どうやらまだまだ修行が必要みたいで
自分に自信をつけたい。
それが、わたしがnoteのまいにち更新を続ける理由なんじゃないかということに、最近ふと気が付いた。
今までは「やると決めた自分との約束を守るため」とか「自分のために自分の記録を残しておくため」って言ってきた。それも間違いじゃないし、今でもそこは意識している。
でも、本当の奥底にある理由って「自信」なんじゃないかと思っている。
わたしはかつて、とんでもなく自分に自信のない人間だった。なんでもネガティブにとらえてしまって、失敗したらどうしよう、間違ってしまったらどうしよう、と一歩踏み出すことにすごく時間がかかってしまうような人間だった。
今は、色んな人に出会って色んな情報に出会って色んな体験をしてきたおかげか、あらゆることが克服できて、前向きに生きている自覚はあるのだけど。でもやっぱり昔からの「自分に自信が持てない」と思っていた時の自分が見え隠れするときがある。
わたしには特別な才能なんて何もない。平凡で、特に何かの取り柄があるわけでもない。だからこそ、"何者か"になって、自分の存在意義みたいなものを証明したいっていう気持ちがあるのかもしれない。っていうか、多分ある。わたしだって何者かになりたい。何かの才能だって欲しいし、自分の武器と言えるようなものを持って、もっと自信をもって毎日を生きたい。
だから、noteのまいにち更新を始めた。
わたしが頑なに1000日更新を目指しているのは、1000日を更新した時には自分が「何者か」になっているような気がしているからだった。1000日という日数を達成したら、きっと何かが変わるって思っていた。最低限のことさえやっていたら、周りがチャンスをくれるんだと、思い込んでいた。
でも、毎日更新500日を過ぎたあたりからふと気づいてしまった。今のままでは、多分何も変わらないんだってことを。
わたしはすごく受け身だった。毎日更新をしているものの、それだけ。それ以上の何かをしているわけではないのに、期待だけがどんどん膨らんでいって。このままいけば「何者か」になれると思っていたわたしは、きっとチャンスに対してすごく受け身な姿勢だった。
このままじゃいけないなって思う。
このまま1000日目を迎えたところで、わたしは何も変わらないなって思う。
自分が思うチャンスは、自分でつかみ取りにいかないといけない。いくら毎日更新をしてこのnoteのアカウントにどんどん記事が溜まっていったとしても。そこからの何かがなければ、きっとわたしは一生このままなんだ。
1000日続けたら何かが変わるのかもしれない、という棚から牡丹餅的なものを期待しているだけだと、なんだかすごくもったいない気がする。やってくるかどうかもわからないチャンスをただずっと待っているだけなんて、すごくもったいない。
未来の自分に期待することは何も悪いことではない。でも、今のまま適当に毎日をやり過ごした先に待っている未来は、きっと今とあんまり変わらない日々なんだろう。
自分が「何者か」になることが正解ではないと思っている。別に無理に何かを目指さなくてはいけないわけではないと思っている。
だけど、どうせやるのなら。
1000日経った自分が振り返ったときに、「あの時がんばったよな」って言えるような自分でありたい。なんか適当に流した1000日だったな、じゃなくて、色んな事に挑戦してきたなって言えるような1000日に。
わたしのこの1000日チャレンジも、もう残り半分を切っている。
1日1日を手を抜かず、大切に、丁寧に、過ごしていきたいなって思う。
今日もおつかれさまでした。
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