仕事:もらっているけど、奪われる感覚?
「稼ぐ」と「もらう」の違い
複業がOKの会社なので、個人事業主ママ&会社員の仲間とランチミーティング(オンライン)をしたときのこと。
「会社員としてお給料をもらうこと」と、
「個人事業主として稼ぐこと」は、違うねという話をしていました。
みんな、両者で仕事をしているので、どちらの良い点もイマイチな点もわかっているし、ライフイベントの影響を受けて、タイミングによっても、自分の中で、そのバランスは変わってくるということを体験しています。
「この数年間は、子どもが大変な時期だったから、安定して もらうことが必要な時期だった」
「でも、落ち着いた今は、時間労働的な働き方の会社員は、そろそろいいかなぁ、、、」
「でも、自分で稼ぐって大変だよね~」
と。
私は、まだまだ会社員メインだけど、そこでの窮屈さもわかるし、一方で「個人事業主として稼ぐこと」の難しさも感じています。
「もらう」は奪うこと?
「もらう」というのは、まだソフトな表現だけど、仕事という作業をする代わりにその対価(見返り)として、お金をもらうことは、ある意味、「奪う」発想だと教えてもらったこともあります。
「”仕事=辛いこと、大変なこと”をするのだから、その対価がもらえないとやってられない」
そして、このもらう金額(給与)が、”辛いこと”、”大変なこと”として、自分が捧げた分に見合っているかということを、常に天秤にかけて量っている自分がいます。
「割に合っているか?」
「こんなにやってるんだから、もっともらっていいと思うだけど・・・」
「何ももらえないんだったら、これをあえてやらないよね・・・」
と。
お金の捉え方についての記事は、こちらでも書きましたが
「お金を払うからには見合うものが欲しい!」と、
逆のパターンでも同じ発想が出てきます。
そして、同時に奪われる
対価を「もらう」ことを、自覚的に「奪う」という感覚を持っている人は少ないかもしれません・・・
「あたりまえでしょ。お金ってそういうものだし、給与に限らず、等価交換だよね?」
私も、ずっとそういう風に捉えてきました。
でも、仕事が、少なからず "大変なこと”、”辛いこと” だとしたら、
同時に「奪われている」感覚はありませんか?
そう、
「見合わない」というのは、
「もらう=奪う」以上に、「奪われている」ということ。
もらっているけれど、奪われているのです。
ランチ会で、私たちはこの結論にいきついたのです。
確かに、振り返ってみると
外資系にいた時の給与は、今に比べれば、絶対額として1.2~1.3倍位、もらっていました。
でも、最終的には
”もらう” 以上に "奪われている" 感覚が強くなり
消耗しきってしまったのです。
この時の「奪われている」の感覚は、
長時間労働だったり、すごい負荷をかけられたり、
意味のあると思えないことにすごく労力をかけられている等、
割とわかりやすい奪われ方だったのですが、、、
でも、今のかなり緩めた本業(会社員)の働き方でも、
実は、この ”奪われている感” を感じてしまう自分がいるのです。
やっかいな「奪われ感」
今の会社が悪いということではないと思います。
一言でいうと
満たされない・・・
すご~く、不満があるわけでも、キツイわけでもないし、周りの人にも恵まれているし・・・
それでも、
「満たされない」と感じるところに、一定時間拘束されることが、時間を奪われている感じがしてしまうのです。
きっと、その時間があれば、今、もらっているお金以上のことを生み出せる
その可能性を潜在的に自分に感じているということなのかなぁ~
まだまだ、グルグルは続きそうです・・・><
『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』
最後までお読みいただきありがとうございました。