見出し画像

愛の三類型③アガペーは無償で与える愛

こんにちは、西園寺えるです。

今日は愛の三類系の最後、アガペーについて。

エロス、フィリアに続く愛です。
未読の方はこちらからどうぞ↓

七夕の夜に、至高の愛についてご紹介できるなんて、ロマンチックですね。
(ひいろさんのおかげで七夕の素敵さを思い起こせました。ありがとう)

アガペーとは

アガペーとは、無償で与える愛。
慈愛、隣人愛です。
聖書でいう「汝の敵を愛せ」。

欠如でも力エロスでもなく、情熱でも友愛フィリアでもない愛、敵をも愛する愛、普遍的で利害を超越した愛」

「自発的で無償の愛」

スポンヴィル「ささやかながら、徳について」より

あんまり解説しなくても、イメージはあるんじゃないかと思います。

「好きなもの、善いもの、快楽を与えてくれるもの、自分にとって有用なものだから愛するのではなく、自分が愛しているから必要であり、だからこそそれ自体に意味がある」ということである。と22歳の西園寺えるがまとめています。笑

至上の愛として語られることが多いです。

アガペーの欠点…というか弱点は、あまりにも体現できる人が少ないことです。

つまり問題は、どうやってその境地に至るのか?です。

アガペーは神の御業でも架空のものでもない

このあと、私の卒論では「中庸」の話に持っていきます。

が、ぶっちゃけ当時の私にはアガペーの概念をかみ砕くことができず、とりあえず卒論を完成させるために「丸くまとめた」んですね。

アガペーについて突っ込んで書けるほど、22の私は慈悲深くありませんでした。まだ、人生は競争だったから。

資本主義社会で受験や就活、恋愛だってそう。
あらゆる「競争」に晒されていたわけで、いうなれば周り全員敵といっても過言ではないようなところにいたら、アガペーは実現できないと思います。(仮説)

エロス、フィリア、アガペーのそれぞれの「中庸」を考えて、その三角形の真ん中というか、バランスのいい愛を実現することがよいのだという結論で終えています。

が。

現在の私が結論づけるなら、

「ひとりひとりが自分の中でのエロスとフィリアの中庸を目指しながら愛するということの鍛錬を重ね、そののちにアガペーの境地に至ることを目指す」

みたいな感じかな、と思います。

愛のシリーズ書いている間に、変わるかもしれません。

22の私は、「アガペーなんて実際にできる人いないでしょ。できたとしても自分が身を滅ぼしそう」と思っていたので…。

でも今は、アガペーの境地は本当にあると思っています。

だからこそ、ひとりでも多くその感覚を真に理解することが、世界を優しく変えていくことだと、感じています。

「愛は技術」の意味

エーリッヒフロム著「愛するということ」に、「愛することは技術である」と書いてあります。

「現代人(なんとこの本の出版は70年前)は愛に飢えつつもそのエネルギーの大半を、成功、威信、金、権力などを手に入れることに費やし、愛する技術を学ぼうとはしない。」

努力や鍛錬をしないと愛は獲得できないのに、現代人(繰り返すが70年前である)は忘れてしまっている、と書いているのである。

愛することは、「人を信じること」。

人(の可能性)を無条件に信じることには、とても勇気がいります。

自分が相手を信じて、愛したって、愛が返ってくる保証はないからです。

愛する技術のきたえかたは、信じること(なんでも信じればいいわけではなく、理にかなった信念。詳しくは別記事にて)を持つことと、信念を持つ勇気を持つこと。

さて。
愛を持ってみんなでみんなを育てよう、と前線に立って自らが傷つくことを顧みず、noteに現れた方がいますね。

数少ない体現者のひとりだと思います。

アガペーの体現

アガペーに至ろうと努力した先人たちは、いろんな方法でその道しるべを残しています。

ひとつは、哲学。
いま私が書いているようなやつ。

ひとつは、宗教。
盲信ではなく、思考し続け真にその教義を理解し実践している者であれば、悟り(解脱?)の境地に至るはず。

ひとつは、スピリチュアル。
表現が難しいけれど、「覚醒」した者というのはそういうこと。

ひとつは、積極的分離。
愛の生き物・ギフテッドが人生のはやい段階で何度も乗り越えざるをえない、試練。

完全な私見ですが、それぞれざ~っくりいうと「アガペーに至る道」を示しているのだと思います。
大きく出過ぎてびくびくしているので遠慮なく異論ください。

そして、
哲学に変にハマるものはただの机上の空論になり。

宗教やスピリチュアルに変にハマるものは物質の囚われから脱出できず。

積極的分離を乗り越えられなかったギフテッドたちは…。

それぐらい、アガペーの実現は長く険しい道だけど、人間がなんとか到達したいと願ってやまない境地なのではないかと考えています。

フロムが70年前、愛の可能性を信じ「人間らしい」社会を取り戻したいと願った思いが、AIの台頭をきっかけに人びとに眠る愛が呼び覚まされ、実現されうる機運が高まっているのではないかと…えっ言いすぎかな。

なんかちょっと勢いづきすぎて自分がこわい。


とりあえず「愛するということ」は名著なので少しでも多くの人に読んでほしいです。
リンク貼っちゃう。アフィリンクじゃないよ↓

新訳版だ!!
私もこっちがほしいな。

それでは。
またコメント欄でお会いしましょう!笑

この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

いただいたサポートは、だいすきなnoteの街に還元させます。