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名詩の絵本③/あやりの本棚

こんにちは!あやりです。

ウクライナでは地下シェルターで出産される女性が何人もいらっしゃるそうですね。今、夫の実家で子どもが産まれてくるのをのんびり待ちながらニュースを見ていると、平和の尊さを痛いほど感じます。

先月まで読み聞かせをしたいなと思ってどんな絵本がいいか必死に考えていたのですが、これって答えのない問題だなと思い当たって、私が声に出して読みたい本を一緒に読めばいいかという結論に達しました。
音読したい本という視点で探すと、私は物語より詩の方がリズムをつけたりして楽しく読めるな…と思い、詩集をいくつか揃えようかなと探しています。

今回は、引き続き『名詩の絵本』から、山之口貘さんの『畳』とサトウハチローさんの『母という字を書いてごらんなさい』と小池昌代さんの『ねこぼね』を取り上げます。

川口春美 編・鈴木えりん 絵『名詩の絵本』(ナツメ社、2009)

内容まとめ(315文字)
名詩の絵本は編者の川口晴美さんが、今を生きるわたしたちのリアルな感覚を揺さぶってくれるような作品を選んで作ったアンソロジーです。古今東西様々な人の100の詩が絵とともに紹介されています。4章に分けられていて各章にテーマがあります。第2章は「大切なひと つよい絆」です。家族を含めた大事な人との繋がりを思わせるものが集められています。山之口貘さんの『畳』は結婚生活の始まりについて、サトウハチローさんの『母という字を書いてごらんなさい』はお母さんについて、小池昌代さんの『ねこぼね』は愛猫について表現された作品です。3編とも大切な存在との繋がりがテーマになっています。


山之口貘さんの『畳』は新婚生活の始まりが表現されています。
何もなかった畳の上に、妻になった女、夫になった僕、桐箪笥や食器があらわれて新しい生活が始まっていく様子が想像できます。うるさいくらい賑やかで勢いのある詩です。演劇の一幕のような感じもします。

私と夫の生活は放蕩自堕落大学生のあるある、学校に近い恋人の家にいつの間にか住みついている。という感じで始まっているので、『畳』のようにある日その時から新婚生活が始まったわけではないのですが、何もないところに自分のものが次々置かれて、さあここから新生活が始まるのかと思う、あのきらきらわくわくした感覚はよくわかります。

昨年の新卒社員がうける研修合宿の時にも『畳』のような気持ちになりました。割り当てられた個室にスーツや文具、持ち込みのパソコンなどを置いたとき、今から3週間合宿が始まるんだ、社会人として設定された目標を達成するぞ!と気合が入ったのを覚えています。

今年入ってくる新卒の子も同じように思うんでしょうか。そもそも合宿がないかもしれませんが。
環境の変化や求められる振舞いが変わって辛い時もくるかもしれませんが、最後まで乗り越えられますようにと思っています。

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サトウハチローさんの『母という字を書いてごらんなさい』はお母さんについて表現された作品です。
母という字の話をしているのですが、自然とお母さんの様子がリンクして浮かんできます。

私は特に、”やさしいように見えて むづかしい字です”というところがすごく好きです。
私と母との関係は簡単なようでいて難しいところもあること。母にとって私を育てることは、私からは簡単なように見えるけど難しいことがたくさんあっただろうなということ。この2つをいっぺんに表しているように思ったからです。

私の母は、私がコソコソ何かやっていても詮索もせず好きなようにさせてくれました。何も禁止しないのであやりちゃんのお母さんはやさしいと友人達から言われていました。親の干渉から逃れようとする友人達の闘いと心の葛藤は他人事でした。一方で、母に遠慮しがちだったり、どう接したらいいかわからなかったり、いつもなんとなく不安だったりして、友人達の親子関係とは違った難しさがありました。
そんな感じで成長したので、10代の後半は特に、親というものはなんて簡単なんだろう、お金さえ出しておけば子供は勝手に育つじゃん。と思って好き放題やっていました。

でもそんなわけないんですよね。最近結婚したり妊娠したりして気づいたんですが、母が私を心配していないわけがないんですよ。母親自身の人生の選択肢を大きく変えて、その上手間もお金もかけて育てた存在なのに、不幸せになってしまったら最悪の気分だと思います。今ならめちゃめちゃわかります。心配する気持ちもあったけど、私が良いと思ってやっている事なんだからと、信用して見てるだけにしておいてくれてたんだなと思います。

私もいずれかの形の「母」になるチャンスがやってきています。楽しみです。一方で家族に関係する事は、努力次第の部分からどうにもならない部分まで、気になって気になって、不安でいっぱいです。でも親という役割は絶対に途中で諦めたくないという気持ちがあります。整った「母」は無理でも、形を変えながらなんとか読める「母」だけはキープするぞ!と思っています。

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小池昌代さんの『ねこぼね』は眠る前にねこを撫でた時の詩です。
ねこを撫でた時手に残った骨の感触から、これこそがねこだと確信して、ねこがねこぼねと表現されています。ねこが好きな人なら、いつかのどこかのねこを触った時の、あの愛おしくてあたたかい感じと、柔らかくたよりない感じを思い出すんじゃないかと思います。

私は大学生の時にねこ付きのシェアハウスに住んでいました。家賃が安いかわりに、大家さんのねこと暮らすことがマストのアパートです。
そこでずっと暮らしているメスのサバトラねこキートスがちょうどねこぼねだなというようなねこでした。
愛想のいい賢いねこで、お尻を叩かれるのが好きで、いつも毛の手入れをしているふわふわのねこでした。
『ねこぼね』を読むとキートスの背骨を撫でた時の感覚が思い出されます。

シェアハウスには、キートスともう1匹、キジトラねこのこてつがいたのですが、2匹は初めて一緒に暮らしたねこで、私にとって特別なねこです。こてつは2年前の3月25日に亡くなったのでもういませんが、キートスはシェアハウスに住んでいる後輩が世話をしています。
またいつかねこと一緒に暮らしたいです。


最後に読んだ日 2022/03/15
読むのにかかった時間 数分
書くのにかかった時間 3日

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