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「新しい戦争」の最前線はあなたの手の中に―『「いいね!」戦争』

大統領選も国民投票もハッキングされた?

NETFLIXで配信中の『グレート・ハック~SNS史上最大のスキャンダル』が話題です。FacebookなどSNSで収集した情報を使い、ケンブリッジ・アナリティカという選挙コンサルタント会社がターゲティング広告等で利用者を「ハック」し、依頼者の有利になるように有権者の選択を変えさせた実態を暴く。2016年の米大統領選、そしてイギリスのEU離脱国民投票において、民主主義を捻じ曲げる「ハッキング」が行われた、と告発します。

――正直、この手の言説は疑ってかかっていました。「トランプが大統領に選ばれたこと、あるいはイギリスのEU離脱という『リベラルにとって不都合な結果』を受け入れたくないがために、『プロパガンダに乗せられた愚民』という構図を作ろうとしているのではないか?」と。

もちろん、番組視聴後もその疑いが全て晴れたわけではありません。「ハッキング」の効果は確かにあっても、これだけで二つの結果に至ったわけではない。トランプ当選でいえば「忘れられた白人」「ラストベルト」の影響もゼロではないでしょうし、ブレグジットにしても自身の理念として選んだ英国民も少なくはないでしょう。

しかし、国論が二分しているとき、どちらにも決めかねている人をほんの少し後押しするだけで、分岐は変わってしまう。しかもそれが、テレビのように受動的なものではなく、ネットのように「自分で選んで収集した(はずの)情報によって、気づかないうちに後押しされていたら」どうでしょうか。さらには、あなた自身がその「ハッキング」に知らないうちに加勢していたとしたら?

「インターネットは戦場と化した」

『グレート・ハック』はあくまでも、情報を操作したい側の告発にとどまっています。一方、今年6月に訳書が出版されたP・W・シンガー、エマーソン・T・ブルッキング『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』(NHK出版)では私たち自身が知らず知らずのうちに、すでに「戦争の当事者」となっている現状を描き出しています。

P・W・シンガーと言えば、これまで、戦争の民営化の実態を知らせた『戦争請負会社』や、軍用ロボットの広がりを追った『ロボットの戦争』など、まさに戦争の最前線を追ってきた研究者。その彼が「『いいね!戦争(ライク・ウォー)』はすでに開戦している」というのだから大変です。まさに「戦争は中東や国境地帯で起きているのではない! 私たちの目の前で、いや手のひらの上(のスマホを通じて見えるネット空間)で起きている」のです。

ネットが市民社会をずたずたに引き裂く

ネット空間では、事実を冷静に伝える記事よりも、嘘を含むもの、そして怒りを伴うものが数倍もの勢いで拡散される、という研究結果があります。「ネットは嘘だと分かればすぐにそれを訂正する情報が流れるので、既存メディアよりも情報の正確性が保たれる」と言われたのも今は昔。確かにそういう面は今もなくはないのですが、人々は何が事実かよりも、自分の信じたいものを信じるようになってしまった。

が、それはネットのせいではなく、そもそもの人間の脳の働きである、として、本書はこう解説します。

人は自分が正しいと思いたがり、間違っていると分かるのを嫌がるのだ。1960年代、イギリスのある心理学者はこの現象を特定し、「確証バイアス」と名付けた。その後、他の心理学者たちが、相手が間違っていることを示して確証バイアスに反証しようとするのは得てして問題を悪化させることを発見した。相手が間違っているという事実を説明しようとすればするほど、相手はますます自分の意見に執着するという。

もともと脆弱性を抱えていた人間の脳。それがネットによってさらに深刻な事態を招くことに。

インターネットは脳の最悪の衝動を煽り、それを無数の人間に広めて、そのプロセスを過熱させる。ソーシャルメディアはユーザーを、彼らの見解の一つ一つが広くシェアされるように思える世界にいざなう。他の人間も自分と同じだと思わせる。いったんグループができれば、同類性の結びつきはさらに緊密になる。(中略)インターネットが同類性に拍車をかけ、それが確証バイアスと相まって、市民社会はずたずたに引き裂かれかねない。各グループが、自分たちのメンバーだけが真実を知っていて、他はみんな無知か、それどころか邪悪だとさえ思い込むようになる。

……思い当たる節がありませんか。

世界中に点在し、ネットがなければお互いを認識することすらできない同類を見つけられるのがネットの長所ではあります。しかしとんでもない副作用もあるのです。

「人間の脆弱性」を利用するのは誰か

『「いいね!」戦争』はこの夏の必読書です。例えば昨今ネットの戦場で右左両陣営が熱く戦闘を展開しているさまざまな話題について、自分はどういう情報を元手に参戦するのか、あるいは観戦武官のように戦況を見守るのかはともかく、戦場を俯瞰する視点を持つべきでしょう。

その「いいね」、あるいは「RT」や「シェア」をしようとしている記事や書き込みは、本当に信頼できる情報か、広めていいものかどうか、一呼吸おいて考えるところから始めてはいかがでしょうか。

そのうえで、さらに『グレート・ハック』のような「民衆の選択を意のままに操りたい側」の仕掛けも意識する。NETFLIXをご覧になれない方には、こちらの本をお勧めいたします。

『グレート・ハック』や『「いいね!」戦争』は欧米が主な舞台ですが、本書はロシアの誘導工作を厚めに扱いつつも、第6章で日本を取り上げています。「日本は情報工作に攪乱されにくい社会」だと分析されてはいますが、油断は禁物。

いまあなたが「いいね」を押そうとしているその情報が、「本当に日本の一国民の素朴なつぶやき・書き込みなのか」、あるいは「特定勢力が特定の方向へ世論を誘導するために行った工作なのか」、簡単には見分けのつかない時代になったのだから。

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梶井彩子
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