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ベルリンはいま、ジェントリフィケーションの終わりの季節を迎えている

ついつい夜中まで話し込んでしまうので、起床時間が遅くなる。昼ごろまでマキと彼女のパートナーのトーマスとキッチンでおしゃべりして過ごした。多くの人がもっと豊かにアートを鑑賞できるようになるために、ポップで楽しい消費的なカルチャーではないアートの本質に触れられるようになるために、何が必要かといったら、もっとダイレクトなコミニケーションやアンダーグラウンドのカルチャーシーンを豊かにしていくことだと、トーマスはいう。彼もアーティストなので、視点が面白い。日本で感じる現代アート周辺の課題は、ベルリンでも同様に存在しているそうだ。

午後はハンブルガー・バーンホフ現代美術館に出かけた。トーマスが展覧会設営の仕事で関わっていたりする、一押しの美術館だ。

もとは駅舎だった建物を活用した美術館で、全部作品をみるのに3時間はかかる。アンディ・ウォーホル作の毛沢東をコレクションしていることでも知られている。それにしても、毛沢東をはじめ、ここのウォーホル作品はとにかくでっかい。いわゆるミュージアムピースがゆったりと展示されていて、心地よい空間ができあがっていた。ヨーゼフ・ボイスのコレクションも充実している。

企画展としてHanne Darbovenというドイツ人の女性で、独特の手書きの譜面のような数字を連ねた作品で知られ、コンセプチュアルアートやミニマルアートの文脈を切り開いたアーティストの展示が行われたいた。

彼女の表現手法はソル・ルイットや河原温とも類似がみられ、そのつながりを読み解くために、両者の作品もまた展示されていて、味わい深い。

学生時代に河原を題材に論文を書いたが、この展示を観た後だったら、もっといい論文を書けたのにと、ちょっと悔しい。

また、この日は空間全体を使った表現手法、インスタレーションの歴史を読み解く展覧会もあり、興味深い。

広い空間を必要とするインスタレーションを、たっぷり鑑賞できるのは、巨大美術館ならではだ。空間に身を浸すことで感覚が気持ちよく開いていく。

ひとつ気がついたのは、日本人の若手アーティストが作品に取り入れているインスタレーションの手法は、すでに誰か他の人が実践していることがほとんどで、インスタレーション手法における表現手段は、そろそろ出尽くすのではないか、ということ。写真家の志賀理江子が丸亀市猪熊弦一郎美術館の個展で行っている、ポジフィルムの投影機を多数用いたインスタレーションも、Raimund Kummerが2012年にすでに実践している。なにも新しいことだけが重要ではないし、手法は似ていても表出される表現のあり方は随分とちがうのだが、先行事例を知っているとより深く作品を味わえるようになるものなのだ。

夕方に打ち合わせを終えたマキと合流して、ベルリンのサブカルチャーシーンを案内してもらう。

マキの「私がベルリンに来た10年前はこんなビルばっかりだった」という言葉を聞きながら、壁一面にびっしりとグラフィティが描かれた階段を登ると、そこは本屋さん。カルチャーシーンを伝える小さな出版社の本や、デザイングッズ、アーティストの作品を並べている。アーティストやクリエイターにとって、ベルリンの活動の出発地点となっているそうだ。

本屋の奥のギャラリーでは、メキシコで失踪した人の靴を素材に、靴裏に母親のメッセージを刻印してプリントした作品が展示されていた。

「いつもはポップな展示が多いから、これにはちょっとびっくりした」と、マキも私も心を掴まれてしまった。

夜はトーマスの友人のバンドも出るというので、ショコラティエというアパートでのイベントにでかけた。ものすごい数の人で賑わい、ベルリンのクリエイティブシーンの熱気と勢いを肌で感じさせられた。

聞けば、このビルはアーティストがスワップしてアトリエをつくった、ベルリンのクリエイティブシーンのもっとも早い時期から存在している場所で、ここ2、3年で急激に進んだジェントリフィケーションを、闘争により生き延びているのだとか。

このアパートの再開発反対運動には、何千という人が集まり周辺の道路を塞いだそうだ。ベルリンではいまや数少ないクリエイティブ拠点の、ひとつのアイコンになっているのだろう。

貧困地域にアーティストやクリエイターが暮らしながらアトリエを持って、豊かなカルチャーシーンを生み出し、次第に投資家がそのおしゃれなイメージに着目して参入するようになり、土地や建物を買い取って、街を刷新していく。そんな、世界中で起こっているジェントリフィケーションの有様を、マキやトーマスはベルリンで目撃しているのだ。そして、ベルリンはいま、ジェントリフィケーションの終わりに差し掛かっている。

私にとってのジェントリフィケーションは悪でしかなかった。しかし、ベルリンのシーンをみれば、アーティストだけではなく経済活動を行う人が流入してくることで、アーティストにも新たなチャンスが生まれる街になってきている。懐古主義的になりすぎずに、今あるシーンの中で着実にステップアップしていければいいのではないか、街も人も、移り変わりの中で、実力を蓄え、人とのコネクションを豊かにして、ベルリンをきっかけに、もっと世界を面白くしていける可能性を担保できれば、それはそれでいいのではないかと感じた。

「綾子はラッキーだったね。いまはこういうイベント、あんまりないよ。ベルリンの面白いシーンをみれたね」

と、マキもトーマスも、ビールで酔っ払ってご機嫌だ。

しかし、マキは「ジェントリフィケーションをポジティブに考えることなんてできない」と、頑なでもある。彼女は10年以上もベルリンに暮らしていたので、友人たちが街の移り変わりに心を痛めて去っていく姿を見てきたのだし、彼女自身もアトリエ難民になって苦労したりと、実体験としての痛みや辛さを、心にしっかりと刻んでいるようだ。

私のようなただの観光客には計り知れない、暮らしている人だけが獲得できる視点もある。マキの経験は貴重だ。

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