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やっぱり博士号をとりたくて。


やっぱりPh.D(博士号)をとりたい。欲が再燃している。

きっかけは先月末。皇居にある紅葉山御養蚕所で上皇后さまへの養蚕指導をされている方(代田さん)がうちに技術指導に来てくださったこと。ざっくりといえば、うちの先生がこだわり続けてきた”小石丸”というカイコの品種のご縁で、まだまだ養蚕技術が未熟である自分を指導してもらったらいいんじゃないかという話で依頼してくださった。

せっかくの機会だからと、一般の方向けに養蚕に関する講話もしてもらい、養蚕の歴史、皇室の御養蚕の変化など多様な話を伺うことができた。講話とそのあと、夜ご飯の話の中で、再燃した。


なぜ博士号をとりたいのか?


① 現場視点から蚕品種の違いによる染織特性を科学的に証明できる

うちで養蚕し続けてきた”小石丸”という品種は江戸時代に誕生したもので、それ以降品種改良がされていない、いわゆる原種(地鶏的なもの)にあたる。近年は錦秋鍾和に代表されるような交雑種(いわゆるブロイラー的なもの)が国内外の産地で養蚕される品種として糸が太く大きな繭を作っている。うちは藍染めへの適正から小石丸にたどり着き、以降30年養蚕を続けているのだけれど、最近は天然染料による染色に適している理由が研究者の間でも明らかになってきているらしい。ちなみに研究で明らかになり始めたきっかけは正倉院宝物の復元に際し糸の質を調査したこと。うちは現場としてそれを痛感しながらこれまで染織をやってきたので、科学的にも複数の絹糸の染色特性を研究するには現場として十分な知見がある。それを研究論文に向け並行で実践していけば可能性がある。

② 10年後、1時代を担った蚕糸絹業の専門家がいなくなる

明治時代〜昭和の日本は、殖産興業として富岡製糸場の創設から技師の招集から研究など、蚕糸絹業を発展させてきた。その時代の知見と技術者の質と量は凄かっただろうし、それだけ国も投資して成長させてきたんだと思う。

でも時代は変わった。1930年に220万戸あった養蚕農家は1970年に40万戸に、1983年には13万戸。2000年には3000戸、2010年に1000戸、2018年は290戸まで減少した。従事者の平均年齢は75歳を越えている。東京オリンピンクを終え、5年が経った頃には国産の繭はさらに激減しているはずで。従事者の減少は産業の衰退であるから、同時に研究者も同様の減少を示すはずなのだ。遺伝資源としてのカイコの研究者は一定数残るはずだが、養蚕業に関わる研究者は今後ほとんどいなくなる気がしている。過去にいくら研究がされていようとも、その中身を解釈できる人間がいなくなることは危機的な問題だと思っている。たった1人の増減なんて微々たるものかもしれないけれど、現場人として蚕種製造から養蚕・製糸・染色・加工・製織・仕上げまでを産業として理解しつつ、研究者としても生きることには、絶対意義があるはずだし、10年後に意味を持ってくるはずなんだと思っている。手仕事産業は、時代の最先端をいく研究開発のベースになるはずだし。コンピュータだって脳みそ・人体じゃないか。

③ 農工大の卒業生として、現場で働く者として

今回指導いただいた研究員の代田さんは農業大学校を卒業し、研究所で研鑽を重ねる中で、農工大で博士号をとっている。その方が所属する蚕業技術研究所の所長の優しいおじちゃん(新保さん)も農工大で博士号をとり、最近カイコの卵の管理の技術を習得しようと時々お伺いさせてもらった四国のおっちゃん(蚕種製造業者)も農工大卒業生である。そして最近農工大の科学博物館と提携を結んだ長野にある蚕糸博物館の館長さんも農工大の博士である。そして僕は農工大の卒業生(学士)である。

もうこれはやるしかないだろうと。

この縁は勢いだと思い、代田さんに相談した。学部卒業生のため、修士・博士課程を通常通りこなすには時間が必要だし、入り直す必要がある。それなら論文ドクターだろうと。空港にお送りする帰り道、論文を3本書くための軸としてどんな展開を見据えて取り組むのか。何と何を比較分析するのか。そのために研究対象になると思えるようなサンプルを作る必要性など、真摯に向き合ってもらえた気がする。

絹に関する研究は膨大な量がある。だからこそ取り組む部分を明確にし、先行研究を調べ上げ、その上で自分の研究を展開していく必要がある。そう簡単なことではないけれど、この一連の取り組みをやりきることで、うちの先生が現場としてこだわってきた50年の取り組みを思想だけでなく科学的に証明することができれば、技術的にも学術的にもやってきたことの正しさを証明できる。ただの手仕事ではなく、現場感として、産業に欠かせないクオリティを追求してきた工房として。


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僕たちの仕事なんて、生活に必要不可欠なものではない。工房がなくなったって、99.9%の人は生活に困らないし、0.1%の人が少し残念がって、1週間もすればまるで初めからなかったかのような生活に戻るだろう。それでもきっと意味はあるし、続けていく意義はあると。必要不可欠なものではないからこそ余白や気づきを生めるはずだし、知ることで気づく美しさがあるはず。今回のカイコや藍染の品質的な部分だけでなく、もちろん着物作りの技術や貝紫の染料抽出、染色技術など、養蚕以外にもやることはたくさんある。それはそれで、また別の視点でこれから価値を伝えていくべき、やっていくべきことで。伝える努力、形にする努力は続ける。でもそれだけでなく、普遍的な存在証明として、この取り組みは、エゴだけれどもやりきりたい。

10年後も100年後も普遍的な価値として産業発展の礎にできるように。

手仕事が技能と技術が重なった動的な風景として芸術になるように。

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