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お隣さんと築いた小さな奇跡は、きっとこれからも

仲良しのお隣さんが引っ越してしまった。

今のお家に住んで4年。新築の賃貸マンション。コロナ禍に同時に引っ越してきた我が家とお隣さんは、都会らしく、ご近所づきあいなんてしてこなかった。たまにマンションの廊下やエレベーターで会えば挨拶をする程度。それ以上、距離が近づくこともなかった。

ところが。

我が家に子どもが誕生したのとそんなに変わらない時期に、お隣さん宅にも子どもが生まれた。深夜の授乳、眠い目をこすりながら娘ちゃんにお乳を咥えさせているとき、隣の部屋から同じように赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。

「あぁ、わたし、ひとりじゃないんだな」

そう思えて、とっても心強かった。近くに、同じように子育てをしているママがいる。友だちとも言えない、大した話もしたことのない、ただの隣の家の人だけれど、同じ境遇の人が近くに存在しているというだけでなんだか安心した。

そこからあっという間に2年ほどの月日が経った。この期間で、お隣さんとはお散歩先の公園や、児童館で何度か顔を合わせた。いつも挨拶する程度だったけれど、勇気を出してLINEを聞き、やり取りをするうちに、どんどん仲良くなった。お隣のママさんと、わたしが同い年ということも発覚した。敬語がため口になり、さらに距離が縮まった。

マンションの廊下で待ち合わせをして一緒に公園にお散歩に行き、雨の日や暑い日は我が家のリビングで一緒に遊び、近所のこども園の園庭解放に一緒に行き、初めての映画も、初めてのプラネタリウムも一緒にお出かけした。生活リズムも同じような感じで、「買い物行こ~」と玄関の扉を開けると、全く同じタイミングでお隣さんもドアを開け「あら奇遇!一緒に買い物行こ~」となることもしばしばあった。

そんな、仲良かったお隣さんが、ついに今日、引っ越して行ってしまった。

引っ越しの挨拶で最後に我が家に来てくれたとき、プレゼントとお手紙をもらった。中には、「もう少し早く仲良くなれてたらよかった」「出会えてよかった」と書かれていた。

寂しくて、泣きそうになった。

わたしも思っていた。せっかくお隣に住んでいたのに、どうしてもっと仲良くならなかったのだろう。一緒にお出かけしたり、お家で遊ぶようになったのは、本当にここ半年ほどのことだった。子どもたちが赤ちゃんの頃からもっと交流を持っていたら、もっと長い期間一緒に色んな思い出を作れたはずなのに。
交流を持ち始めた頃には、お隣さんは既に引っ越しすることが決まっていた。でも、もしかしたら、「この生活に終わりがくる」と分かっていたからこそ、ここまで仲良くなれたのかもしれない。映画も、プラネタリウムも、園庭解放も、躊躇なく誘えたのは「今誘わないと夏になったらいなくなってしまう」という焦りみたいなものがあったからなのかもしれない。

「出会えてよかった」

そう言ってもらえて、とても嬉しかった。わたしも、出会えてよかった。親も子も同い年で、境遇も価値観も似ていて、話も合う。そんな人が隣に住んでいるという奇跡みたいな時間を過ごせたこと、本当に幸せだった。ただのお隣さんが知り合いになり、そしてお友だちになった。いい出会いだったなと思う。

お隣さんの引っ越し先は、今のお家から1駅となり。多分30分ほどあれば行ける距離なので、引っ越したからといって関係が途絶えるわけではない。もうお隣さんではなくなってしまったけれど、これからも末永く、仲良くできたらいいなと思う。

お隣さんに、最大限の感謝の気持ちを込めて。また一緒に遊ぼうね、絶対ね。


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