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なんかスキ

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よくわからないけど、スキだと直観的に感じた記事を集めてみた。  何がスキなのかは、集めているうちに気が付くかもしれない大笑。
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#映画感想文

酔いから覚めて愛を歌う -チャップリンについての随想

【木曜日は映画の日】 映画史の中で、チャップリンは、現在でもその作品が多くの新しいファンの心を掴んでいるスターです。 彼はいわゆるサイレント映画時代、映画草創期からの一大ヒットメイカーです。と同時に、音声付きのトーキー映画に対応できた、数少ないスター兼映画作家でもあります。 彼のライバルだったコメディ映画のスター、バスター・キートンや、ハロルド・ロイドの作品は、トーキー以降、質も量もかなり厳しい状態になりました。 それに比べると、トーキーでも代表作『独

アナログ派の愉しみ/映画◎北野 武 監督『あの夏、いちばん静かな海。』

このただならぬ 静けさの気配は一体? 寂寞、と形容したくなる。それもセキバクではなく、あえてジャクマクと声に出して読みたいような……。北野武監督の第3作『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)だ。 湘南海岸の夏。聾唖の青年シゲル(真木蔵人)は、清掃車によるゴミ回収の仕事のさなか、破損したサーフボートを手にしたのをきっかけに、同じく聾唖の恋人タカコ(大島弘子)と海辺に繰り出してサーフィンをはじめ、やがて本格的にのめり込んでいき、サーフショップの主人に誘われて房総での

BLUE GIANT─言葉の衝撃に貫かれた3月某日

横っ面を張り倒され、そのあと思い切り抱きしめられた感覚──。 それが私の『BLUE GIANT』の感想、いや体験である。 実際、誰かに張り倒されたことなんかないけれど、多分、そういう衝撃だった。 『BLUE GIANT』はビッグコミックで2013年から連載された石塚真一によるジャズを描いた漫画。このシリーズはまだ完結していない(2023.3.25現在)。アニメは今年2023年2月から公開されて今も上映中である。 とある理由からこの作品を避けていた。でも遅ればせながら3月

アナログ派の愉しみ/映画◎宮崎 駿 監督『風の谷のナウシカ』

あしたはたくさん飛ばなきゃ―― 少女が政治を変革するとき 宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年)が目の前に新しい扉を開いたときの衝撃は、いまも鮮やかに記憶している。ごく簡単にストーリーに触れておこう。人類の文明社会を焼き払った最終戦争「火の7日間」から1000年後、世界は環境汚染がもたらした「腐海」の侵食に脅かされながら、なおも覇権をめぐって争いが絶えず、ふたつの列強国にはさまれた「風の谷」の族長の娘ナウシカは、ただひとり世界を救う秘密を解き明かそうとして

人生以上の「推し」 -傑作メロドラマ映画『忘れじの面影』

今は、アイドルへの「推し活」というのが盛んですね。noteにその推し活の記録を付けている方も、いらっしゃいますね。 私はXやnoteで人の推し活を見るのは好きなのですが、自分では、アイドルにはまったことは、今まで一度もなかったりします。 以前書いたように、デヴィッド・ボウイのようなアーティストの作品や思考、生き様に刺激を受けたりすることはあっても、それは「推し」とは違う気がする。グッズとかを欲しいと思ったことはないですし。 なぜ自分はそうなのかを考えてみると

追憶と忘却の織物 -映画『瞳をとじて』、ビクトル=エリセの若さ【レビュー・批評#8】

現在公開中の、スペインの映画監督、ビクトル=エリセの新作映画『瞳をとじて』を観てきました。Xの方にも少し書きましたが、素晴らしい傑作であり、驚きの作品でした。 ある映画の主演俳優が失踪したまま、映画が中止になります。それから年月が経ち、映画監督は、それ以降作品が撮れず、ほぼ小説家になっています。 そんなある日、失踪した俳優を探すテレビ番組に出るために、かつての映画監督はマドリードに行くことに。そこから、俳優の行方と、監督自身の過去を巡る旅が始まります。 この作品は、『ミ

『哀れなるものたち』おとぎ話を伝える”威力”

美しい。 にしても美しい映画だ。画面の隅々に至るまで”世界を形成したい”という欲望があふれており、派手ではあるものの決してけばけばしくはならないラインで色彩が調律されている。ロンドンの街並み、ファンシーでグロテスクな遊び心も感じられるバクスター家の内装、海も空も深く美しい青に彩られた遠洋定期船の光景、蠱惑的かつ頽廃的な雰囲気漂う売春宿、見下ろした先にあるアレクサンドリアのスラム街、丹念に手を加え作成された絵画のような、どのビジュアルも私たちを幻想的な世界へいざなおうとする作り

アナログ派の愉しみ/映画◎内田吐夢 監督『飢餓海峡』

ひとは命懸けでなければ 自己の過去と向きあえはしない 内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965年)は、わたしがこれまで繰り返し観た映画のひとつだ。そのたびにただならぬ感動に襲われてきたのだが、いちばんのキモのはずのラストシーンだけはずっと腑に落ちないでいたところ、この年齢になってやっと理解できた気がする。そのへんを書いてみたい。 水上勉原作。敗戦後間もなく、北海道で刑務所を仮出所したふたりの男が質店一家を殺害し大金を奪ったうえ放火して、もうひとりの復員服の大男とともに、大

マッコールさんは人を殺す理由を探しているのかもしれない【イコライザー3の感想】

この記事はすべて僕の妄想に基づいています。 ジョン・ウィックとの共通点 イコライザーを観てきた。 ジョンウィックと並んで注目されている作品だ。 なぜこの2つが並べられているんだろうか。 ジャンルが同じだからじゃない。 構造が同じだからだ。 ジョンウィックもイコライザーもそうだけど、主人公が悪党たちから舐められている。どう見てもただのおじさんに見えるからだ。 もちろんキアヌ・リーヴスはただならぬおじさんに見えるけど、そういう設定なんだから仕方ない。ちなみにデンゼル・

『ジョン・ウィック:コンセクエンス』昔も今も、あなたをお迎えできるのは光栄です。ウィックさま。

問題は「何者として死にたいか」だ。 コンチネンタルホテルの総支配人ウィンストンの言葉はこの作品の核心を突いている。「復讐」の物語として幕を開けたシリーズ1作目から、10年という長き時間をかけてたどりついた4作目。シリーズを追うごとに戦いの規模が大きくなり、より苛烈さを増しながらこの独特の世界観と、戦いに身を投じる男の生きざまを見せることで、ジョン・ウィックとは「何者」だったのかを追求してきた物語はついにひとつの終着点へとたどり着く。 というわけで観てきました『ジョン・ウィ