ちゃんと「わたし」を主語に

あの時こうしておけばよかった。もっとこんな行動をすればよかった。どうしてあの時あの一言が言えなかったんだろう。どうしてあの時あんなに余計なことを言ってしまったんだろう。

そうやって後悔することが、ある。

きっと、生きていれば一度や二度ではないくらい、そう思うこと、誰だってあるだろう。

後悔っていうくらいだから、きっとその時の事象は自分が思っていたものではなくて。期待していたものではなくて。

だから、過去のわたしがもっとこうしていたら、って思うわけで。


それなら良い。まだ、それなら良い。

でも、最近思ってしまった。

「あの時あの人がもっとこうしてくれていたら」と。

自分じゃない、誰かが。あの時もっと動いてくれていたら、わたしはここまで大変じゃなかったのに、とか。あの人があの時にここに気づいてくれていたら、失敗なんてしなかったのに、とか。


なんだかイライラしたり、腹が立っていた自分が、ふとそんな考えになってしまっていたことに気が付いた時、すごくすごく反省した。

誰かの行動だったり、期待したことに対してできなかったことに対してもやもやしていることに、一体何の意味があるのだろう。

期待したことをやり遂げてもらうために、わたしは一体何の行動をしたのだろう。

その誰か他人に対して、何かを思ったところで、自分にとっては関係のない話なんだ。だって、他人の思考や行動なんて、わたしにコントロールできるはずがないから。

「誰か」を主語にするのではなく、ちゃんと「わたし」を主語に考えたい。

「誰か」が何かをしてくれないじゃなくて、「わたし」はそのために何をやった?


過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ。

最近、そのことを少し忘れていたな、と。


わたしの人生はわたしのものだから、「誰か」に主導権を握られたくない。自分の人生は、ちゃんと「わたし」が主導権を握りたい。


今の「わたし」に何ができるのか。

それをちゃんと考えられる人でありたいなって思う。



今日もおつかれさまでした。




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