会話がしたくなる家庭作り −出会い編−
こんにちは!
オーストラリアに到着してからの続きです。↓↓
ここからはフランス人夫との出会い結婚編です。今日はそのプロローグ的な内容。
まさか私が、フランス人とお付き合いをして、結婚することになるとは、、まっっっったく、1mmも想像もしていませんでした。
そもそも誰かと出会って結婚するって、そう言うこと多くないですか?
まさかこういう人(職業だったり国だったり)と結婚するなんて思わなかった、とかはよく聞く話ですよね。
でも出会うとこの人と結婚するだろう、と思ってたりもします。
恋愛の面白いところです。
その当時の私にとって、フランスって・・・フランスパン?エッフェル塔?
そんなイメージしかありませんでした。。笑(酷い。。)
機能不全家族で育った私。普通の家庭に憧れる私の世界は、この出会いでひっくり返ります。
いろんな記事で書いてる通り、私が育った家庭は少し特殊でした。
母親は世間体が大好物でヒステリック、私の父はワーカホリックでキレると物を投げまくる。
二人の相性は最悪、のように子供ながら見える。
私がこの両親って他の親と違うかもと気づいたのは小学生の頃で、
いろんなお友達のおうちに遊びに行ったりとか、皆のお父さんやお母さんの話を聞いていくうちになんか違うなと思って。
高校生の時には女神様みたいな(大げさ?笑)友達のお母さんに出会って衝撃がすごかったんですよね。
こういうご両親に育てられてたら私は今と違うのだろうか。
私の性格はどうなっていたんだろう。
思春期って、そういうことを考えられずにはいられないですよね。
もちろん今はそんな考えないですよ。感謝すらしてます😊
大きい反抗期は中学の頃にあって、自分がいつか結婚することもその時は想像もできませんでしたが、結婚して子供が生まれてもこんな親にならないと、反面教師で日々学んでいました。
で、学校で歴史の勉強するじゃないですか。
そこでまた悟るんです。食べ物、寝床に不自由してないだけいいじゃないかって。
明日死ぬ心配をしなくていい環境に感謝しよう、肉体的虐待がないのはラッキーだと思おう。
幸せな家庭は自分で作ろう。私が母親になったら、自分がされて嫌だったこと、悲しかったことは子供たちにしないようにしよう。
怒りがない家庭への憧れは子供の頃からありました。
機嫌を伺って過ごさなくていい、会話するのに息をつまらせなくていい家庭。
喉から手が出るほど欲しかった。
でも同時にこんな考えもありました。
このような環境で育った私が、幸せな結婚なんてできるのか?
子供が生まれたとしても、同じことをしてしまうのではないか?
そんな私が親と違う道を歩む方法、それは一つしかありませんでした。
考えること。向き合うこと。
考えるって言うのは、ただ想像したり妄想したりということではありません。
なぜ両親がそんな険悪にならなければいけなかったのか。私と父と母の違いはなんなのか。母の悪いところを継がないようにするためにはどうしたら良いのか。
それらを分かった上で私が幸せになるにはどうしたらいいのか。
どういう人と結婚したらダメで、どういう人がいいのか。
ちゃんと考えて行動すれば、私自身がそれを作ることはできるはずだと思いました。
人間に与えられた最大の武器、脳を使って考える。
最大の武器を使って、幸せな家庭を自分の手で作るんだ。
私が考えて行動した”今”の積み重ね、その延長線上が、自分の未来なんだ。
私の一つ目の目標、”幸せな家庭を作る”が爆誕です。
オーストラリア・ゴールドコーストでの生活
オーストラリアへ行った理由はもちろん語学の勉強とか、世界を見て感じるためでした。
その中で人と関わって、好きだと言ってくれる人がいて、私もいいなと思う人がいたら恋愛もしたいと思っていました。
国籍は特に気にしていませんでした。
国籍より何より、私の恋愛結婚の目標は明るい家庭を作ること。
この人しかいないという人が現れない限りは結婚なんてしたくありませんでした。
逆にそう言う人が現れたらその人の住む国でもどこでも行くくらいの気持ちです。
最初の降り立った地、ゴールドコーストでは出会いこそたくさんあったものの、恋愛に発展する人はいませんでした。
学校の友達の友達が来てパーティーがあったり、それこそパブに飲みに行ったり英語力向上のためにも、いろんな国の人と会いました。
その期間も刺激的で本当に楽しかったです。
GCのサーファーズパラダイスという小さい地にこんなにいろんな国の人がいて、出会える。
私がいた日本、千葉県、家庭の中はなんて小さい枠の中だったのだろうと体感しました。
次回やっと夫が出てきます!
引っ張ってすみません😂
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