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私たちは書く。書きながら生きていく。

ライティング講座で出会ったMちゃんとおしゃべりをした。

Mちゃんは「自信がない」「周りがすごい」「本音がいえない」「私には価値がない」「自分の意見はいわないように生きている」など、不思議なことをよく口にする。何をいっているのかよくわからない。彼女の本心が見えない。

私だって自信はないし、周りはすごい人ばかりだ。

しかも私の意見は「クセ強」だし、嘘はヘタですぐバレるし、相手が誰であろうと思ったことがすぐ顔や口に出る。それが致命傷となり、これまでの社会人生活で幾度となく「痛い失敗」をしてきている。今もその渦中だ。

だからといって自分を「無価値」なんて思ったことはないし「自分の意見はいわない」なんて思ったこともない。そもそも「自分の価値や自分の意見」について、考えたことがなかった。「自分に価値がある」といえば「ある」し「ない」といえば「ない」。自分の意見だって良くもなければ悪くもない。ただ私は生きていて、オトナとしてそれなりに考えていることもあるし、意見だってある。ただそれだけのことだ。聞かれれば答える。ただそれだけ。


「私には価値がない」「自分の意見はいわない」なんて烙印を自分に押して生きていくなんて、あまりに謙虚すぎないか。いや、辛くないのだろうか。

なぜ自分の意見をいわないようになったのか、Mちゃんに聞いてみた。

「親の影響が大きいと思う。小さい頃から“口答えしてはいけません”っていわれ続けてきて、口ごたえして叱られたこともあるし、進学とか就職とかも、自分の希望は反対されちゃうし、結局親の意向に沿って進んできちゃったから、だんだん自分の意見をいわない癖がついちゃって……」

わかる。わかるよ。わかりみが深い。

私だってそうだ。私も似たような人生を生きてきた。親に嫌われたくない、叱られたくない、揉めるのが面倒……。私たちのような人は少なくないはずだ。子どもはみんな親に好かれたいし褒められたい。親の期待に答えたい生き物。その一心で私自身、どれだけ嘘をついてきたことか(ほとんどバレたけど)。とはいえ、私は「自分の意見をいわない」、とはならなかった。でも、Mちゃんにだっていわないだけでいいたいことはある。それは間違いない。

Mちゃんに「本音がいえない、ってことは、逆にいえば本音があるってことでしょ? 本音がいえない、とか、意見がいえないって何度もいわれると、逆に「いいたいことがあるから聞いて」って聞こえるんだけど」と、いってみた。

Mちゃんは「言葉にするのは苦手だけど書くことならできる」と返してきた。Mちゃんはnoteにエッセイを投稿している。そしてその文章を読む限り「自分の意見」をちゃんと言葉にしている。彼女が感じていることをそのままエッセイにしている文章は特に私の好み。私たちはライティング講座で出会ったわけだし、彼女は書くことが好きな人だ。聞けば、Mちゃんは私たちが出会った講座以外のライティング講座で学んだこともあるという。それって「書くこと」が相当好きってことだよね。実際、ライティング講座でもいろいろな角度からトライして、私なんかにはとてもできない体当たり取材も敢行している。とにかくMちゃんは書くことにこだわっている。

Mちゃんと「書くこと」を結びつけているものは何かについて聞いてみた。

「人生で唯一褒められたことがあるのが、高校の時の文章の授業で。その先生は去年亡くなってしまったんだけど、私が提出する文章をよく褒めてくれて。歌人としてちょっと知られている女性で、先生に“書き続けなさい”っていってもらえたことがすごく嬉しくて、ずっと心に引っかかっていて。就活では出版社も受けたりしたけど、うまくいかなくて。でも書きたいっていう気持ちは残っていて……。先生に手紙を書いたりもしたし……。最後、先生の個展でお会いすることができたんだけど、私が何もできないうちに、先生、亡くなってしまって……」

「先生が“言葉は時空を超える”っておっしゃっていて、私も話すのが苦手で、恐れもあるけど、書くことなら自由になれるっていうか。それに言葉が人の心と心とか、時間とかを飛び越えていくみたいな感覚がやっぱり楽しいし、好きだなって」

ああ。Mちゃんは言葉が好きな人だ。
言葉が必要な人だ。
自分の意見もちゃんとある。すごくある。
それを大切にしたいから、ピッタリくる言葉を選ぶのに時間をかけているんだ。自分が選んだ言葉を大切にしたいから、それを簡単に見せることで、不本意に非難されたり、意見されたりしたくないんだ。私はそう感じて、嬉しくなった。

少し前に、Mちゃんは書いて発信することをやめようか悩んでいた。でもその時「人と比較したり、自分に自信が持てなかったりして発信することが怖いけれど自分を嫌いになりたくないから、ここから逃げない」と話してくれた。

私もここ数日、書いたり言葉にして発信することをやめようか悩んでいる。

でも、少し前にMちゃんが話してくれた「自分を嫌いになりたくないから逃げない」という言葉が、時空を超えて私の心に飛んできて、やっぱり続けようかな、続けたいよね、続けるしかないよね、と私の心の灯火になった。そして今、これを書いている。

その感謝を私はMちゃんに伝えた。Mちゃんの言葉が時空を越えて私に届いていることが、間違いなく私を救ってくれている。

人生は取るに足らないことばかり。でも時々、私の手や心を止める何かが、まるで暗闇に光る蛍のようにホワッと煌めくことがある。書くことが好きで、言葉が好きな私たちに「書くこと」の目的やゴールはない。ただ書きたいから書く。掬い上げなければ泡のように消えてしまう小さい何かを「言葉」にして「確かにある」と確認する。

発信ってなんだろう。インフルエンスってなんだろう。

もちろん書いて出す以上、多くの人に読んでもらえたら嬉しい。届いたら嬉しい。共感されたらすごく嬉しい。でもそれは結果に過ぎない。大事なことはまず言葉にすること。書いてみること。そこでは自由になれる。自分を偽る必要はない。

「書き続けなさい」

そんな言葉をプレゼントされているMちゃんがとても羨ましい。私だってそんなことをいわれたい。私の言葉を待っている人がいるかわからない。でも私は私のために書くしかない。

幸せなことに私は「書くこと」でご飯を食べさせてもらえている。でも私がこれまで書いてきたものの90%は何の目的もないただのゴミで、本当に消えてしまったものや捨ててしまったものばかり。でもそれをなんとも思わない。私は書きながら生きてきた。書きながら生きてきて、その結果、今の自分があることは間違いない。

私たちは書く。理由なんてない。頼まれてもいない。でも書く。書きたいから書く。書きながら生きていく。それでいいよね。そういう人がこの世界に私以外にもいる。きっともっとたくさんいる。それだけで嬉しい。

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