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[小説]夏の犬たち

13
全13回。頭を洗わない女子大学生のよもぎは今日も男の体を眺めていた。
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2023年1月の記事一覧

[小説]夏の犬たち(6/13)– 雷

[小説]夏の犬たち(6/13)– 雷

<第一話
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 大学が終わったよもぎが由莉のマンションに帰ると、ダイニングテーブルに食材の詰まった買い物袋が置いてあるのが目に入った。
「いま帰ったばっかりで、休んでから冷蔵庫に入れるから」
 ノースリーブから伸びる白い腕を椅子の背に絡めるようにして、言い訳がましく由莉が言った。よもぎの頭には手伝おうという発想も浮かばず、はちきれんばかりになって自立する袋をただ眺める。非力な由莉にしては、

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[小説]夏の犬たち(5/13)– 前の犬

[小説]夏の犬たち(5/13)– 前の犬

<第一話
<前の話

 夕方になる前に恩とは公園で別れた。由莉とは公園を出て途中まで一緒に歩き、あとはそれぞれの家に帰る。そのつもりでいたよもぎに由莉が「ちょっとうちに寄っていかない?」と声を掛けたのだった。

 マンションに着くと、由莉はお茶を出してくれた。この部屋に通うようになってはじめてのことだった。歯を立てたら割れてしまいそうに薄いティーカップに淹れられた薄黄色のお茶はハーブティーらしく、

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[小説]夏の犬たち(4/13)– 散歩

[小説]夏の犬たち(4/13)– 散歩

<第一話
<前の話

 普段は平日の午後が洗髪の時間に決まっていたのに、その土曜、よもぎは朝から由莉のマンションにいた。
 シャンプーのあと、由莉はまだ椅子に座ったままのよもぎの顔を見つめて、「少しじっとしてて」と告げた。由莉は手のひらでくるくると洗顔フォームを泡立てると、クリームみたいな泡をよもぎの鼻の下に塗りつけた。そして折りたたみの剃刀をパチンと開くと、唇の上の濃い産毛を丁寧に剃り落とした。

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[小説]夏の犬たち(3/13)– あたらしい犬

[小説]夏の犬たち(3/13)– あたらしい犬

<第一話
<前の話

 由莉にシャンプーをしてもらった帰り道だった。夜と昼の間に迷いを深めたような藤色の空の下、歩道を歩いていると、よもぎの体をぎりぎり掠めるようにして、すぐ横を自転車が走っていった。 
 あっという間に自転車は影となって去っていった。それでもわかった。スポーツタイプの自転車に乗っていたのは若い男で、おそらくは同じ大学の学生で、自分のアパートに帰るか、バイト先に行くかするところだ。

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[小説]夏の犬たち(2/13)– シャンプー

[小説]夏の犬たち(2/13)– シャンプー

<第一話

 広くて物の少ない洗面所だった。てきぱきと椅子を用意され、鏡に背を向けるかたちで洗面台の前に座らされる。
「少しリクライニングさせるから、そのまま頭を下げて」
 こわばらせた背がゆっくりと後ろに倒れていくにしたがって、よもぎは動物じみた臆病さで椅子の肘掛けを強くつかんだ。罠にかかったという焦り。これ以上は倒れないというところまでくると、ちょうど洗面台の中に頭がおさまるかたちになった。

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[小説]夏の犬たち(1/13)– 視線

[小説]夏の犬たち(1/13)– 視線

 もっと透けないか。そう念じながら、よもぎは白いシャツの背中を見つめていた。

 一列とんで前の席に座る男子学生の、初夏の陽気に汗ばんだ背中に貼りついているシャツは、その下の肌の色や筋肉の張りを伝えそうで、あと少し及ばない。目を凝らせばなんとかなる気がして眉間に一層のしわを刻む。重たいまぶたの下、研ぎ澄まされた陽炎を思わせるよもぎの眼光は、この大講義室の教員を含めた誰よりもおそらく鋭い。

 視覚

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