薄ぼんやり生きていると感じたら……【体験の哲学/飲茶】
私の自宅から最寄り駅までの徒歩での行き方は、変な遠回りをしなければ6つほどある。
6つのうち、私がよく使うのは2つ。
その2つを経路A、経路Bとすると、AとBを使う比率は9:1くらいだ。
経路Bの途中にある八百屋さんに寄る予定がない限り、ほぼ経路Aを使っている。
何も考えなくても私の足は経路Aに向かう。
もう体が覚えているから。
今日、いつものように経路Aを歩きはじめた私は突如考えた。
「これじゃ『体験の哲学』を読んだ意味がないじゃないか!」
少しでも変化をつけよう!と思い、A経路でいつも歩くのと反対側の歩道を歩いてみることにした。
いつも歩いている歩道の方を反対側から見てみると、新しいことに気づいた。
近すぎて上まで見れていなかった家の3階部分にあった窓
新しくなっていたことに気づかなかった焼き鳥屋の看板
(焼き鳥は見ていたのに)
いつもと同じAの道なのに、反対の歩道を歩くだけで見える世界がこんなに変わるとは。
さて今回私が読んだ本は、飲茶著「体験の哲学 地上最強の人生に役立つ哲学活用法」。
“最近「なんとなく」で生きちゃってるな”
と思っている方にぜひおすすめの一冊です。
「体験の哲学」って?
そもそも哲学ってなんなんだろう。
本書内では、哲学=先人たちの思考法と書かれていた。
ふむふむ、これはわかる。
では「体験の哲学」とは一体??
これから私が書きたいと思っている哲学は「体験の哲学」——それは、その名が示す通り「実践的」なもの、つまり、実行(体験)して初めて分かる哲学です……むしろ知識より実践。
飲茶さんによると「生きている」と感じるためには知識を身につけるだけではなく、自分で体験(実践)をすることが大切なのだそう。
たとえば、今こんなことを感じる人はいないでしょうか。
「あれ!?また今年ももう終わっちゃう!?」
年齢を重ねていくと、なぜだか時間の流れが早くなったと感じる。
これを飲茶さんは「薄ぼんやりとした人生」と表現している。
「薄ぼんやりとした人生」とはどうでもいいと感じることが増えることで体験の質が落ち、自分の感覚を無視した状態で過ごす人生のこと。
子供のときのように周りが新鮮に見えなくて、ぼんやりしているということだ。
そして「薄ぼんやりとした人生」の中で生きる人は「哲学的ゾンビ」となるらしい。
なんて怖い表現……。
もしそのままでいたら人生のハリが失われつづけ、老いていくだけ……。
そんなの虚しすぎる!!!
もし「薄ぼんやりとした人生」から脱したいのであれば、日常生活の体験を質の高いものにし、世界をくっきりと見ていくことが重要なのだという。
いつも「体験の哲学」を意識して生活していくということだ。
そのために本書では巻末に「体験のチェックリスト」がある。
これがめちゃくちゃおもしろい。
体験のチェックリスト
巻末についている「体験のチェックリスト」は、体験を意識する生き方をするために使うものだ。
リストにあるものを体験したらチェックを入れていく。
リストには食べ物や行く場所、身につけるものなどさまざまある。
このチェックリスト、実はものすごおーーーく細かいのだ。
たとえばショートパスタの欄はこう。
マカロニ、セーダニ、ペンネ、リガトーニ、ファルファーレ、コンキリエ、フジッリ、ルオーテ、オレッキエッテ
え、ショートパスタってこんなにあるの?と思った。
私が今まで体験(食)したのは、マカロニ、ペンネ、フジッリの3つだけ。
しかもマカロニを最後に食べたのっていつだ……。
もし「ショートパスタってなに?」って聞かれたら、多分私は「ペンネとかでしょ」とか答えると思う。
もはやショートパスタの知識とも言えない。
まさにこれを続けていたら「薄ぼんやりとした人生」……。
しかも「ペンネとか」の「とか」って!!
ペンネ以外にスッと思い出せるパスタもないだろうに、あたかも知っているような感じで言っているんだろう……。
この、「とか」をなくすのも大事な体験だ。
初めて聞いたセーダニについて調べたり、実際にリガトーニを食べてみたり。
口コミやネットだけに頼るのではなく、自分自身の体験を得ること。
体験をすると、子供の頃にもっていたワクワク感ようなものを得ることにつながっていく。
そうすることで今この瞬間をリアルに味わいながら生きることができるようになるのだ。
スタバに行っても
先日一緒にパリへ旅行した友人とスタバで話していたときのこと。
「パリのスタバと違って、日本だと店内とかあんまり見ないよね」
たしかにパリのスタバは置かれているグッズ、メニュー、表示されている文字、すべてが日本のスタバと違っていた。
当たり前だが、海外と日本とではあらゆるものが違う。
日本の中のスタバだってご当地限定タンブラーもあるし、店内の内装だってもちろん違う。
でも基本のグッズやメニューは同じだろうし、メニューに書かれている文字は日本語だ。
心のどこかで「日本のスタバ」というくくりを作ってしまうと全く同じ店舗ではないのに、スタバですら「薄ぼんやり」の仲間入りをしてしまう。
体験は目の前の物事そのものだけを目的として定め、じっくり見てみること。
今を意識的に体験すること。
それが今を生きることにつながって、目の前の世界がはっきり見えるようになっていく。
気づいたら今年も年末になっていた!なんてことはなくなるはずだ。
* * *
さて、今日は成城石井でピーナッツバターを買ったから、明日食べたら早速チェックリストに印をつけよう。
体験する気持ちをもちながら食べていこう。
ぜひ、読んでみてください。