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「なんとなく」を明確にすることをサボらない

常日ごろからやりたいことに溢れているわたしなのだけれど、ふと思ったことがある。

「あれ、わたし、どうしてこれがやりたいんだろう」

今まで「なんとなくやってみたいなぁ」で行動してきた。だけど、それだとなかなか続かなくって、結局は一歩踏み出しただけで終了してしまうこともしばしばあった。
何でもやってみないと分からないし、一歩踏み出したからこそ自分に向いている向いていないって分かるものだと思うから、それはそれで良いとは思う。でも、どうせやるならちゃんと続けて自分の身になるものにしたいなぁって思うから、「なんとなくやりたい」の「なんとなく」の部分をちゃんと明確にすることって大切なんじゃないかって思い始めた。

やりたいと思ったのはなぜなのか、どうしてこれがやりたいのか、その動機というか理由と言うか、きっかけみたいなものって必ず誰にでもあるはずで。

全く無の状態から急に空からやりたいことが降ってきた!なんてことって、滅多にないと思う。やりたいことの動機なんて言ったらすごくたいそうなことに聞こえてしまうけれど、別になにか壮大なこととか、大義名分がないといけないとか、そういうことじゃなくって。どれだけ些細なことでも良いから、やりたいと思ったきっかけって少なからずあるはずで。

「SNSでフォローしているあの人がやっているのを見て、自分も興味をもったから」「憧れの人に近づきたいから」「これが出来たらなんかかっこいい気がするから」とか、そんなもんでもいい。

そんなきっかけを、ちゃんと言語化することで「だからわたしはこれをやりたいのか」と自分で再認識ができる。

もちろん、やりたい理由なんて途中で変わったって良い。「最初は些細な気持ちで始めたけれど、途中で自分なりの意義を見つけた」ってこともあるだろうし「大義名分を持って始めてみたけれど、やってみたらなんかちがった」ってこともあると思う。
人間、時が経てば誰でも考えも価値観も時間の使い方も変わってくる。変化することが当然なのだから、最初に抱いたやりたい理由を必ずずっと胸に秘めておかないといけないのかっていうと、そういうわけじゃない。

でも、最初に抱いたきっかけが、その後の自分を後押ししてくれることって、本当にたくさんあると思う。

初心に帰るって言葉をよく耳にするけれど、本当に初めの初め「どうしてこれをやりたいと思ったのか」って、その時にしか抱くことの出来ない自分の大切な感情なんだと思う。

初めの1歩って、勇気と勢いがあればなんだかんだで踏み出せてしまう。その後の2歩3歩も、初動の勢いに乗れば進んでいく。だけど、それ以降の4歩目5歩目、10歩目、100歩目を踏む時には、きっと最初の勢いなんてなくなってしまっている。その時に、そんな自分を後押ししてくれるのが「どうしてやりたいのか」の理由の部分なのだと思う。
それが自分でちゃんと理解出来ている方が、何かしらの動機を胸に置いておいた方が、きっと目指すゴールに近づく気がしている。

だからわたしは「なんとなくやりたい」の「なんとなく」の部分を明確にすることをサボりたくない。

これからもちゃんと意識して明確にしていきたいなって思うし、それらをちゃんと掘り下げて文章にして、いつものようにこのnoteに記録していきたいなって思っている。アウトプットできるプラットフォームがあるってすごく便利だなぁって、こういう時に思う。

 

そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

 


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