
街を歩いているときもいつもこんなことを思う。
ちなみにこれに対する私の見解はこれだ

「1時間あたりの降水量が少ない」
「天気が変わりやすい」
「風が強い」

ドイツに住んでかれこれ3ヶ月だが天気予報は当てにならない。
雨も止んだり降ったり、それも小雨程度。風も強いし、傘をさす気にならない。傘を使うならフードをかぶっておこう。フードなら防寒にもなるしちょうどいい。日本人と違って髪型へのこだわりもないから、、、

「あれ、なんで日本人はこんなオシャレなんだ?」

まあ、こんな感じで永遠に思考が回る続ける。
この心の声を人に伝えることができたらどれだけ楽しいだろうか。
一人∞役を誰かとできたらどれだけ楽しいだろうか。。

私の「なぜ」は別に答えを求めているわけじゃない。
一緒に仮定を立てて吟味したいだけなのだ。
それが私の脳みその食事なのだ。

だがみんな「わからない」「知らない」「面倒くさい」
と会話をやめてしまう。しつこく聞くこともできるが、相手がつまらなくなるくらいなら自分を殺して相手に会話を合わせようと思う。
小さい頃から父親が自己中だったおかげで人の気持ちを考えすぎるようになった。

私の「心」と「脳」は相性が悪い。最悪だ。
自己中だったらどれだけ気持ち良く自分の好きなことを話せただろうか。

だからいつも、相手に合わせた会話をしつつ、「なぜ」を交えた質問を少しずつ組み込む、相手の答え方、ノリそれらをトータルで見てこの人間が理解者になってくれるか試すのだ。それが私のコミュニケーションだ。
静かに、相手を振り分ける。

23年間生きてきたこともあり、何人か素敵な人たちに出会えた。
だが、本当の意味で心を開ける友達なんて1人しかいないし、
彼氏なんて23年間ずっといなかった。ひとりでいる方が気が楽だった。
誰かと会うたびに、自分が消えて、その度に相手が楽しそうになり
相手の心が濃くなるたびに私はどんどん薄くなった。

だがそんな私も23年間彼氏いないことがネックで、
ノリで付き合ってそれでどうなのかまた考えようと思い立った。

ドイツへ来て4日後、bumble というマッチングアプリで1ヶ月程度話していた男の子にあった。会話は楽しかった。私がたくさん質問して、相手は楽しそうに「ヒトラー」や「慰安婦問題」やらを話し、
「君といると飽きない」と微笑みながら髪を撫でた。

この人ならいけるだろうと、この人なら開示できるだろうと、
ワクワクしてその日は二人ベッドに並んだ。

それから約3ヶ月後の昨日。
私は彼の前で泣いていた。泣く予定ではなかった。

私はここ3ヶ月。「私のコミュニケーション」を相手に試した。
英語だったせいでどうしても相手の意図を完全には汲み取れず時間を要したが、向こうはたまに答えてくれて、たまに回答を面倒くさがった。

「偏見」について彼は厳しい視点を持っていた。
私は「タトゥーは好きだが、やはり少し話しかけにくい」と言ったら
とそれは「偏見」だと強く批判された。
私は言い返す意見を持っていた
「怖いという感情そのものは経験や知識から自然に起こる物でありそれは全く悪いことではない。その起こった感情に対してどう解釈し、態度へ表すか。そこが本当の意味での偏見じゃないのか」と言おうと思った。
相手を傷つけるんじゃないか、嫌われたくない。そう思った私は
「そうかな〜、怖いと思うこと自体はしょうがないことじゃーん」と
馬鹿で従順な女を装ってしまった。

そんな小さなことが積もり親友に相談するようになった、
そして、私にチェックメイトを指したのはこの会話だ。

「なぜ西洋の部屋は薄暗く、日本の部屋が明るいのか考えたんだけど目の色彩なんじゃないかと思うんだ。トビは青いから私より世界が明るく見えるんだよ。」

「ふーーん。」

私の母親を思い出した。
そうじゃない、そうじゃない。納得するんじゃない。
ここは始まりでまたそこから仮定を踏んで話したいんだ。
そう強く思って、この関係を終わりにしたいと強く思った。
この人に自分を開示できない。そう思いたかった。

だが、この想いを全てトビへ伝えた時、自然と自分へイラついてきた。
トビだって答えてくれた時もあったし、
私が嫌われるのを嫌がって彼へ反論するのをやめたのではないか。
別にトビが何かをしたわけじゃない。
勝手に悟って勝手に読んで勝手に決めていたのは私ではないかと。
そして、トビが私の相手ではない、と決めてかかった自分を憎く思った。

この人が合うかどうか試していたそれは本当に試せていたのか?
小さな態度や言動で本番へ移る前に決めてかかっていたのではないか?
嫌われるのが怖いせいで自分を見せようとしない、リスクを取らずに理解者なんてできるのか?
相手の感情を気にして分かったような気でいたが本当に分かっていたのか?

自分のウジウジした内省の世界が一気に崩れていった。
そして、私はトビが生んだ不安は自分の解釈の化身であったことを悟った。

自分がどういう人間で、どんなことに楽しみを見出し、どう感じて、今に至るのか。彼に泣きながら全てを話した。
今までにこんなことをしたことはない。怖くてできないから。
きっと受け入れてくれないだろうと決めてかかって誰にも言わなかった。

感情を制御できず、必死に英語で自分のことを伝えた。
彼は赤く滲んだ青い目で
「今まで出会った中で一番魅力的な性格だ」と囁いた。
お世辞でもなんでもいい。その場を丸く収めるための方便でもいい。
受け入れられる。ただそれだけでこんなに涙が出るものなのだろうか。
ずっと気づかなかったが、私はどれほど自分を殺して人に合わせて生きてきたのだろうか。彼が愛情のある言葉を言うたびに閉じ込めていた自分が涙として解放された。

そして生まれて初めての「I love you」は私を解放させ、
「I love you too」と泣きながら精一杯に想いを伝えた。

言葉に嘘をつけず、ずっと「I like you」の言葉でさえ彼に言い返すことができなかったが、この日やっと伝えることができた。
人を愛することができ、受け入れらることの温かさを知り、
愛は裸であることを強く感じた。


こんな愛おしい日にお互い愛を確かめたかったが、案の定生理がきていたせいでそれは虚しく終わった。映画のようにいかないところもまた、美しい。

泣きながら愛を知った夜は、私を知った日だった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?