POOR THINGS✧♡
ゴールデンカムイを観に行った時にこの映画のチラシを持って帰ってきていた。そうしていたら、自分がフォロウしているnoterさんの記事で、立て続けに、この映画のことが語られた。
この記事を読んで、まあ、間違いなく、息子と2人で観る映画じゃないタイプの映画なんだろうと思ったけど、生きるという事に哲学的で、マダムがこれを息子と観るハメになったのも、なにか、運命かもしれないと思った。
次に、私が映画鑑賞の師匠とする傘籤さんの記事に出会った時には、この映画を絶対、見たいものだと思った。
初めの10行ぐらいを読んで、もう、この映画を観る決心をした。
そして、その後半はまだ読まないことにした。
だって、傘籤さんが美しいと言うなら、それは美しい映画と決まっている。一人で観に行くかな?と思っていたら、旦那が俺も観ると言ったので、やった~ラッキーと思って、今日、2人で行って観てきた。
傘籤さんの感想を読みたいけれど、彼の感想を読んでしまったら、その影響を全く、受けてしまうだろう。だから、我慢して、まず、自分一人でこの映画について何が言えるのか考えてみる。
川に身を投げた美しい女性、その死体を天才外科医が拾って、その母親が身ごもっていた胎児の脳を移植する。脳は赤ん坊だけれどもカラダは成人女性というフランケンシュタインを作り上げる。その女性の物語である。
天才外科医のウィレム・デフォー自体がまるでフランケンシュタインのようにツギハギ。彼は科学を追求する父(←ファッキン、糞オヤジ)から、いろいろな人体実験を受けて今がある。
ご飯を食べる時に、消化する胃液が必要だから、器械に自分を繋いでいたり(←父の実験でその機能を失った)、食事をし終わると、シャボン玉みたいな怪しいものを吐く。それはぽわんと空気中に浮かび、そして消える。
そんな怪しいファンタジーである。
成人女性の肉体を持つ(←しかも美人)赤ん坊の脳みその女性が、人生を進めていく。彼女は賢いらしく、あっと言う間に言語やいろいろなものを習得していくが、その中でも、セックスに対する興味を獲得していく。
そうなのだ。私自身も今、20歳を3回も終えて、セックスのセの字も無いような顔をしてnoteを書いているが、誰もが通る、その時代を彼女も通る。
なんとも、心配でじれったい気もあるけれども、彼女の行動は実にさわやかだ。婚約者がいるにもかかわらず、放蕩者と駆け落ちして、冒険すると父親代わりの博士に宣言。
確かに、マダムが記事に書いたように、彼女が、自分の興味のまま、セックスする様子が、これでもか!と出てきた。
でも、それは子供がおもちゃを見つけた時のような楽しさで、映画館の画面はえぐいけれども、観ているこちらも、別にセクシーな気持ちにはならない。まあ、仕方が無い、そんなもんだろうなと思って観ている。
だから、その後彼女がパリで経験する売春宿も、いろいろなところも、セックス三昧だが、彼女は自分が稼いだお金で、好きなことを獲得していくし、変な話、女側が、生活苦のために私は売られたのよ!とか怒りを抱えていなければ、売春婦も、なんともない職業なのでは無いかと思わされた。
それくらい彼女の元を訪れる男たちは滑稽で、彼女はシャアシャアとしている。
最後のシーンも、なんだか幸福で笑ってしまう。
最近「作りたい女食べたい女」というドラマを観ていたけれど、この映画も最後はそんな幸せな世界に見えた。
生まれたばかりの女(←主人公)は美しくて、これでもかと社会の知識とか自分の肉体の経験を獲得して、綺麗で華やかで、可愛い。そして彼女は性愛から、哲学とか、本の世界に還っていく。
出てくる男たちはそんなむき出しの彼女の欲望を手玉にとろうとしているが、反対に手玉に取られ、破滅していく者、ただ、彼女の肉体を通り抜けていく者、彼女を変わらず精神的に愛する者、色々である。
なんとも言えない映画だった。
そして、私はこの映画の細部の美しさ。美術。ユーモアが嫌いではない。
グランドブタペストホテルのウェス・アンダーソン監督のことも思い出す。たぶん、ちょっと、スキなのだと思う。
ここまで書いて、やっと傘籤さんの記事を読んでもいい気がする。
よし、読もう。
今、傘籤さんの記事を、初めから終わりまでまともに読んだ。
素晴しい。この映画のことを完璧捉えている。
やばい。
天才だ。
ジョン・ウィックの時も感じたけど、素晴らしい(⋈◍>◡<◍)。✧♡
なぜこんなにはっきり、逐一、全てについて捉えられるのか、彼の細やかな眼差しが本当に素晴らしい。
彼の書く鑑賞文がうつくしいのだ✧♡