見出し画像

[小説]夏の犬たち(7/13)– 思い出

<第一話
<前の話

 子どもの頃、毎年夏になると家族で長野の別荘に行って過ごしてたの。母方の祖父が持っていたもので、おじいちゃまの別荘って呼んでたけど、祖父はもう亡くなっていたから、私たち家族で好きに使ってたのね。
 別荘なんていっても子どもにとっては全然楽しいものじゃなくて、近くにコンビニもないから夜は暗いし、山の麓だから自販機にぎょっとするほどの大きさの蛾は張りついてるし、なにより周りに同じような年頃の子がいなかったからとにかく退屈で。毎年嫌々連れてこられてきてた。
 それが変わったのは、四年生の夏だった。いつのまにか近くに新しく別荘が建っていて。それを見て、あの別荘に来る人たちの中に同い年くらいの子がいますように、って私、祈ったの。それくらい友達に飢えてたのね。

 で、毎日のようにその新しい別荘を見張ってたら、ついに車がそこに入ってきて。砂利が跳ねてタイヤのあとからもうもうと土煙が上がるのを、木陰からバードウォッチング用の双眼鏡で見てた。その光景を今も覚えてる。車からは小学生の男の子が出てきて、それが恩だった。
 最初は女の子じゃないのにがっかりしたけど、同い年だったし、私たちはすぐに……だったかは忘れたけど、仲良くなった。恩は子どものときから落ち着いてたし、私みたいに本を読むのも好きな子で、気が合ったのね。
 でも恩は私みたいに家に篭りきりの子じゃなくて、外遊びも得意だった。クヌギやコナラの木を見つけると、ためらいもなくナイフで樹皮に傷をつけて、次の朝早く一緒にカブトムシをつかまえた。虫が怖かった私がカブトとかクワガタくらいなら触れるようになったのも、恩のおかげ。
 恩の宝物はお父さんから譲ってもらったスイスアーミーナイフで、私にも触らせてくれた。小さなナイフとか、栓抜きとか、ハサミとか、なにに使うのかわからないものとかを、指の先で引き出すとパチンといい音をさせて出てきて、また赤い持ち手にきれいに収まるのがおもしろかった。歪んだ五角形の中に十字があるマークを私はスイス政府の印かなにかだと思ってた。この子のお父さんは昔スイスのためにスパイみたいなことをしていて、その記念にもらったんじゃないか、なんて想像を膨らましたりして。
 恩は「熊に出くわしたらすぐ出せるように」ってそれをいつもポケットに入れてたけど、あんな小さなナイフで熊をどうにかできるって本気で思ってたのかは謎だった。

 あるとき別荘のまわりを母と散歩してたら、お父さんと歩いている恩と会ったの。まだ親といるところを見られるのが嫌って歳でもなかったけど、それなりに少し恥ずかしく感じた。恩のお父さんは背の高い人で、恩と目元が似てて、スパイって感じはしなかった。でもそれより私は、親同士の雰囲気が変なのに気を取られてた。
「どうも」とか「うちの子がお世話になりまして」とか、よくある挨拶をしてるんだけど、ほんとうは知り合い同士なのに初めて会ったふりをしてるみたいな、互いに相手じゃなくて私たち子どもに挨拶を聞かせてるみたいな、おかしな感じだった。恩も不思議そうな顔をしてたから、それに気づいてたと思う。

 それからだった。私が恩と一緒に遊んだって話をするたびに、お母さんが不思議な顔をするようになったのは。いえ、不思議ってことはなくて、にっこりとして「そう」って言うだけなんだけど、その笑顔が目を細めて閉じた口の両端を上げて、っていう簡単な三本の曲線で描いたみたいで、そうなると単純な線に隠れてほんとうはどんな顔をしてるのかわからなくなるの。それで、お母さんはそのあときまって口数が少なくなった。
 でも一度だけ、お母さんから恩の話を持ち出したことがある。別荘のキッチンで二人、食事の準備をしてるときだった。そこにお父さんはいなくて、もしかしたら仕事が始まってて、一人で先に家に帰ってたのかもしれない。
 お母さんは氷みたいに冷たい水に浸けていたレタスをボウルから引き上げて、外側から一枚ずつ葉をちぎっているときに突然「でも、恩くんっていい子ね」って言ったの。
 なにが「でも」なのかわからないうちにお母さんは続けた。
「あんな子がお兄ちゃんだったらいいと思う?」
 レタスがバリバリと剥がされる音を覚えている。隣にいた私はペーパータオルでレタスの葉の水気を拭きながら、変なことを訊くと思って、「恩は私と同い年だよ」と口を尖らせたの。
 そうしたらお母さんが「でも、恩くんのほうが由莉よりも何か月か早く生まれたでしょう」って言った。私はそういうことかと納得してから、少し遅れて、どうしてお母さんがそんなこと知ってるんだろうと不思議に思った。それに、いい子だなんて言えるほど、お母さんと恩は顔を合わせてないもの。けど、大人が子どもの知らないことを知ってるなんて普通のことだから、じきにそのやりとりを忘れた。

 そして四年生の夏が終わって別荘から家に戻り、私は恩のことを忘れた。結局のところ、期間限定のかりそめの友達に過ぎなかったから。私と恩がほんとうに仲良くなったのは、五年生の夏だった。
 また夏休みがきて別荘地で恩と顔を合わせたとき、なんだか面食らった。お互いの背が伸びて顔が少しすっきりしたのもあるし、なにより四年生のあの夏はどこにも繋がらず、ずっと前に終わったものと思い込んでたから。子どもの一年は長くて不連続だから、また別荘に来たら恩に会えるっていう当たり前の予測すらできなかったのね。
 四年生の恩のブームはカブトムシ採りだったけど、その年は音採りにはまってた。これもまた、お父さんからもらったっていう小型のICレコーダーを手に、別荘地のあらゆる音を蒐集しようって構想を携えてやって来てたの。

 私はなんの遊びのアイデアもない子だったから、助手を自称してまた恩にくっついて、かといって手伝えることなんてなにもないから、恩が音採りしてるのをただ横で眺めてた。夕暮れどきの虫の声とか、池から鳥がいっせいに飛び立つ瞬間とか、おじさんのバイカーたちが林道を走り去る音とか、恩はそういうのを録っては、データをきちんとパソコンに保存する。あわせて紙の地図の上にトレーシングペーパーをかけて、何月何日何時何分にここでどういう音を採取したって記録を鉛筆で書き込むの。恩はヘッドフォンで録音を聴きながら書き込みで埋まっていく地図を眺めては、満足とも不満足ともつかないため息をついてた。その横顔を見て、この子は物静かで落ち着いてるけど、ずいぶん変わってるって ーーそのとき偏執質って言葉を知らなかったからーー 思ったわ。音で地図を埋めようとするなんて、なんだか薄い膜の上に自分にしか見えない王国をつくろうとしてるみたいで。

 あるとき恩が「いいことを思いついた」って、静かに、でも確実に興奮しながらやって来た。「木が地面から水を吸い上げる音を録りたい」って言うから、二人で別荘地の周りにある林に入ってちょうどいい木を探した。私たちは大きなミズナラに目をつけて、深いシワが寄った幹に人質を縛りつけるみたいに、ガムテープを使ってICレコーダーをくくりつけたの。
 恩はきっと、巨人が喉を鳴らすような音が録れると期待してたのね。「暗くなったらまたスイッチを入れに来る」なんて、ミズナラが夜空の下でしか水を飲まないみたいに言った。

 それで次の朝早くに二人でレコーダーを回収して、その場で、ミズナラの幹に寄りかかって再生したの。スイッチを入れるとザアザア音がして、その瞬間はこれが幹が水を吸い上げる音だって思ったけど、じきに、それが風に吹かれた木の葉が樹上でざわめく音だってわかった。
 五分聴いても十分聴いても、風の音しかしなかった。目をつぶってどんな音も聴き漏らすまいと集中してる恩の横で、私はがっかりしているのを隠そうと、というより、そう感じてる自分を認めまいとがんばってた。だって、恩の考える遊びはなんでも楽しいはずだったから、白けるなんてあってはならないし、それを恩に気取られたら、楽しい時間の全部が壊れちゃう気がして。
 いつまでも続く味気のない風の音の隙間から、鼻で鳴くような甘えた鳴き声がかすかに聞こえたとき、私と恩ははっと息を呑んで目を合わせた。
「犬だ」
 恩が小声でささやいて、私はうなずいた。音声からはか細い声が続いていた。恩はレコーダーを停止すると、私に目で合図して、木の周りを探しはじめた。
(つづく)

次の話>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?