映画感想文:パンズラビリンス
気温が高い時に開催されるおうち映画祭で、自分たちのコレクションを観ている。その一つ。ギレルモ・デル・トロ監督の「パンズラビリンス」。
この映画で監督の名前を憶えて、「シェイプ・オブ・ウォーター」と並んで好きな映画だ。漫画家と同じで、好きな映画を見つけたら、監督の名前を憶えて観るようになった。
この映画を初めて観た時に、私はファンタジー映画と受け止めた。
しかし、半ロリ(半分ロリータw?)のダンナが主人公の女の子が可哀想で仕方が無いと言っていたのが印象的だった。
映画は内乱鎮圧後のスペイン。
まだ反フランコ派がくすぶっていて、ゲリラが森の中にいる。
フランコ将軍が派遣した独裁的な大尉が、森近くに陣営を敷き、ゲリラの一掃を図っている。
その大尉の元に、母親の再婚が理由で、オフィーリアという可愛い女の子が、母と共にやってくるところから物語が始まる。
森の中に立つ怪しい彫刻、妖精のような虫・・・と、母の再婚相手に会うという現実と、妖精がいそうな秘密めいた森の近くという幻想が織り交ぜられてこの映画が始まる。
冒頭から心が持っていかれる。
映画はフランコ側とゲリラ側とのキリキリした戦い、撃ち合い、殺し合い、拷問。少女にとって、新しい父なのだが、好きになれない大尉と、妊娠して具合が悪い母親の心配と、と慣れない生活。
幻想なのか、少女の夢なのか、目に見えない世界なのか、もう一本の軸になるファンタジーがこの映画にはあり、少女は、妖精の王国の王女だったが、人間界に行って自分の記憶を失っており、ある試練を乗り越えなければ王国に戻ることはできないと、パン(牧羊神)から告げられる。
このパンが、神秘的だけど少し悪魔的な容貌で、正しいのか嘘つきなのかもよくわからない。パンのアドバイスに従って、彼女はいくつかの試練と冒険を経験する。現実と幻想の間で彼女は大忙しだ。
冒険のため、母からプレゼントされたグリーンの素敵なワンピースもどろだらけにしてしまう。現実と幻想が交錯する。
この映画を、現実と目に見えない世界を行き来する少女と受け取ってもいいし、目に見えない世界の方は彼女の空想で幻想と受け取ってもいい。
でも、自分の印象は、前者だ。
本当は後者かもしれない。
彼女の置かれた絶望的な状況。
そこから逃れるために彼女が作り出した空想。
自分は別な世界の王国の王女であるという幸福な幻想。
どちらともとれるが、非常に曖昧だ。
それは彼女の経験することと、この幻想の物語がものすごくリンクしているせいかもしれない。
スペインの国については、わずかな知識しかないが、残酷な歴史のあった国という印象である。一つはゴヤの絵から。ゴヤは「巨人」など、晩年はかなり幻想的な作品を描いた作家だが、スペインの内乱で、日常的に目にした「戦争の惨禍」という版画作品も印象深い。
自分の国に侵略してくる敵国を防ぐための戦争ならやむ負えないと考えるが主義主張の違いで同じ国の中の国民同士の内乱の戦争ほど空しいものは無い気がする。(日本の戦国時代ってもっとヤバい?)
「宮廷画家ゴヤはみた」という映画で異端審問で魔女狩りにあった可哀想な美少女の物語も観た。あの時代の遣る瀬無さもすざまじい。
スペインは血なまぐさい受難の国なのかもしれない。
ピカソがパリにいた時、祖国スペインでは、ナチスの後ろ盾を得たフランコ将軍率いる反乱軍と、スペイン共和国政府(政府軍)による対立が悪化し、国内は内戦状態になっていた。ピカソの有名な絵である「ゲルニカ」は、次のような理由で出来上がった。
スペインの魅力的な絵の数々の誕生が、この大変な国の事情との対比のように生まれた気がするのである。
「パンズラビリンス」の幻想的で美しい世界は、こういった血なまぐさい冷酷な現実によって、そうとうに引き立てられているのだ。
こういうファンタジーものを観ても、全く説得されない映画もあれば、瞬時に映画の中に感情移入できる映画もある。
私にとってはギレルモ・デル・トロ監督の世界観はとても好きなものの一つだ。(「パンズラビリンス」と「シェイプ・オブ・ウォーター」しか観たことないけど)そして、「パンズラビリンス」はあるが、「シェイプ・オブ・ウォーター」はないからとAmazonで検索してみると、「期待外れだった」というコメントがあったりして、映画の好き嫌いは、本当に人によって響くものは違うと、確信するのであった。
私のスキな映画が貴方の好きな映画とは全く限らない。
映画は出だしの15分ぐらいで好き嫌いが決まるが、その映画の佇まい、美術、カット、タイトル、映画の時間に身を委ねるかやめるか、自分が説得される映像というのがある。
監督の映画の色が特に好きだと気づいた。
ギレルモ・デル・トロ監督の映画は、いい。