うしろのしょうめん、
乃南かなんは小学校五年生。
多感な時期だ
おませな同級生たちはすでにクラス内でヒエラルキーを確立している。
カースト上位の女子の機嫌をちょっとでも損ねればクラスみんなから無視される可能性すらある。
女の世界は、怖い。
「ねぇねぇ体育館の13階段の噂、知ってる?」
「2階のトイレの開かずの間は?」
「さんかく山には誰かの骨が埋まってるって聞いたことあるよ」
蝉の合唱が騒がしい、夏休み前のこと。
おませな女子グループは学校の怖い話で涼をとっているようだった。
「かなんちゃんは何か知らない?」
唐突に話かけられる。
この女子グループのトップ、鈴谷玲奈だ。彼女はかなんの幼なじみ。
家が近所で幼稚園、小学校とずっと一緒。一番の親友だった、はずなのに。
「知らなそうだよねー」
くすくすと嘲笑する。
このグループが出来てからというもの、玲奈はかなんに冷たくなった。それだけでなく、ことある毎にこうしてちょっかいを掛けてくる。
小さい頃は、何があってもずっと親友でいようね、と言っていたのに。
子どもの世界は、残酷だ。
名前も知らない取り巻き四人までクスクス笑い始めたのが悔しくて、思わず声だかに言った。
「知ってるよ。とっておきの怖い話、あるもん」
「へえ、本当?聞かせてよ」
「ホームルームのあと、みんなが帰ったら聞かせてあげる」
「分かった、楽しみにしてる」
予鈴が鳴る。
午後の授業中はもう気が気でなかった。
あんなこと言ったけど、怖い話なんてない。どうしよう。
明後日は小テストだというのに全く集中できない。
パラパラと教科書をめくると、ある童謡が目に飛び込んだ。
かごめかごめ
そういえば昔お母さんが、この曲なんだかちょっと怖いのよね、と言っていたのを思い出す。
これだ、これで怖い話を作ろう。大体学校の怖い話なんて作り話の嘘っぱちだ。適当に考えたやつを教えてやればいいんだ。
放課後。
「それで?怖い話ってどんな?」
こちらを試すような意地の悪い表情。相変わらず腰巾着の四人を引っ付けて、二人きりで話す度胸がないのだろうか。
「かごめかごめって歌の遊びあるでしょ」
「うん」
「鬼の後ろになる人のそのまた後ろに、鏡を置いておくの」
「うんうん」
「それで鬼の後ろになった人は"うしろの正面"って歌詞の後、"だぁれ"っていうより前に、鬼より先に振り向いて鏡を見るの」
「うんうん、うん」
「すると、振り向いた子はどっかにいっちゃうんだって」
「えー!やば、怖!」
即席で考えた階段話にしては受けが良かった。
それで済めばよかったのに。
「ねえ、この人数なら出来るからやってみようよ!かごめかごめ」
玲奈が言いはじめた。彼女の言うことは、絶対だ。
「私が振り向く役やるからさ。早く!輪になって!」
幼かったころ二人で遊んだことを思い出して、ほんの少し気分が高揚する。
「いいよ、やろう」
美術室から姿見を持ってきて教室の後ろに置いた。
その前にみんなで輪を作る。鬼は私。あとはゆっくり回りながら、タイミングを合わせて玲奈が後ろに止まるようにすればいい。
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつであう
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめん
静寂が訪れる。
「別に、なんにもないじゃん!」
振り返ると、鏡の中に呆れ顔が見える。
それはそうでしょう。ついさっき私が思いついた、嘘っぱちのお話しだもの。
「みんな、帰ろ!」
ぷいと踵を返し玲奈が教室から出て行った。腰巾着の女子四人も慌てて彼女に続く。
何よ。学校の怖い話なんて、みんな嘘っぱちなんだから。本気にして怒ることないじゃない。
西日が差し込む廊下をとぼとぼと歩く。
下駄箱に行くと、靴がない。その日は仕方なく上履きで家まで帰った。お母さんになんて言い訳しようか、考えながら。
次の日、玲奈は学校に来なかった。
「みなさんに大事なお話があります」
朝のホームルーム。緊張した面持ちで担任の先生が口を開く。教室が微かに騒ついた。
「クラスメイトの鈴谷玲奈さんが、昨日から行方不明になっています。おうちの人から連絡があって、すでに警察にも伝えてあるそうです。なにか知っていることがあれば先生に教えてください」
騒つきがどよめきに変わった。
心音が一気にペースを上げてバクバクと鳴り響く。周りを見渡すと腰巾着の一行たちはみな俯いていた。
授業中も何度か生徒の呼び出しがあったり、消防署員や警察官が廊下を右往左往している。どうやら只事ではないらしい。
その日は半日で学校が終わった。午後は山の方でも捜索が行われるようだ。
おろしたての靴を見下ろしながら一人帰路につく。変質者や誘拐犯がいるかもしれないから一人きりでは登下校しないようにと先生が言っていたけれど、一緒に帰る子は誰もいなかった。
その時、市のアナウンスが流れた。
……先日、午後六時から行方不明となっていました、鈴谷玲奈さんが、先ほど発見されました……
こだまするほど遠くで流れる広報。じっと立ち尽くし耳をそば立てる。
玲奈、見つかったんだ。良かった。
すっかりと気が軽くなった。食欲がなくて食べられなかった給食のカレーを惜しいと思うくらいに。
その日お母さんは特に何も聞いてこなかった。お父さんは消防団の呼び出しで夜になっても帰ってこない。明日はテストだから早く寝ようと布団に入った途端、次に会った時に玲奈になにを言われるか急に怖くなり始めた。
明日、普通に登校してくるのかな。
冴えてしまった頭をどうにかしようとリビングへ向かうと、帰ってきたお父さんとお母さんがひそひそ話す声が聞こえる。
なんだろう。
「…玲奈ちゃん、昔よく一緒に遊んでいたよな」
「そうよ。お互いの家にも行き来していたし」
「それはショックを受けるだろうな…なんて説明したらいいか」
「明日学校でお話があると思うわよ。私たちはまだ知らないことにして、あの子から聞かれたら答えるようにしましょう」
「そうだなぁ。しかし…呆気なく死んでしまうものなんだな」
「溜め池で浮かんだまま、亡くなっていたんでしょう?」
「うん。滑り落ちたらしいんだけど、首を強く打ち付けたみたいで、顔の向きが前後ろ逆になっていたって…」
「…かわいそうに…」
その場で足が強張った。
微動だに出来ないほど。
玲奈が死んだ。玲奈が。
次の日。
お母さんもお父さんも何も言わない。私は玲奈の死を確かめるためだけに学校を訪れた。
朝のホームルーム。
噂で聞いている子もいるのだろうか。いつもより静まり返った教室。先生が昨日より重たそうな口を、ゆっくり開く。
「落ち着いて聞いてください。みなさんのお友達の鈴谷玲奈さんが、昨日亡くなりました」
その後しばらくの沈黙。押し殺した嗚咽や啜り泣くような声が微かに聞こえる。
「授業はいつも通り行いますが、気分が悪い方がいたらいつでも言ってください。鈴谷さんのお別れの日程は決まり次第またお伝えします」
予鈴が鳴る。
慌てて席を外し教室に出た。
追いかけるように担任がやってくる。
「乃南さん、ちょっといい?」
誰もいない資料室に通されると、かなんの顔色を察してか背中をさすってくれた。
「ショックよね…。ごめんなさい、呼び出したりなんかして。実はあなたに伝えておきたいことがあって」
こくりと頷く。
「本当はこんなこと伝えるべきじゃないと思うけど。警察の人に聞かれるかもしれないから、初めに言っておくわ。あのね、鈴谷さんが亡くなっていた溜め池に、あなたの靴が浮いていたそうなの」
息を飲んだ。
玲奈は私の靴を捨てに、溜め池まで行ったんだ。
それで落ちて、死んだ。
「辛いこと、苦しいことがあったら今後なんでも先生に相談してね」
とんとんと背中を叩いて部屋を立つ。
その後かなんは一時間も立ち上がれなかった。
いま教室に戻って、あの腰巾着たちに何を言われるだろう。玲奈がいなくなったのを私のせいだと言いふらさないだろうか。
座り続けて痺れたお尻を持ち上げ、このままこっそり帰ろうと思った。
「見つけた、ここにいたんだ」
廊下に出た途端、名前も知らない腰巾着の四人組と対峙した。
「あんたのせいで、玲奈ちゃん死んじゃったんだよ」
私のせい?
玲奈が死んだのは、私のせい?
そこからは記憶が曖昧だ。
気づいたら部屋にいて、みんなでこれからかごめかごめをやるのだという。
逃げる気力もなかった。同級生たちの心無いその行動よりも、見えない何かに恐怖したようにその場を動けない。
「さあ、始めましょう」
手を繋いでくるくる回る。
歌詞にのせて。
くるくる、くるくる。
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつであう
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめん
「だぁれ」
玲奈の声が聞こえた。
なぁんだ。
玲奈は本当は死んでなんかいなくて、みんなで私を驚かそうとしていただけなんだ。きっとそう。手の込んだドッキリだったんだ。
だって、そうじゃない。突然死んでしまうなんて、そんなことあるわけないじゃない。
かなんは振り向いた。
そこには玲奈がいた。
顔が、前後ろ逆になった姿で。
………………………………………………………
「…っていう怖い話」
「やば!怖すぎだって」
「見てみて鳥肌ー」
「高校生にもなって急にかごめかごめやろうとか言い出すから、なんだと思ったわ」
「ね!しかも訳わからん新ルールでさ。これのことだったんだ、怖っ」
「怖いっしょ!でね、この話には続きがあって」
「いやまだあんのかよ!怖いわー」
「この辺りで毎年行方不明になる子は、みんな頭の向きが前後ろ逆になった死体で発見されるんだって。あまりにも毎回だから公表されないらしいよ」
「やばすぎんでしょ」
「おーい、お前ら!まだ残ってたのか」
「うわっ、また先生きた」
「うわっ、じゃないんだよ。早く帰れって言ったろ!もう遅いんだから」
「分かってますよ、もう帰りますー」
「ん?いつの間に先に帰ったんだ?」
「え?誰が?」
「いやさっきもう一人いたろ」
「え、いやいや。うちらしかいませんけど」
「一、ニ、三、四、五人。ねぇ、五人いるよね」
「いや確かにいたぞ。もう一人、どこ行った?一人だけ私服で変だなぁとは思っていたけど、友だちじゃないのか?」
「ちょっと待ってよ先生、何言ってんの?」
「私服の子なんて初めからいないけど」
「Tシャツ前後ろ逆に着てた子だよ。お前たちの輪の後ろに座ってただろ」
うしろのしょうめん、
だぁれ
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