蛙化現象

 彼女は僕にとって確かに魅力的な存在だった。僕好みのアバターでいつも遊んでいて楽しかった。彼女に対して恋愛感情が無いと言えば嘘になるだろう。だがそれは実に曖昧なもので、それよりも羨望のほうが強かった。対等ではない、いつも恍惚として見上げる存在。そんな状態が心地良かった。しかし、もっと近付きたいというもどかしさもあった。もし彼女とフレンド以上の関係性になれたらと夢想することもあった。だが彼女とV睡して以降、彼女に自分がどう思われているかという不安と小さな嫌悪の感情が僕のなかに生まれた。夢見心地でウトウトしている彼女はいつものユーモアのある振る舞いとは違い、しおらしく僕に甘えてきた。僕に向けられた好意は本来喜ばしいもののはずなのに素直にそれに喜べない。彼女の甘えに応えなければいけない、彼女を満たしてあげなければいけない。そんな義務感が生まれ、ダラダラとリラックスできるはずの時間にどこか窮屈さを感じた。相手がリラックスすればそれが反響してこちらもリラックスするはずなのに、甘える彼女を愛おしいと思いながらあやすことは幸福な瞬間であるはずなのに、僕の身体からはノルアドレナリンが分泌され緊張が走る。他人の好意と甘えに対する返報に義務はない。そのはずなのに、返報性という心理作用は僕を義務感と緊張のとぐろで締付けてくる。何に緊張しているかも、何に不安を感じているのかもわからず、僕は彼女の頭を撫でる。いつも他人からの好意を渇望していた。しかし、いざそれが目の前に到来すると不安と倦怠感に苛まれる。これは一体なぜなのだろう。僕は他人からの好意を恐れているのだろうか。いつもそれに飢えていたのに。胸の渇きが潤されるとわかった瞬間に、潤いを拒絶して自ら進んで渇きのなかにダイブしたくなる。ダイブするとは言ってもそこには潜る対象となる液体も潤いも水位もない。カラカラに乾き切った無慈悲な大地が広がっている。そこに飛び込み全身を打ちつける。それは自傷行為だ。しかし僕にはそのほうが安心できた。愛、恋、好意といった潤いと癒しを与えてくれる次元に跳躍することは僕にとっては安息の地から飛び出すことになる。皮肉なことに僕は飢えと渇きに慣れてしまった。それが当たり前になってしまった。人間は定住に安心を抱く。それがどれだけ劣悪な環境であろうと、そこが住まいとなれば世界で最も居心地の良い都となる。僕は砂漠の大地を自分の住まいにしてしまった。だから、どれだけ水の豊富なオアシスに出向いてもそこは住まいではない。人間は自分の住まいではない場所に長く留まれない。まるで戦争神経症患者が戦場に還って行くように、ホームレスが保護施設から飛び出してまた路上生活に還るように、僕にとっては孤独が還る場所になってしまった。孤独を嫌悪しながら孤独を選んでしまう。僕は鬱病患者になってしまった。病に苦しめられながら治療を拒否し、自ら病を選んでしまう病人。僕が求めていたのは現実にある潤いではなく、妄想のなかにだけある幻の潤いだった。そう、僕が求めていたのは、僕が欲しかったのは、潤いに満たされた状態ではなく、世界のどこかにある理想の潤いを追いかけ続ける状態だったのだ。それはつまり今この瞬間。僕は既に欲しいものを手にしていたのだ。僕は手に入らないことを欲していたのだ。

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