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民間宇宙旅行事業は世界平和に繋がる!と思う話

矢内綾乃@リケ女社長です。

明けましておめでとうございます。

みなさんは、どのように年を越されましたか?

子供の頃は、どのような年越しをしていましたか?

子供の頃、私と姉の間では、年を越す瞬間に一番得意になりたい分野の『勉強をする』というのが流行っていました。

但し、23:45 に準備を始め、24:15 くらいまでしかやらないので、正味1時間もやっていないのですけれど(^_^;)

私は、10代の頃は宇宙飛行士に憧れ、20代の頃には、『宇宙旅行代理店をやりたい』という夢がありました。


宇宙飛行士に憧れる10代

中学生の時に本屋さんで手にとって読んだ「宇宙論がわかる」という本に刺激されて、物理の分野に進みまして、とても興味がありました。


北海道大学の物理工学系に入学した年には、大学の講演に、宇宙飛行士の毛利衛さんが来ていました。

毛利衛さんは、北海道の余市町出身で、北大の卒業生なのだそうです。


入学式から5年の月日が経ち(大学院まで進んだため)、就職活動の時期には、クラーク会館でたまたま見つけたNASDA(現JAXA)の入社試験に応募して、1次面接に通りました。

熱意が伝わったのでしょうか。

そして、浜松町にある貿易センタービルでの2次試験がわからなすぎて、すごすごと帰った記憶がいまでも鮮明です。

対策をするツテがあったわけでもなく、ぶっつけ本番で行った私ですが、数学と物理の問題が英語で出るとは思っていませんでした。

今思えば、JAXAのレベルならそういうものなのでしょうが、挫折感にも程遠い(「そうだよね、、、たいして人一倍の努力とかをしたわけでもなかった私が、合格するほど世の中甘くないよね、、、」)という諦めにも似た納得の感情でした。

ただ悔しかったのは、物理の問題が、研究室の助教授のお気に入りの電磁場の証明問題で、その先生が大好きだったので、それだけでもしっかりやっておけば、ミラクルが起こっていたかもしれません。

そんなこんなで、「もしも、受かってJAXA勤務していたら、、、」を妄想したこともあります。

妄想して思ったことは、よしんば受かったとしても、その中で宇宙に行けるのも数万分の1くらいの確率でしょう。

そして、行けたとしても、それ以外の日常は、業務議事録やら、システム設計やら、プログラミングやら、論文やら、、、作業とマネジメントの日々が淡々と数十年続くんだろうな、と思うと、結局は受かった後も死ぬほど努力をし、そして才能と能力のある者だけが宇宙にいけるんだろうな、と思いました。

JAXAの宇宙飛行士は、遊びではなく、仕事で行くのですから、業務があるでしょう。

結論、私のような中途半端な宇宙への憧れがある人間は、旅行で行くのがベストだ!と自分を納得させたのが懐かしいです。

、、、旅行でも凄いことですけど!!!

最近でいうと、事業で大成功し、そして夢を叶えてしまった前澤友作さん。

凄いです。

夢を本当に叶えるということ自体が、かっこいいと思います。


宇宙旅行代理店に憧れる20代

大学を卒業して、NEC半導体事業部の先端技術開発グループに配属され、3年ほど経ったときです。

特に将来の目標や夢があるわけではなく、会社から課せられた業務が難しすぎて、同じグループの方々に散々迷惑をかけながら、やっとの思いで日々をこなしていました。

出社し、午前中はメールチェックと問い合わせ対応。
午後は全社員が特許を年に3本出すということで、過去の特許検索と弁理士さんとのやりとり。
定時後に自分の業務であるツール開発、月に一回は先端技術開発書の読み合わせ発表会、、、と、凡人な私にとっては、ついていくのが精一杯な毎日でした。

技術者としてスペシャリストになりたい気持ちはありましたが、このまま行くと、女性らしいライフスタイルを味わうことはないんじゃないかな、、、?という不安を抱きだした時期でもありました。

どこまでいってもついて行くのが精一杯の状況がこのまま続いて、出産、子育て、家族や友達との旅行はあり得るのだろうか、、、と。

そんな中で、一人の経営者さんとの出会いがあったのです。

F経営者さん 「あやのちゃんは、この先の目標あるの?」と聞かれました。

私 「・・・3年後には主任になれてたらいいですね、、、。」

F経営者さん 「あやのちゃんの人生の目標は、主任なんや? それは、会社のための目標設定やないの?」

私 「!!!(答えられず、直面。)」

F経営者さん 「子供の頃に、こんな将来にしたいな、って夢とかなかったの?」

私 「しいていうなら、宇宙飛行士ですかねぇ。」

F経営者さん 「!。仕事で行くのは難しいけど、経営者さんで成功して、旅行でいった人はおるで!」

私 「!!!(無言だけど、とても可能性を感じた瞬間)」

その出会いから、旅行でいけたら良いなぁと思うようになりました。

更には、宇宙旅行代理店を経営して、沢山の民間人が宇宙旅行に行けるようになったら、『こんな新時代をもたらすことができるんじゃないかな』と思うようになりました。

それは、アメリカ元副大統領のアル・ゴア氏の生い立ちをテーマにした、『不都合な真実』を見たときに湧いたインスピレーションです。


意思決定権のある人が動くと、世界が動く

アル・ゴア氏が、宇宙に近い空間から地球を見た時に、青い地球ではなく、オゾン層が破壊され、砂漠が進行し、茶色くなりゆく地球を見て衝撃を受けたという逸話があります。

そして、戻ってきた年にすぐ、ISO関連の二酸化炭素排出量削減に着手したそうです。

それまでどんなに個人が工業汚染問題を訴えても、デモ活動をしても、変わらなかった産業世界が、世界レベルで意思決定権のある人が動くことで、変化したのです。

つまり、そうした国・企業・法の意思決定権を持つ人が数多く宇宙旅行に行くことで『百聞は一見にしかず』な体験をすれば、地球環境を守る方面での法整備は劇的に進むのではないかな、と考えました。


リアルな地球に国境は書かれていない

二つ目は、『国境は無い』ということを目の当たりにすることで、体感を伴って世界は一つだと認識するようになるということです。

子供の頃から、歴史や地理の教科書には国境線が描かれています。

しかし、真実としては、地球には国境線は描かれていません。人間が勝手に引いたにすぎないのです。

そのことを『百聞は一見にしかず』な体験をする人が増えれば、戦争は減るのではないかな、と思うのです。


まとめ(あやのさんのチャレンジ!)

ちなみに、前述の出会いをきっかけに、経営の道を志し、技術系ではなく、人材育成や、店舗支援をメインに基盤を作り、女性らしいライフスタイルを優先して、仕事をしてきました。

それなりの結果になり始め、生活が安定し、出産と子育てがひと段落してから、数年前のことになりますが、ロシアからMIG戦闘機に乗って、宇宙空間とまではいきませんが、成層圏までは行くことができました!

地球が丸く見える経験は感動的でしたし、確かに国境線はありませんでした。


私のような一民間人が妄想していても世界はすぐには変わらないかもしれませんが、これまでも、これからも、出会うチャンスや人のご縁に自分の使命を見出して、チャレンジして行きたいです。


今現在取り組んでいる試みとしては、地球環境を配慮した、自然由来とエシカルをコンセプトにしたセレクトショップ natural style BIO SOPRA Tokyo を経営しています。このお店を起点として、エシカルやオーガニックに拘ったライフスタイルを提案することで東京の生活排水をキレイにし、東京湾の海水を海底や魚が見えるくらい透明にしたい!!という想いがあります。

できることを、一歩一歩しっかりと全うして行こうと思います。


本日の格言:

「早く行きたいのなら、一人で行きなさい」 「遠くに行きたいのなら、一緒に行きなさい」
アル・ゴア氏がスピーチで引用した、あるアフリカの古い ことわざ





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