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わたしにとって"読む"とは 〜『"読む"でつながる関係とは』に参加して思ったこと〜

先日、最所あさみさんと鳥井弘文さんのスペシャル対談『"読む"でつながる関係とは』に参加してきました。

このイベントのレポートについては、以前ぽんずちゃんが詳しく書いてくれているのでそちらに任せるとして。

▽ 「#読むでつながる」 イベントメモ (メモと言いつつ1万字あるやで)|ぽんず|note
https://note.mu/yuriponzuu/n/n6c4eb12bce0e

わたしはそこで感じたものであったり、考えたことを勝手にアウトプットしようと思って今回書き始めた次第。

完璧じゃなくても、60%でも70%でも、ひとまず外に出してみるべきって、このイベント内でも鳥井さんがおっしゃっていたので、完成度とかは度外視して、とにかく書きなぐりました。

とても長くなってしまったので、興味のある方はぜひどうぞ。





リレーションとしての読む

このイベントのまず初めに最所さんがおっしゃっていたこと。"最近の私たちの読み方は変わってきている"。

まず、読む媒体が紙に限られなくなったということ。webだったり、電子書籍だったり、色んな媒体を通じてわたしたちは読むことをしている。重たい書籍を持ち歩く必要がなくなり、以前より手軽になった分読むことへのハードルが下がった気がする。

わたし自身、kindleを導入してからの読書スピードは格段に上がったし、日々のニュースはスキマ時間にスマホから読んでるし、インプットとしての読む行為が本当に手軽にできるようになった。

だからこそ、"読む"ことの意義自体が変化しているように感じられる。

最所さんがおっしゃっていたのは、「リレーションとして読む」ということ。

確かに、ツイートを見ていいねを押す、noteを読んでスキを押す、そんな読み方は、リレーションとして読んでいると言える。
わたしは #dotcolony というオンラインコミュニティ内にある #まいにち日記部 で部長を務めているのだけれど、みんなが更新している"まいにち日記"を読むという行為は、確かにリレーションとしての読むだなぁと思っている。もちろん、みんながどんなことを考えていて、どんな生活を送っていて、どういう人なのかっていうのが知りたいという気持ちもあるのだけど。

ただただ、自分の知識として、自分の血となり肉となるための情報を手に入れる手段だったインプット目的の読むという行為が、いつのまにかコミュニケーショーツールのひとつになっていること。それって、すごくすごく面白いなって思う。

読むという行為には色んな種類があるんだなってしみじみ。


たまに、活字中毒なのかな?って思うくらいに「読みたい!!」っていう衝動に駆られる時があるのだけど。でも、その日の気分だったり、お天気だったり、自分のモチベーション次第で、どんなものが読みたいのかは全然違っていて。
司馬遼太郎のような歴史物が読みたい時もあれば、即効性のあるビジネス書が読みたくなる時もある。はたまたほんわかするファンタジー小説な気分の時もあるし、自分の隣で友だちが話しているかのような気持ちになる誰かのブログだったりもする。
同じ"読みたい"の気持ちでも、そこに内包されるものには色んな意味合いがあるんだよね。

"本は手に取るだけで意味がある"ってこのイベントの中で最所さんと鳥井さんがおっしゃっていたのだけど、まさに、と思ってる。
何気なく手にとって開いた本を見て、「あ、今のわたしってこんな気分なんだ」とか「これを求めてたんだ」って気づいたりもする。
でも、それって普段からたくさん本を読んでいて、手元に選べるほどの本を持っている人だからこそ分かる感覚なのかもしれないけれど。


わたしの会社では1年目の時に毎月読書会なるものが開催されていた。その月の課題図書を読んで、感想だったり、そこから自分が考えたことであったり、この考えをどう業務に活かすのかみたいなのを共有する会なのだけど。
みんなが同じ本を読んでいるから、仲間内で価値観の共有というか、いわゆる"共通言語"みたいなものが生まれていて。課題図書はビジネス書だったり、小説だったり、はたまた漫画だったりとその時それぞれに社長がセレクトしたもので。どれもその時のわたしたちにとっては大切で必要なことが書かれていたし、共通言語で話されるわたしたちの日常会話も、すごく楽しかったことを覚えてる。

ただ自分一人で"読む"だけではなく、そこから生まれるたくさんのものがあるからこそ、読むことはリレーションになったりする。

"リレーションとしての読む"って、言い得て妙だなと、本当に思った。



伏線が回収されるのに数年を要することもある

ビジネス書って、1回読めばすぐに実践できるノウハウが書かれていて、即効性のある読み物だなって思う。むしろ何か課題感を抱えていて、それを解決したいから、答えが書いてあるようなビジネス書を求めて自ら選んでいるような気もしている。

でも、小説って全然違っていて。答えを求めて小説を読むんじゃなくて。小説って、逆になんだか壮大な問いを突きつけられているような気になるときがある。生きるとは、死ぬとは、人生とは、時間とは、価値観とは……。正解なんてないし、明確な答えなんて無いけれど、それでも考えるべき大切な問いを、自分に投げかけられている。
そしてその答えは、簡単には見つからない。
読み終わった後になんだかもやもやして。もしくは、もやもやしすぎて全然読み終わらなくて。それでもうんうん考えていたことが、数年経って急にハッと答えが思い浮かんだりする。面白いよなあ。

高校生の頃、夏休みの宿題の読書感想文で出された課題本は夏目漱石のこころだった。17歳のわたしにとって、こころは正直全然意味がわからず、なぜこれがここまで有名な作品になっているのか、これだけ評価されている文学なのか、ちっとも理解できなかった。それくらい面白いと感じられなくて、夏休みの1ヶ月かけても、読破することはできなかった。(宿題の読書感想文は、かいつまんで読んだ部分から当たり障りなく文章を作成してそれっぽく体裁を整えて提出した)
そんなわたしが、ひょんなことからもう一度こころを読み直そうと手に取ったのはそれから5年後の22歳の時のこと。読書好きを公言しているにも関わらず、純文学をあまり読んでいなかったことに気づいて、その時に手元にあったのが5年前に購入したこころだったから。(純文学の定義については曖昧な部分があるし、夏目漱石が純文学に分類されるのかについても議論が分かれるところなのでわたしはあえて言及しないことにするけどね)
5年越しに開いたこころに、わたしは驚いてしまった。すごく、すごく、面白い。あの頃何度同じページを読んでもちっとも頭に入ってこなかったわたしが、こんなにスラスラと、続きが気になって仕方ないかのように貪るように読んでしまうなんて。そこに描かれる登場人物のリアルさや「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という有名なあのセリフまで、全てがわたしを飲み込んで夢中にさせた。
夏目漱石を面白いと感じて初めて、わたしは大人になったことを感じた。あの時の理解できなかった感情が、情景が、理解できる。

1冊の本を数年かけて読むだけで、自分自身の成長が感じられた。それって、小説ならではだなと思う。数年越しに、自分への伏線が回収される感じ。面白いね。

小説に限らずとも、ビジネス書でもなんでも、読み返すことで違う面から受け取れることは多々あって。その時の自分の心の持ちようや、気分によって、受け取るべき情報は全然違ってくる。
だから、良書に関しては、1回読んで終わりではなくて、何度も繰り返し読んで自分の中でじっくり咀嚼したいなって思う。
今は面白くないって思っていたとしても、きっとこれが面白いと感じる日は来ると思うから。それが1ヶ月後なのか、1年後なのか、はたまた10年後になるのかはわからないけれど。



"読む"ことが世界に接続する入り口となる

"本を読んでいることが切符になることがある"とおっしゃる最所さんの言葉に、わたしは思わず深く頷いた。現に、会社の読書会で同じ本を読んだ同僚との間では共通言語で話ができるし、"この本は読んでいること前提"みたいな感じで進んでいくイベントにも何度も参加してきた。本を読むことは、特別なことでもなんでもなくて、一般的な前提知識として取り扱われることがよくある。
だからこそ、読んでいないともったいないと、わたしは思う。
本当は別に読書なんて、してもしなくてもどっちでもいいと思うし、情報収集の仕方なんて今の時代いくらでもある。何ページもある分厚い書籍に目を通すよりも、わかりやすくまとめられたWebメディアを見る方がはるかに効率的な時だってある。
それでもわたしが本を読むのは、自分できちんと思考したいと思うから。著者がこの本を通してわたしたち読者に伝えたかったことは一体何なのか。それをうんうん悩ませながら、考えて考えて、自分なりに咀嚼することが、とても楽しいって思うから。
情報をただ右から左に流すだけなら、誰にでもできる。でも、それを自分なりに咀嚼して、それをみんなでシェアできる楽しさや、そこからさらに発展した議論することが面白いって思う。だから、本を読んだ上でなにかのイベントに行くというのはすごく効率的だと思う。
"読む"ことが切符になるって、そういうことだよなぁ。


"教養は他人にマウントをとるものではなく、人生を豊かにするもの"って鳥井さんがおっしゃっていた。
知ってるから偉い、知らないからバカだ、と自分と誰かの価値判断の基準にするようなものが教養ならば、そんなもののためにわたしは勉強なんてしたくない。でも、間違いなく、たくさんの物事を知っていれば知っているほど、人生って面白い。

誰かが人生をかけて得たもの、伝えたかったもの、それが書かれているものが「本」なのだと思っている。

だからわたしは、もっと広い世界を知るために、もっと豊かな人生にするために、これからも読みたいと思う。





さて、こんなにも長々と自分の考えを綴ってみたのだけれど、果たしてここまできちんと読んだ人は一体何人いるのだろうか。
みんな脱落したんじゃないのかな(笑)

もしここまで付いてきたくれた人がいるなら、両手いっぱいの感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとう。


どんなに素敵なイベントも、ためになるような講演も、受けただけ、参加しただけでは勿体無いなぁと感じていて。

参加した後に、どれだけ自分の中に取り入れることができるのか、どれだけ吸収してこれからに活かすことができるのかって、すごく大事だなってわたしは思う。


これからも貪欲に学び続けて、たくさんインプットして、たくさん考えて、たくさんアウトプットできる自分でありたい。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。




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