読書日記:「妻を失う」

芸術に触れるとき、いつもそのアーティストのミューズやパートナーのことが気になる。創作の原動力であり、インスピレーションの源であり、生活をともにした愛する人。ダリにとってのガラ、藤田嗣治にとってのユキやそのほかの4人の妻たちなど。私はなぜかそうした親密な関係、特に男性が愛した女性のことが気になってしまう。そしてすごくひかれる。この本は私の関心にとてもヒットした本だ。

「妻を失う」は妻に先立たれた9人の作家の”妻への別れの言葉”を収めたアンソロジー。冒頭に収録されている高村光太郎の「智恵子の半生」は以前から好きな作品だ。最近、梯 久美子さんの「原民喜 死と愛と孤独の肖像」を読んで、原民喜と妻の貞恵の関係性も私の琴線に触れたことがきっかけでこの本を手に取った。いや、もうこのタイトル自体が私の琴線をダイレクトに刺激している。

いつもの喫茶店で冒頭の「智恵子の半生」を再読して後、その世界に引き込まれて、光太郎と智恵子の関係に憧れる気持ちと愛する智恵子を失った光太郎のどうしようもない喪失感を思うと現実に帰ってこれなくなりそうだった。ふと顔を上げて店内を見渡して、タバコの煙とジャズの音楽、お客さん同士のおしゃべりやコーヒーを淹れる音など、いつものお店の情景がそこにちゃんと存在してることを確かめて、ページをパラパラめくっていると批評家の江藤 淳の「妻と私」で手が止まった。「五月二十日の午後六時半頃であった。平成十年のことである」の書き出しで始まる冒頭。「智恵子の半生」と違って、20年前に書かれていて、読みやすい現代の言葉で書かれていたのでなんとなくそのまま読み進めた。妻の慶子がある日、末期癌で医師から余命宣告を受ける。著者の江藤は、そのことを妻に告げないことを選択し、妻とともに闘病生活に入る。肺で発病した腫瘍がすでに脳に転移しており、気づいたときにはすでに手遅れだった。その病床と妻との残りの時間をどのように過ごしたかが綴られたエッセイなのだけれど、妻の病状は少しずつ悪くなっていく。この作品で印象的だったのが、「日常の時間」と「生と死の時間」の存在だった。

「日常の時間」
”大学で授業に没頭しているときや、研究室で調べものをしているときはよい。他の大学や研究機関の人々と、学外で研究会を開いている時もよかった。時間の経過を意識せずに済むからである。だが、乗り物に乗って移動をはじめるたびに、時間はにわかにその露わな姿を現す。そしてその時間と自分が競争していることが、意識にのぼりはじめる。
一刻も早く、この時間から逃れたい。そして、日常的な時間のなかに戻りたい。(中略)時間の露わな姿に自分を直面させているのは家内の病気なのに、その家内が保証しているものこそが日常的な時間そのものなのである。だからこそ、玄関のチャイムを鳴らして扉が開き、家内と犬が出てくるのを見ると、その瞬間に安堵が胸に広がり、私はたちまち日常的な時間に身を託すことができる。それがいかに一時の錯覚で、数ヶ月後には自分から奪われてしまうものだと自覚していても。”

「生と死の時間」
家内と私のあいだに流れているのは、日常的な時間ではなかった。それはいわば、生と死の時間とでもいうべきものであった。
日常的な時間のほうは、窓の外の遠くに見える首都高速道路を走る車の流れと一緒に流れている。しかし、生と死の時間の方は、こうして家内のそばにいる限りは、果たして流れているのかどうかもよくわからない。それはあるいは、なみなみと湛えられて停滞しているのかも知れない。だが、家内と一緒にこの流れているのか停まっているのか定かでない時間のなかにいることが何と甘美な経験であることか。
この時間は、余儀ない用事で病室を離れたりすると、たちまち砂時計の砂のように崩れはじめる。けれども、家内の病床の脇に帰り着いて、しびれていない方の左手を握りしめると、再び山奥の湖のような静けさを取り戻して、二人のあいだをひたひたと満たしてくれる。(中略)

何気ない日常の時間が本当はかけがえのないものであることが際立たつ表現。愛する人の死が遠いところにあったとしても、実際には日常の時間は砂時計のように流れていて、いつかは生と死の砂時計に変わる。私たちはそれを幸か不幸か、普段は意識せずに生活していられるだけだ。でもある日、その時がやってきて砂時計の砂が崩れ始めるのだ。愛する人の手をとって、そのぬくもりを感じながら、心が湖の水面のように穏やかになっていく。そんな何でもない時間を日常の時間のなかではついつい後回しにして、仕事や雑事に追われてしまう。でもこういう静かな時間こそ、本当はいちばん大切で日常の中で忘れたくないものだ。愛する人がどんな手をしているか、その手の感触を思い出せるか? 思い出せなかったら今夜、その手をとって、そのあたたかなぬくもりがここにちゃんとあることを感じてそして、明日もそのぬくもりがここにあるだろうことに感謝しなくてはと思う。

過酷な闘病生活の中にふと心が和むシーンがある。江藤が看病のために仮住まいしているホテルで用意してもらうランチボックス・「コロスケ・ランチ」のエピソードだ。用意してもらうランチボックスは、いちごジャムとバターを挟んだサンドウィッチとピクルス、それに茹で卵2つという簡素なもの。江藤と妻には共通の幼少期の思い出マンガ「子熊のコロスケ」という作品があって、作中ではコロスケがいちごジャムを塗ったパンを美味しそうに食べるシーンが描写されていて、二人ともそれが鮮明に記憶に残っていた。それに由来して江藤はこのランチボックスのことを「コロスケ・ランチ」と呼んでいて、毎日そのランチボックスを携えて妻の病室を訪れるのだ。
これまでお弁当を作ってくれていた妻が病に倒れて、お弁当を作ってくれる人がいなくなって、今はホテルの人が用意してくれる簡素なランチボックスを持っていく。何だかその寂寥感とそれに反してやけにキュートなネーミングにもっと切なくなった。喫茶店の帰りにお腹は空いていなかったけれど、無性にいちごジャムが食べたくなって、スーパーに寄って、食パンといちごジャムを買って帰った。甘くて切ない味がした。

読み進めるうちにふと、この話が平成10年の出来事なら作者の江藤は今どうしているのか気になって、巻末の作者紹介を見てみた。すると江藤は、妻が亡くなった翌年、平成11年に亡くなっていた。妻とは違って健康だったはずの江藤がどうして翌年に亡くなってしまうの? 驚いてネットで検索すると、その死因は自殺だった。妻の遺骨を青山霊園に納骨した2ヶ月後、脳卒中で倒れた江藤は、自らが形骸になったとして自宅で手首を切って亡くなったそうだ。妻のあとを追うような死。「妻と私」は客観的・冷静な視点で描かれているが、妻の死を見送った江藤は、その時間の中で自らも病に冒されていったし、妻の支えを失ったことは江藤にとって大きな喪失だったのだろう。妻を失って、自らもバランスを崩して妻の死後、半年強で自らも妻のもとへと旅立った。その終わりを知って、胸がぎゅうっと締め付けられた。江藤のその悲しみを思えば思うほど、最愛の妻を失う悲しみは、言葉では言い尽くせない出来事だ。そして妻を失う(もしくは夫を失う)ことは、夫婦の数だけ今日もこの世界のどこかで起こっている。それが数多ある出来事の一つであっても、当事者にとってそれは大きな空白を生む出来事だ。
《私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の寂しさに深くぶつかって見ることが出来る。小さなことが小さなことではない。大きなことが大きなことではない。それは心一つだ。》本当にそう思う。

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