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「映画一本分歯磨きを続けた #me too」

※当事者の方(虐待、性被害)は無理のない範囲でお読み下さいね。


本日、2021年11月28日(日)、

午後から「オレンジリボン運動

【第19回 子どもの虐待死を悼み 命を讃える市民集会】がオンラインでも観ることができました。

オレンジリボン運動とは・・・「児童虐待防止全国ネットワークは、
虐待防止のシンボルマーク、オレンジリボンを掲げ、子ども虐待のない社会の実現を目指す」活動をされています。

虐待死…。たった一人でもいたら駄目なんです。これは一家庭の問題ではなく、社会全体の問題なのです。社会から虐待死を出してしまった…。

第一部と第二部でわかれていますが、是非最後まで聴いて頂きたい。

私自身、もう大人なので、子どもを守る権利ではなく義務があります。どれだけあの頃助けてほしかったか…。子どもだったあの頃、どうして?どうしてこんなに痛いことされるの?苦しいの?…そう思って、大人からの助けを待っていました。

でも、待っているだけでは…何も変わらなかった…。

子どもだった私を助けてくれる大人は誰ひとりとして居なかった。私のような子ども、そして時が来て、自動的に大人となり、テレビで虐待の文字を見る度に胸が痛くなります。

自分の記憶とリンクしてしまう。


保護され、社会的養護の中で育っても、施設の中で事件があることもニュースで分かります。資格も持って、働いて…子どもを守るべき場所で…そういった悲しい事件が起きる…。

保護された方がよかったのか…

それとも

保護されない方がよいのか…


大人になった今でも、毎日考えます。


保護されず、私は18歳になってから家を飛び出しました。社会の風はとても冷たくて…、乗り越えるには法律の壁が高すぎて…、どうしようもなくて、私は実家に自らの足で帰りました。


それから私は、仕事をかけもちしたり、夢(夢が何だったのか忘れました。)を叶えるために外に出たり。

「虐待などない…。」

「虐待って何?」

そう心に言い聞かせて、生きてきました。

でもそれは、私の本音ではありません。逃げている間。親の知人から「親を訴えるなんておかしい。」「親不孝ものすぎる」「親がかわいそう。」「被害届けは出さないであげて。」「お父さんもお母さんも心配してる…。携帯電話料金が10万円超えてるって。どこかに相談してるんでしょ?もうやめなさい。」そう電話で言われました。

これは、一般人から言われたわけじゃない。…書けない。

そう、

実家に帰る一歩手前。

最終的に電話したのは、高校1年の時の担任の携帯電話でした。

「もしもし?あんた誰に電話してるかわかってる?」

高校時代に途中から部活の顧問となった先生で「仕方なく番号教えるだけでほんま電話してこんとってや」とは言われていて、この日はじめて電話した。

泣きながら事情を説明し、「参観日にくる親がそんなことしない」と言われ、「子ども生んだの分かってるやろ?子ども一人面倒みるのに大変だから何もしてあげられん」そう言われ、電話を切りました。


大人になって「親を訴えますか?」「被害届けを出しますか?」「警察に相談に行きましょう」そう言われ、もの凄く複雑な気持ちになります。

親を訴えるなら私は「警察も役所も弁護士も訴える」。

いくら児童では無くなったと言っても、当時の私は18歳の未成年でした。何をするにも親の許可が必要…。家を出てから生きていくのに、バイトの面接にも行きました。「親御さんはバイトはOK?」そう尋ねられる度に、ドキッとして。

「親は…いません…ここで働かせてください!」って頼むしかなかった。(今思い出すと千と千尋の神隠しの千の台詞じゃん…。しかし、私は精神的にもう崩壊してしまい、全てを諦め実家に帰ります。)



月日は流れ・・・

そして、働くことで自分をカモフラージュして、

最近会った女性がこう言ってました。「なんで自分ってこんなにも被害を受けるんだろ?何か悪いことでもしたんかなぁ!って思う。」


私もつい数年前まではそう思っていました。

しかし、

私はずっと自分を「スラム街」にいるんだ。

スラム街の中心に住んでいて、そこから外の世界へ一歩一歩・・・安全な場所へ一歩一歩。


亀のようなスピードかもしれない。けど、きっと安全な場所に進んでいるんだ…。そう今でも思っています。


安全・安心な街に行く道中、沢山の出来事が起きます。


精神科に通院し、薬の副作用にも慣れてきた頃、やっとアルバイトに行くことも出来るようになりました。それ以前の仕事は、完璧に「動かないと自分が壊れる」そう思っていたと思います。(完全なる心を無にする。)


スラム街は危険がいっぱい。


バイト先で、今思えば…おかしな点はありました。(その時は気付かない。)

職場の数人がグルとなって、性犯罪を行っていたこと。その被害者は私だけではないこと。

でも、社会的にもかなり信用がある仕事&役職の方もグルだったんです。


そんな中、安心し頼ることはできますか?

・・・できません。今でもできません。

もし、私が今、どんな犯罪に巻き込まれても警察には被害届け?出しません。できません。
(そう思うくらいあの出来事たちが強烈だったんだと思います。皆様は警察に助けを必要な時は求めて下さいね!スミマセン、矛盾しすぎ…)


何のために資格を持ったのですか?

何のために人を助ける仕事についたのですか?

何のためにそこまでいく地位をとったのですか?プライドですか?

お金ですか?安定したお金を手に入れることが出来る仕事に就きたかったのですか?


全員がそうでないことは分かっています。

けど、「心の傷」ってそう簡単に回復しないんです。


私はバイト先で性暴力を受け、その後も仕事先で性暴力に遭い、バイト先で受けた性被害については、当時月1くらいで行っていた無料のカウンセリングで、男性のカウンセラーに何の感情もなく話しました。2時間くらい…かかって話したと思います。被害と思って相談したわけじゃありません。つい最近出来た出来事について話しをしただけです。

全てを聴いたカウンセラーは最後に「許せない。少し待っててね」そう言って1階の事務室に行き、紙を渡してくれました。

女性の為の相談窓口。


しかし、私は相談していません。話したところでどうなるんだろう…。

相談する気は1%も無かった。

大人の権力がどれほど怖いかを知っていたから。訴えても無意味だと思っていました。今もそう思っています。(カウンセラーはプライバシーを守ってくれると思っているので、他の窓口よりも私は話しやすいです。)


バイトを辞め、暫くしてとあるチェーン店に入った時、

レジの女性が私のことを名前で呼んでいて、「え?」。あ…あのバイト先にいた先輩だ。凄く綺麗な方で、おとなしく上品な感じの方。


彼女はバイトを終えると私が座っていたテーブルに来て、凄く泣きそうな顔をしていて…。

何も深い内容はお互いに話さなかった。けれど、私たち2人がその人から性暴力を受けた被害者であることはお互いに空気で感じ取っていました。

「やばいよね…もうこれ以上被害者は出したくないよね…」そう2人で語ったのは記憶にあります。彼女は泣いていたけれど、私は涙ひとつ出ませんでした。

その男は妻子持ち。単身赴任中。それに気付いたのは、その男性の部屋の洗面所を使った時でした。歯ブラシが2本、そして子ども用の歯ブラシが2本。それを見た時、私は…その場にしゃがみ込んだ。

「…いいんですか?こんなことしてて…奥さんが知ったらどういう気持ちになると思いますか?」と聞きました。

「亭主関白で留守がいいってゆーだろ?金さえ渡せばそれでいい。結婚なんてそんなもんだ。」そう返されました。


私がその男の家にいたのは、おそらくレイプドラッグ。居酒屋で仕込まれたのはほぼ確定だと思います。その「いつものやつ出しておいて」その言葉で、目の前に出された飲み物を飲んでから、記憶がありません。どうやってその人の家に行ったのかも…。全く記憶がありません。


私は普段から睡眠薬を飲んでいたので思ったより早く目が覚めたらしくて「もう起きたのか!」と驚かれたところから始まりました。

もう10年…今年で時効は過ぎてしまいました。

今でも何をされたのか、しっかり覚えています。でも、不思議なことにあなたの顔は思い出せるのに、名前が分かりません。


そして、時が過ぎて…

これはまだ時効は過ぎていません。しかし、証拠が無い為、被害届けを出すことは出来ても、裁判まではいかない…。


時効は過ぎていないのに、証拠がない…だから、意味がない…。

その時の行為から私は、1時間以上歯を磨いたり…。何度も何度も磨く行為が…今でも続いています。

気持ち悪いとか…そういうのではないかもしれない…。

時には時間が許すかぎり2時間近く磨いたりもしています。映画一本分。

気付いたら映画が終わっているので、そのくらいの時間ずっと磨いていたことになります。


でも、これも私だけではない…どうしよう…言った方がいいのかもしれない…。

被害を受けたという内容は言えませんでした。

ただ「電話とかしつこくて…」と仕事関係の人に話しました。

「そんなことで…」と鼻で笑われました。そうですよね…だって、全て話していないですし。電話くらいで!ってなりますよね。

でも、自然とその性暴力をした人はフェードアウトしていきました。


しかし、たまにその人の名前が仕事場の中で出る時があります。私はただただ、心の中にある葛藤を自分の中で置き換える作業をする。そして、笑顔という仮面を被る。そして、家に帰って自分一人で抱え込んで、しんどくなる…。もう居なくなりたい…そうも思います。


すぐに警察に被害届けを出せば、解決していたのですか?


昔住んでいた家の前は痴漢が多くて割と有名だったらしいのですが、玄関前で急に襲われた時、私は声も出ず、その日すぐにシャワーを浴びました。そして、誰にも言わず、部屋でずっと泣いていました。(痴漢多発注意という看板は見かけたことがあります。その看板があっても、そこを通らないといけないわけで…。どこどこの大学生だろうな…と、後から思っています。)


どこに居ても、そういう環境が自分にまとわりついているのが、もう嫌になったのだと思います。


被害届けを出さなかったことで「加害者を野放しにしてしまった罪悪感」も性被害を受けた人は背負います。凄く重たくて苦しくて…負けそうな時もあります。ギリギリのラインで生きています。


被害届けを出したら、加害者は性加害者認定になりますか?してくれるのですか?海外のようにGPSとかつけてくれるのですか?


親から愛を受けることなく育つと、スラム街の中心から出発する。

中心から光りが見えた時、そこに行きたいって思う。きっとあの光りは希望なのだと。しかし、日が昇ると…その光りは太陽の灯りで見えなくなります。人混みにまた紛れてしまい、何処の方角に光りがあったのかも分からなくなります。

道中で沢山の人と出会います。スラム街の中なので、助けてくれる人はいません。間違って付いて行くと余計に傷を増やしてしまいます。

危険がいっぱいです。

人が居なくなり、夜になると再び光りが見えます。あぁ…あっちだったんだ…。

でも、光りというものは時々意地悪をします。


目の前にたどり着いた時、突然光りが消えてしまう。一度くらいなら「…違う光りをもう一度探そう…」そう思って、次の光りを探し、光りの方へ再び歩きだします。

そしてまた悪戯が大好きな光りは、目の前で消えます。

何度も何度も光りを求め、歩き続け…、もう諦めてしまおう。

全ての光りを…もう掴むこともなく、ずっとこの地で…。


「外の世界ってどんなのだろう…。楽しそうな音がする。笑い声がする。きっと幸せな世界なんだろうな…。」

そう夢を見て、今夜もスラム街で眠りにつくのだろう。



児童虐待は大人になってからも、人生に大きく影響を及ぼします。

私の場合はまだ、教師から褒められることがあったから、ここまで生きる力があったのかもしれない。

虐待というのは、受けたことのない方には理解できない。そのくらい深刻な影響を生涯背負い続ける。

児童虐待被害者支援法がないこの国。


カウンセリングというのも一回や二回で終わるわけじゃありません。保険も適応外ですので、凄い費用がかかります。働くことができる状態ならば、月1や月2は払えるかもしれません。

カウンセリングや通院費用を稼ぐ為に、仕事をするのかもしれません。

今の時代、インスタ映えって言葉があり、自分の趣味にお金を費やす人も多い。しかし、それすらも出来ない。


児童期にまともな支援や援助を受けることができなく、大人になってからも虐待による後遺症に苦しむ。病院代、カウンセリング代、そこまで行く交通費…。虐待が無ければ、そのような費用も必要がない。


虐待を見抜くことも出来ず、

知識や対応力がなく、人手不足もあることでしょう…。

2022年4月1日から18歳になるともう成人になります。

子どものうちに、児童のうちに。

その子その子にとった心身共にケアを。


あと…、虐待を受けているかもしれない子ども、DVを受けているかもしれない大人…中には、心臓よりも高い位置に手や腕をあげているかもしれません。

暴力を受け、手に支障が出ている場合、

自然と痛みをカバーするために、腕を心臓よりも高い位置にあげているかもしれません。


こう…、経験があるから語れる。それが、虐待サバイバー。

今夜も年齢や性別関係なく、光りを求め歩き出す人が沢山いることでしょう。どうか、その光りが本物でありますように。

https://chng.it/7V8LQhK9zW 

虐待でトラウマ(心的外傷)を受けたすべての人が適切な治療を受けられることを求め、被害者たちがウェブ上で署名を集めている。



私も羽場さんと同じ結論に至り、同時に虐待被害者支援法を訴える活動をしている一人(発起人ではなく、Voiceとして。)
多くの虐待サバイバーも全国的に声をあげています。



※最近、若い子に「あ!Voiceさんだ!」と言われ、

Voiceって呼ばれているんだ!とちょっと驚きました。

「了解!」も「りょ」「り」と略さる時代。

「J-Voice」と略します!!笑

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