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中和したがる私たち

こんにちは。山室彩です。

私たちは、自分が人よりも特徴的な部分を
反対の要素を持ってくることで
薄めたがるなぁと感じることがあります。

酸性とアルカリ性を合わせて、中性にする、ような感じです。

私のことで言えば、
背が高くて、顔立ちがはっきりしているからか
「怖い」「話しかけづらい」と思われることが多い

と「自分で判断した」結果、それを中和させるために

高校時代の一時期、
「そうでござるよ」という様な
武士言葉を使っていたことがありました。
(もしかすると、昔、マルシアさんが時代劇風の言葉遣いをしていて、
それを聞いてかわいいなーと思ったのかも)

少しでも背を低く見せるために
膝を微妙に曲げて立ったり
猫背にしてみたり
脚を開いて(休めの姿勢)立ったりもしていました。
(今となっては、なぜその判断なのかがわかりません…)

言葉を変えたり、服装やメイクや髪型を変えたり
声を変えたり、表情を変えたり、姿勢を変えたり

することで、中和しようとする。
人は、なぜか、そんなことをしてしまいます。

より自分らしく生きる
とか
自分の魅力を活かす
ということは

まずは、中和することを止めること
言い方を変えると
ブレーキを踏むのを止めること

なのかな、
と様々な失敗をしてきた結果
思うのです。

ブレーキを踏むのを止める、一つの方法は
素直に、率直に、自由に身体を使うこと

誰もが、自分の声で、自分の身長で生きて行けばいい。
内面はともかく、身体のことについては
実体のあるものだから、
比較的、自分に戻しやすいのではないかな、と思います。

自分の特徴が
社会一般の通念の

良い、可愛い、素敵、かっこいい

と違っていたって
時と場所が変われば
そんなのもいくらでも変わるし、
別に気にしなくていいのかな、

なんて、思うのは、

海外で仕事をする機会をいただいたことで
日本で「あんまり」でも他所に行けば「いいね!」となる
経験をできたことと
(特に、どうにも変更できない容姿の面において)

年齢を重ねて図太くなったせい
かもしれません。


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