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「ひい祖母が紡いだ絹の反物と日本舞踊」様々な重心移動①

こんにちは。TENARI代表Ayari✼です。
私については、ぜひこちらへ↓

またお久しぶりのブログ更新となってしまいました。
さて、その間にまたいろんなことが起きました。

一つ目が、ippon blade インストラクターシステムから、暖簾分け・株分けとなり、インストラクター組織図からはAyari✼は卒業となりました!
詳細はこちらをご覧くださいませ。

これから、益々、(株)TENARIの事業と私自身の人生を深めて参ります!
もちろん、Ayari✼が新しく展開する新事業のippon bladeも、新たな展開を乞うご期待くださいませ♪

ippon bladeも新たにインストラクターが誕生しとても賑わっております。
今後もどうぞご愛顧の程、よろしくお願い致します。

二つ目が、日本舞踊の初舞台を踏ませていただきました!!

日本舞踊・龍邑流の舞台に立たせていただきました。


え?日本舞踊やってたの?っと思う方の方も多いですよね。
本当は、ブログに初舞台までの過程を綴っていきたかったのですが、言葉にするとそこで満足してしまいそうで、黙々とお稽古しておりました 笑。

そもそも、何故、日本舞踊?っというところからですが、着物を着るようになって約2年。

ippon bladeインストラクター仲間でもある「深呼吸着付け」考案者の奥かなこさんに着付けを習い、着物が普段着になって、着物の実用性に大感動した私は、どこまで着物で動けるんじゃい?っという研究のために、着物を着てippon bladeを履いてフルマラソンも走ったし、登山もしたし、なんならそのまま川遊びも当たり前にするようになりました。

普段着物生活どころか、スポーツの時だって着物が快適じゃないか!?っという着物の構造の「理」を心底体感して、もうそこで着物生活を満足した気になっていたんです。

しかし、、、

一反の真っ白な絹の反物が私の人生を変えることになりました。

それは、農家のひい祖母が絹糸を紡いで反物にしたもの。

「あんた、そんなに着物が好きなら、この反物を好きな色に染めて着物を仕立てたら?」そう言って母が約40年間箪笥に眠っていた反物を出してきてくれたのです。

ボロボロの包み紙に艶々の絹の反物

「孫たちのために残してくれたんだよ。」

その反物を見た瞬間、私が間髪入れずに心の中で思ったこと。

「この反物を着物にしたとしても、私は着るに値しない。」

もちろん、そんなに重く捉える必要もないし、そういった価値観が着物の敷居を高くしているんだから、とりあえず着てみればいいとも思うんです。

でも、昼間は農作業や重労働の家事をしながら、夜は手仕事をして約14メートルともなる長さになるまで紡いでくれた重厚感ある絹の反物には、人の想いやお蚕さんの働きがずっしりと記憶されており、そして何よりこの反物自体が、息を吹き込まれ世に出て行く日をじっくりと待つ胎児のように命が宿っている気がしました。

「着物は着る人を選ぶ」と着物好きの人は言うけれど、「布が人を選ぶ」という意味なのだと思います。

そして、「よし!この絹の反物で仕立てた着物が似合う人間になろう」そう決意したのです。

真っ先に、お顔が浮かんだのが日本舞踊家・龍邑桃先生。

桃先生とは、もう長年のお付き合いなのですが、どんな時も所作が本当に美しい方で日頃から所作のことを教えていただきたいと思っていた方です。

日本舞踊に興味はあったものの自分には程遠い世界。
日本舞踊を継続するのは難しいかもしれないけれど、美しい所作を身につけるためにまずは着物を着た時の身体の使い方の基礎たるものを教えていただこう。っと思い門を叩きました。

そこからが・・・もう、恥ずかしいぐらいの体験が始まりました。
まず扇子を開くにも手も細かく動かないし、いつの間にか大股になっちゃうし、胸元も踊っているうちにどんどんはだけてきちゃうし、着物で座ってご挨拶するということ自体が私の人生には全くなかったので、なんだか全てが可笑しいし恥ずかしい。剣道をやってたので袴で男勝りなご挨拶ならやってましたよ 笑

なんだか今の自分には、全てが滑稽・・・
それでも、何故かとっても楽しい!

所作とは、形を追うことではなく、そこに込められた相手を敬う心遣いや意味がきちんと込められていること。
仰々しくなるのは身体の使い方が不自然であるからで、体幹から末端に流れる導線がなされていれば、その人の個性が引き立つ自然で美しい所作になること。
だからその所作も、個性があって良いこと。

その一つひとつを紐解いて唄に合わせてつなげていくと踊りになる。
桃先生のお稽古はそんな感じのとても気さくなもので、点と点がつながっていくような物語を感じるものでした。

そんな風に楽しんでいるうちに、超初心者の私にも桃先生が舞台に立つことを勧めてくださり、では、せっかくならあの反物を染めて初舞台を踏ませていただこう。っということになったのです。
準備期間は約7ヶ月・・・笑。

桃先生が選んでくださった唄は、雰囲気がガラッと変わる西と東の端唄2曲。
説明するとまたえらい長文になるので、また違う記事で綴ります!

日々、ippon blade ランニングで重心移動で動いているので、自重を扱うのは少しは慣れているはずですが、日頃から長身を活かして伸び上がるランニングをしている私には、重力をグッと下半身に持ってきて膝を曲げたまま足の爪先を内側にして全身が上下しないように移動するのは、全く別の難しさがありました。

身体が新しい動きを神経で記憶していくまでに当然時間もかかったし、重心を低くしたまま、手に力を入れずに扇子を流れるように動かすのがこれまた難しい。ついつい肩や手に力が入ってしまうし、上半身と下半身がチグハグになってしまう・・・

ippon bladeランニングも、うまく走れていると感じる時は、やはりコントロールしようとする気持ちを手放してもっと身体の不随意的な反射に任せて走っている時。

そんな時は、軽くコントロールしておくぐらいであとは勝手に足が動いていく。

でも、そうなるまでに私は3年はかかったのだから、日本舞踊も最低でもそのぐらいは時間がかかるのだろう。

すぐにできるようになることを期待せず、かと言ってただ闇雲に稽古するだけでは時間は過ぎていくだけだし、研究と発見の過程を純粋に楽しんでいこう。

そんな風に考えると、ちょっと気持ちも軽くなり、何よりあの絹の反物がずっと見守ってくれているような気がした。

ありがとう、ひいおばあちゃん。
天国で、見ていてくれているんだね!
記憶には薄いけれど、私がまだ小さい頃に縁側でいつも手仕事していたよね。

ひい祖母は私に、絹の反物を残してくれました。

そのひい祖母の娘である私の祖母は和裁士で、女手一つで母を育てあげた強い女性でした。だから、いつもいつも追われるように着物を縫っている人でした。

糸が紡いでいく女たちの人生。
糸を入れた「綾」という私の名前。

和裁士の祖母は、去年の夏に99歳という長寿で亡くなりました。
本当なら、ひい祖母が紡いだ反物を祖母が私のために仕立てたかったよね。

色々と、大切なことに気づくまでに、私は随分と時間がかかってしまったんだねぇ。

人生とは儚いね・・・

空を見上げると、さらに儚く、その儚さがまた心の中に火を灯してくれたような暖かさをじんわりと感じた。


▶︎次の記事につづく

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<告知>

■日本舞踊家・龍邑桃先生を講師にお招きして「日本舞踊から学ぶ「日本人の美しい基本所作」講座をオンラインにて行います!
TENARIのWSなどを受講したことのある方限定になりますが、一般募集が5月12日(金)〜5月14日(日)までありますので、ぜひご応募お待ちしています。

■袋井市の法多山尊永寺にて、イロトリドリ〜あなたの知らない浜松注染の世界〜
が開催されます。

そちらでも、日本舞踊・龍邑流が出演させていただくことになりました。
なんと、舞踊家の大前光市さんも出演されます。
お二人の舞台は前衛的で心に残る素晴らしい舞台ですので、ぜひ観にきてください♪世界が確実に広がります!
↓大前光市さんのブログはこちら


■来たる5月28日(日)浜松市北区細江町気賀
みをつくし文化センターにて初心者向けと経験者向けに分けてワークショップを開催します!
こちらも、ippon blade代表小平天氏とAyari✼のコラボWSとなりますので、様々なバリエーションが飛び出すはずです♪
この日だけの化学反応をぜひ楽しんでください。

■待望の「疲れない動けるからだになるTENARIオンラインスクール生」13期生募集を5月後半にします♪
オンラインレッスンという概念を超えた体験がここでは待ってます。
ぜひ、エントリーお待ちしてます!


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