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未来のわたしと、過去のわたしのために

何のためにnoteを書いているのか。何のために毎日文章を綴っているのか。このnoteで毎日更新を始めて、色んなことを書き続けて、最近になってようやくその答えが言語化できるようになってきた気がする。

まず、何のためにnoteを書いているのか。

これは、過去の自分のためであり、未来の自分のためである。不特定多数の誰かではなく、わたしじゃないあなたのためでもなく、正真正銘、自分自身のため。

「日記」と称してわたしが毎日綴っているのは、その日考えたことだったり、その日起きた出来事だったり。その時々のわたしの心に浮かんだことを、そのまま言葉にして毎日こうして綴っている。これは、未来のわたしが「あの時のわたしって何してたっけ?」「あの時のわたしって、何を考えて生きてたっけ?」となったときに、振り返りやすくするため。もし未来のわたしが何らかの事情で記憶喪失に陥ってしまったとしても、このアカウントにさえたどり着けたら、わたしの日常は全てここに書かれている。そんな感じの自分の記録というか、自分で書くリアルタイム自分史みたいなイメージ。だから、日々の記録は、未来のわたしのために。

そして、今のわたしの考えを文章に残す時に意識しているのが、過去の自分。「あの時の選択は間違ってなかったよ」って、過去のわたしにとっては未来である"今"のわたしが、こうして文章に綴ることで、過去のわたしの見えなかった選択肢の向こう側の答え合わせをしてあげているような感じ。昔のわたしから見ると、今のわたしってはるかに大人な存在。学生の頃に比べたら、それはもう比にならないくらい色んな経験をしてきた。だから、あの頃の悩みなんて今のわたしにしてみたらすごくちっぽけなんだろう。だけど、あの頃の悩みは当時のわたしの頭の中の大部分を占めるようなものばっかりだったはず。寝ても覚めても悩んで悩んで、何が正解なのか、手探りで進んでいたはず。だから、そんな過去のわたしを救うために今のわたしが考えることっていう視点で文章を綴る時もある。もう過ぎてしまったことかもしれないけれど、もし今のわたしが過去のわたしを救ってあげられるのなら。
そんな視点で書いていたら、もしかしたら過去のわたしと同じことで悩んでいる人のことも救ってあげられるのかもしれない。過去のわたしを救うことは、見えない誰かを救うことでもあるのかもしれない。

何のために書くのか。何のために毎日更新をするのか。答えは何個あってもいいと思うし、別になくてもいいと思っている。自分が納得して言葉にできるような何かに出会えれば、それはすごくラッキーなことなんだなって思う。


書くことについて、今のわたしはこう考えているけれど、きっと昔のわたしはまた違った意見を持っていたのだろう。そして、未来のわたしもまた、別の考えを持つのかもしれない。

だけど、こうして今考えていることを書くのがわたしのnoteのマイルールなので、ここにこうして記してみた。



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