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愛ちゃんを探しています

 私、愛ちゃんを探しているんです。今、愛ちゃんに会いたくて、会っていろんな話がしたくて、誰か愛ちゃんを知りませんか?

 1999年、南半球アルゼンチン・パタゴニア地方バリローチェ。アルゼンチンで日本語教師ボランティアをしていた私は、一人夏休みを利用して隣国チリに陸路で向かおうとしていた。
 さすが南米のスイスと呼ばれる観光地、絵葉書まんまの山並み、街並み。せっかく来たのだから観光もしておきたいと、現地バスツアーに申し込んだ。国立公園に指定されている森や湖を見て回る。参加者は、現地アルゼンチン人や近隣諸国のスペイン語話者、それと北米、ヨーロッパ、アジア圏の
英語を話す人々だった。現地男性ガイドはスペイン語、その後に英語を話し説明していった。ガイドの口元がよく見えるように、よく聞き取れるように私はバスの前方の席に座った。
 
 私のスペイン語は酷かった。アルゼンチンに滞在して丸2年が過ぎようとしているのに、あまり上達していない。それもそのはずで、私が派遣された場所は日系人移住地にある日本語学校だったからだ。移住地には戦後日本から移住された1世、その後アルゼンチンで生まれた2世、3世が暮らしていた。移住地内は日本語だけでも十分生活できるし、貴重な日本語ネイティブスピーカーの私に、スペイン語で話しかけてくる人はほとんどいない。このままではいけないと頑張ってスペイン語で話し掛けても、意思の疎通が出来ずに終わり、結局日本語に戻ってしまうのだった。悲しいかな私のスペイン語は、日本を出国した時とほぼ変わらないレベルに停滞したままだった。
 
 そんなわけでスペイン語の後に英語の説明が付いてくるのは、私にとって好都合だった。スペイン語よりも英語の方がまだマシだったからだ。まずスペイン語で知っている単語を聞き取る。次に英語で補完作業をしていく。基本情報は、地球の歩き方(海外旅行者定番のガイドブック)を見て確認する。分からないところは仕方ないと諦めるか、想像力をフルに働かせて何とか気合で乗り切る。今では考えられないアナログなやり方だ。
 
 バスの中でガイドがその地に咲く花々の説明をしていた。スペイン語の後に英語で、しかし英単語を度忘れしてしまったようで、突然説明が途切れてしまった。困っている。
 さっきスペイン語でlavanda(ラヴァンダ)と言っていたな。きっとラベンダーのことだよな。絵葉書にもあったしな。ならlavender(ラヴェンダー)だ。別に手助けするつもりはなかったが、
”Maybe, lavenders."
そう口をついて出た。

 ツアーが終わりバスを降り、ホテルに戻ろうとするとガイドに呼び止められた。
「さっきはありがとう。助かったよ。」
「どういたしまして。」
「お礼に食事を奢らせてくれないかな?」
「いえいえ礼には及びません。」
「いやいや、是非。」
そんなターンが何度か続き、結局ホテルの目の前の食堂で、早めの夕食をご馳走してもらうことになった。何だか申し訳ない気持ちもあったから、ピザをシェアすることにしてあとはコーラを注文した。
 どんな話をしたのかもう忘れてしまったが、多分お互いの仕事のことやバリローチェのお勧めスポットなんかを話していたのだと思う。食事が進んで、彼がもうすっかり冷めてしまった最後の一切れを食べ終えると、急に真顔になってこう言い出したから驚いたんだ。
「同じ日本人だからかな。君と話していてあいのことを思い出したよ。あいってのは、前の彼女のことだ。日本語であいはloveの意味だろ。君ともっと話がしたいんだ。もし良かったら、これからドライブに行かないかい?」
 
 危ない、危ない。ドライブなんて行くわけないじゃん。何だよ結局ナンパかよ。日本人女性は大人しいからNo!って言わないと思ってるのか、No!って言えないと思っているのか。私は言うぞ。No!はNo!だ。
 その男性ガイドに丁重に、でも毅然と”No!”と伝え、もちろん食事のお礼はちゃんと述べて、私は足早にホテルの部屋に戻った。
 本当に驚いた。だって、あいだってさ。

 
 1993年、私はタイのバンコクにいた。有給休暇を使って一人ネパールへ向かう途中だ。タイには1泊のトランジットのための滞在で、翌朝には空港へ戻ってネパール行きの便に搭乗する。
 
 どうしてもヒマラヤが見たかったのだ。
 私は神奈川の県西で生まれ育った。登校する時も出勤する時もいつも遠くに富士山を眺めては、心の中で行ってきますと唱えていた。目の前に富士の静岡や山梨で育ったのではない。箱根連山の向こうに見える富士を私が特別に思っていたのは、それが日本一の山だからだ。
 昔からそうだった。私は一番になれない人間だった。なりたいとも思っていなかった。負け惜しみ。これは負け惜しみではない。性格上、主役なんて望んでない。二番手三番手が、私にとって居心地の良いポジションなのだ。なのに、否、だから自分とは全く違う「一番」にどうしても惹かれてしまう。その圧倒的な存在に心を持って行かれるのだ。
 
 入社3年目、色々と壁にぶち当たっていた。富士山を眺めてもモヤモヤは晴れなかった。ならばいっそのこと世界一の山を見たら何か変わるんじゃないか、そんな一見馬鹿げた、でも私にしたらかなり本気の突破の旅に出たくなったのだった。
 
 母にネパールへ一人旅に行くことを伝えると、頼み事をされた。
「サキヤさんの奥様は日本人だから、お餅を届けてほしいの。」
 デパート勤務の父はバイヤーをしていて、その父が仕事でお世話になったネパール人のサキヤさんという方に御礼がしたい。奥様が日本人だから、日本のお餅をお渡ししたらきっと喜ばれると思うのよとのことだった。
 私の旅の真意など全く知らない母からの、ちょっと拍子抜けするようなお願い。ヒマラヤと餅。その組み合わせが妙に笑えて、私は、いいよと答えたんだ。
 
 空港で軽く夕食をを済ませ、予約していたバンコク中心部にあるホテルへ向かった。チェックインをする為、担いでいたバックパックを下ろす。同時に何とも言えない疲れに襲われた。母は街の餅屋に行き、二種類の切り餅を用意すると私に持たせた。その大量の餅のせいでバックパックの肩紐がぐいと食い込み、私の肩はじんじん痛んだ。
 
 ポーターが部屋まで案内してくれ、丁寧に部屋の説明までしてくれたが
、あまり耳に入ってこない。肩も腰も痛い。早く休みたい。チップを渡した。それは、もう部屋を出て行ってほしいの合図だったが、彼の話は一向に止まらない。
「明日バンコクの観光スポットを案内してあげるよ。」
「ごめんなさい。明日の朝、別の国に行くから時間ないわ。」
「じゃあ、空港まで送るよ。」
「一人で行けるから。」
「君、日本人だろ。実は前に付き合った娘が日本人でね。名前はあいっていうんだ。あいは日本語でloveの意味でしょ。あいちゃんって呼んでたんだよ。懐かしいな。ところでこれから飲みに行かないかい?」

 あー、うるさい。どうせ日本人の娘目当てでしょ。ちゃんと仕事しなさいよ。同業者として腹が立った。こんなホテルマン最低だ。完全に頭に来た。
「あなた、いい加減にしないと支配人、ううん、総支配人呼ぶわよ!」
私は思いっきり嫌な客になって、とどめを刺した。私も最低だな。心底疲れていたんだ。全部、餅のせいだ。


 これは一体どういうことなのか。タイとアルゼンチン、遠く離れた国でまさか同じ口説き文句を聞くとは思ってもいなかった。バリローチェのホテルに戻った私は、色々と仮説を立てていた。妄想が止まらない。
 日本人の女の子を口説くマニュアルなるものが世界中に存在し、それを見て口説いているとか。或いは伝説のナンパ師がいて、彼のノウハウが口承で世界中に広まったとか。もしかしたら、私と同じ日本語教師が「日本人女性への声の掛け方」なんて本当にしょうもない授業をして、あちこち教えまわっているとか。もしかしたら本当にあいちゃんがいて、loveだから愛ちゃんがいて、世界中を旅して恋をして。そんなわけないか。でも本当に愛ちゃんがいたら、楽しいな。
 
 それから何ヵ国か旅をしたが、私が訪れた国々で愛ちゃんの名前を耳にすることはなかった。


 2024年現在、あれから四半世紀が過ぎた。
 私は結婚して北海道に移り住んだ。以来、誰々さんの奥さん、何々ちゃんのお母さんの肩書で呼ばれ、下の名前で呼ばれることはほとんどなくなった。転勤族の夫に伴い道内の小さな町を転々とし、都度、近場で出来るパートに就いて、慣れたと思ったらまた引っ越して、そんな日常をずっと繰り返している。
 私は何かを手に入れて、何かを手放した。自分の役割をこなすことに精いっぱいで、それすらも満足に出来なくて、結局私は私を置いてけぼりにして前へ進んだ。与えられた環境で一生懸命頑張って来た自分のことは、ちゃんと認めてあげなくちゃいけないと思っている。同時に大事なピースを諦めたことを、後悔している自分もいる。
 
 下の娘が遠くの高校に進学して、寮に入った。最近は何々ちゃんのお母さんと呼ばれることはほとんどなくなった。自分のための時間を少しずつ作れるようになり、自分自身と向き合うことが増えていった。
 長い間、自分軸で考えることをしてこなかったせいで、私は自分が本来どんな人間だったのかを思い出せずにいる。だから、今こうして書いている。私はどういった人間だったのか、何をしたかったのかを思い出さなければ前に進めない。今書くことで、自分を探している。
 
 海外での日々は、あの頃の日常は、今の私からしたら完全に非日常で、今ここにはない色や、音や、匂いに溢れていた。目を閉じると、遠く彼方にそれらを感じる。そして、愛ちゃん。そこには愛ちゃんが立っている。
 バリローチェのあの日以来、私の中で愛ちゃんのイメージが勝手に出来上がっていた。黒髪のロングヘア、太陽の光を浴び過ぎて毛先は傷んでいるが、愛ちゃんはそんなこと気にしていない。所どころ破けたジーンズを履いて、その背中には年季の入った大きなバックパックを背負っている。小麦色に焼けた健康的な肌で、大きな口を開けて豪快に笑う。
 
 久しぶりに、何十年ぶりに私の中の愛ちゃんを思い出していた。懐かしいな。今、どこで何をしているのかな。会って話をしてみたい。
 愛ちゃんはどんな国を訪れた?どんな街を歩いた?一番好きな風景は?どんな料理を食べ、どんな恋に落ちたの?語り出したら夜中まで続くガールズトーク。もうガールズではないけれど。
 でもね、本当に聞きたいのは、愛ちゃんの今、そしてこれからのこと。私はまだ何も決められずにいる。でもね、今自分の中で何かを創り出したいという気持ちがどんどん膨らんで、しかもそれを共有したいと思い始めているんだ。
 
 バックパックを背負い、一人歩く。これでもかというくらいの壮大な自然に打ちのめされる。私が心動かされるのはいつも一人の時だ。昔からそう。私は勝手に何かを始めて、勝手に終わらせる。感動も自分の中で終結する。なのに今は誰かと共有したいと思う。あの日ネパール・ポカラでバスの車窓から眺めた、朝日に照らされ輝く神々しい山々を、いつか子供達に見せてあげたいと思っている自分がいるのだ。
 きっと家族と暮らした日々がそうさせたんだ。私はてっきり自分が弱くなってしまったのだと思っていたけれど、強くなっていたんだ。だってこうして、自分を開放できている。

 愛ちゃん、どこにいますか?何をしていますか?私の拙い、愚直な、こんな小さな決意表明をどこかで聴いていてくれないかなと思う。
 そっと目を閉じてみる。耳を澄ましてみる。雑踏の中に愛ちゃんがいる。あの頃と同じ真っすぐな瞳で、空に向かって伸ばした両手を力いっぱい大きく、大きく振って、”I’m here!”って叫んでいる。
 
 愛ちゃんに会いたいな。
 誰か愛ちゃんを知りませんか?


 

 


 

 


 
 
 


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