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noteを書くようになってしみじみ感じているのは、たいていの人との人間観の違いだ。 わたしは人間性の奥にはとんでもないものがあると思っている。 それは、端的に言って、わたしが自分の人間性の奥にとんでもないものを仕舞い込んでいるからだ。 そのとんでもないものが人間の人間性だと思うのは、それが自分には確実にあるからだというふうに循環するのだが、もし、たいていの人にそういうものが無いのなら、それを人間性と呼ぶのは単にわたしの思い違いかもしれない。 けれども、とんでもな
『魚にも自分がわかる ―動物認知研究の最先端』(幸田正典・ちくま新書)が面白かった。 わたしはこの手の話、つまり生物を擬人化する見方が好きだ。 『考えるナメクジ―人間をしのぐ驚異の脳機能』(松尾良太・さくら舎)などといった題名がついている本はすぐに買ってしまう。 かつては擬人化というのは非科学の際たるものだった。もう二十年くらい前の話だが、或る水族館では、イルカやシャチといった人になついて、なついた人の言うままにショーも行っていた動物にも名前をつけることが禁じられていた
ダムの理論。 心理カウンセリングや精神療法におけるダムの理論のことです。 書く前に「ダムの理論」でググってみたが、松下幸之助のダム式経営ばかりが出て来た。松下幸之助は大嫌いだ。「これはいいな」と思った電気製品でもパナソニックだったら、意地でも買わない。しないでいい損をしている。義兄がそこの技師だ。それもこれも、みんな、幸之助氏のせいだ。←関係ない話。 精神分析的な対話を重ねていると、ちょうどダムの水を汲みだすようなもので、その底に沈んだムラが現れる。 無意識を引
わたしが会ってじっくり話をした男性たちのうち、女性の中に母親を求めてゐない人はゐなかった。 と書いたのだが、自分はどうなんだらうか? わたしは母親との関係にはかなり苦しんだ。 どういふ人なのかよくわからない。人からみれば「いい人」である。 家の中でも決してわるい人ではないが、手を伸ばすと通り抜けてしまふ感じがした。血の通った身体の無い、立体の幻想のやうに頼りなかった。 もう人生も半ばを過ぎて心理療法に凝り出した頃、「わたしの母親はわたしが嫌ひだった」と思って、大
梅はその日の難のがれ というように 朝、ひと粒の梅干しを頬張り 酸っぱい顔してご飯をかき込む あの酸っぱい!が 1日の厄を払ってくれる というわけです 俺は梅干しが大好きでして 夏の頃に、叔母が毎年1年分 手作りの梅干しを送ってくれます ちょうど暑さが増し 慢性的な夏バテになる頃で この叔母の梅は、俺の夏に欠かせない 最高の難のがれなのでした ◯山ちゃん家の夏バテ定番メニュー 我が家の夏の定番は たくさんの薬味やスパイスを使って 味変を楽しむ 紫陽花そうめん
↑先日こういう日記を書きました。 おかげさまで、あらかじめ作っておいたTO DO LISTを全て達成することが出来ました。 やはりnoteで「〜します」と宣言してから物事に取り組むのって良いですね! 言霊パワーというか、皆さまに見張られている…じゃなかった皆さまから見守っていただいているパワーをひしひしと感じました。 わたしに元気玉を分けてくださった皆さま、ありがとうございます。 ところがどっこい、なんと三連休明けもなかなかYさんとタイミングが合わず、今