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ホワイトハートレーンの住人


皆さんこんにちは。Ottyです。

ロンドンの朝の空気は冷たくて気持ちが良く、
すーっと息を吸うと身体の中にその冷たさが通って目が覚めます。

今私はホワイトハートレーンという、トッテナムホットスパーのスタジアムがある街の一軒家に住んでいます。

ホットコーヒーを片手にトッテナムホットスパースタジアムの見える道を散歩するのが楽しくて。そんな贅沢な朝を過ごす日々です。

25歳を迎え、人生の分岐点にまた立ったなと感じたので、異国の地でだらだらとブログを書いています。

今日、今、ここロンドンに至るまでの軌跡をつづていくので、よかったら暇つぶしに読んでみてください。

0章 何のために生きてるんだっけ?

25歳って、色んな意味で節目だと思っている。

25歳の誕生日を迎える時、
自分は何をして過ごしたいか?

そう考えた時に真っ先に思いついたのが、
今自分がいるここロンドンで世界最高峰のサッカーを観ることだった。

11月に航空会社からIT企業に転職。
やりがいはあるが、忙しすぎて正直色んなものを失ったようにも思った。

こう見えて、バリキャリとか好きじゃない。
オンオフ切り替えて短い時間だけ好きなことして働く方が好きだ。皆そうかもしれないけれど。

私がポンコツすぎて、会社の、部署のお荷物になっていることは間違いない。でもいつかこの経歴を踏み台にすることができるっていう面では、まぁこれで良いのかなって思っている。地道に地道に、成長はしていってるはずだから。

実は傍らで、6年前からアメブロトップ5に君臨し続ける某ブロガーのコンサル兼アシスタントディレクター業務をしている。
これは微々たる収入やインセンティブにしかなってないけれど、正直そっちの方がやりがいはある。

あとはプライベートでサッカー関係や旅人の方と関わったり、最近はInstagramの案件などもよくくるようになった。勿論本業より楽しい。

さらに最近、自分はたくさん働いてるのに友人のインスタのストーリーは割と自由で、仕事しつつも海外にポンポン行ってる写真を見て、「やっぱ働きすぎず、好きなことするのいいな」と思ってしまった。

大人になってもこんなワクワクするドラマチックなアドベンチャーを求めちゃってるなんて、
本当は我慢するべきだとは思うんだけど、
でもやっぱり今しかできないじゃんという気持ちに負けて航空券とサッカーのチケットを確保した私は結局最高のフットボール遠征の幕を開けることになる。

1章 まるでメルカート

ただ、そんなアドベンチャーも、良いことばかりではない。むしろ何かを乗り越えなければならない、それも外国語で。そんなことのほうが多くて気絶しそうになる。

東京を発ち、ロンドンに着くまでの時点で既にいくつものハプニングを乗り越えた私はサバイバル能力と生命力が強いことは間違いない。

私のモットーである強い女には適した出来事だろう。

旅は2ヶ月前から計画していた。

なのに、何を思ったのか出発の1週間前まで航空券など何も手配していなかったのだ。

ただ、それは吉と出た。

9月9日、エリザベス女王が亡くなったからだ。

なんとなく、何か起こりそうだしまだいいや、と思って先延ばしにしていた結果がこれだった。

危ねーまだ取ってなくてよかった。
ただでさえ試合を観にロンドンに行ったグーナーたちが空ぶって虚無になっているのをTwitterで見ているとこっちまで心が痛む。自分はそうはなりたくないから正式に発表されるまでは一旦落ち着こうと決めた。

結果、めちゃくちゃ運が良く、
9月17日(日本時間では18日)にロンドンで行われる試合の2/3はキャンセル。唯一開催される試合が本命のスパーズとレスターの試合だった……。

ところが、試合のアナウンスが出たのは出発の2日前。
ギリギリすぎて試合に間に合う時間のフライトが壊滅的にない。あっても60万からスタート。

本当に、神様はいつでも私に悪戯ばかりする。

なんとかカタール航空の18万のチケットを見つけ、速攻予約。だが、これが後ほど地獄を生むことを私はまだ知らない。

仕事に会食、あまりに色んなことに追われすぎて準備は何一つできず、気が付けば前日に。

2時間睡眠の中パッキング、作業、ホテルの手配をして当日。

せっかく準備万端なのに、新宿〜渋谷間に人が立ち入ったせいでいつも乗る電車が80分以上の遅延。オフィスに向かえない。ふざけすぎている。弊社は遅刻OK。ただしロスした分は働かなければならない。
結局オフィスに着いたのは10:37だった。

そこから嵐のように次々とくる作業をこなしてなんとか19:37に退勤。

電車は19:45発。エスカレーターを爆速で乗り越え無事乗車。

安心していたら、都内から成田へ向かう途中、線路に人が立ち入りまさかの遅延。またかよ。

ただでさえフライトまで時間ギリギリなのに、
これ以上ロスタイムは延ばせない。

大幅に遅れていたのだが、幸い、ロスタイムは3分に縮まって成田空港に到着した。

到着してすぐ、カウンターへ駆ける。
チェックインは無事済んだと思ったが、ここで新たな問題が生じる。

なんと、2つ目の経由地ウィーンにて、預け荷物が一度降ろされるとのことだ。考えられん。そんなことあるか?

確認したが、搭乗まで時間がなくさっさとリリースされてしまった。

1時間25分しかない短い時間でオーストリアに入国し、荷物をピックアップし再びカウンターで荷物を預けなければならない。

そんな無駄なことしてたまるか。

ただ、現時点では荷物に関して変更は不可能だったため、ドーハ到着時にスタッフにめちゃくちゃ交渉してロンドンでピックアップしてもらえるようにするか、ウィーンでダッシュして荷物をピックアップするしかない。
後者だと乗り換えに間に合わないリスクを伴うのでまずは前者にトライする。無理なら仕方ない。

10時間後にまた考えよう。いまは脳を休めたい。

さて、ハプニングはまだまだ終わらない。

なんとWi-Fiルーターを借りるカウンターのシャッターが閉められている…
お前SIMにしろよってツッコまれそうなので、一応補足をしておくと、
①SIMは絶対になくす。
②ヨーロッパを周遊するため各地でSIMを買うのは手間。
こうした理由からずっとWi-Fiルーター派だ。
そんな大事なWi-Fiが手に入らないのは超困る。

たまたま締め作業をしていたお姉さんを捕まえて受付対応してくれと懇願。優しいお姉さんは笑顔で私にWi-Fiを手渡してくれた。スタッフがいなかったら私はWi-Fiがないまま渡航するハメになっていた。運が良かった。お姉さんには残業させてしまい申し訳なかった。

時間もないので急いで搭乗ゲートへ向かう。

急いで向かいたいのに、どこの荷物検査場も空いてない…まじか。

とりあえず検査場の入り口にあるバーコードリーダーに航空券をかざしたのだが、まさかの入場拒否。

事に気がついたスタッフが駆け寄り電話で確認、もしかしたら飛行機に乗れないかもしれない。ヒヤヒヤして待っていたら「お待たせしました、どうぞ」の一言と共にゲートのドアが開いた。

走って搭乗口へ向かう。遠い、遠すぎる。

幸い出発の数十分前には着いて無事搭乗できた。

ここまではちゃめちゃなことが起こりすぎて、2時間睡眠の私の身体は既にボロボロだった。

悲劇は終わらない。
ドーハまでのフライトは満席。不幸なことに真ん中に座らされた。それはまぁ良いとして、もっと致命的な悲劇に遭遇する。

USBコンセントに不備がある席というトラップ。
わかるひとがいたら良いのだが、あのようなケーブルって、使いすぎると普通に差し込んだら使えないケースがたまにある。
ちょっと角度を変えて差し込んだりしないとうまく充電ができない。
このまま10時間ケーブルを抑えるか?それは無駄だし不可能。

何度コンセントを差し込んでも全然反応せず泣きそうになっていたが、うまいことしっかり充電ができる角度を発見。その位置を固定するためにペットボトルやクッションで抑える。

無事、充電が40%を切っていたスマホは80%まで復活した。

悪い事ばかりではない、機内はワールドカップで溢れており、グッズもコラボしていた。
しかも機内の安全の説明ムービーにはASローマの選手やなんとバルサに移籍したレヴァンドフスキが(動画は当時所属していたバイエルン時代のものであったが)。

こんなにテンションの上がるフライトは久しぶりだ。

というか、海外に行くのにあれだけ書類を揃えていた2年前から、こんなにも簡素化されたんだなぁと。

中東もヨーロッパもすっかり通常モードだ。

ここまで機内でアラビアン音楽つまみにワインを飲みながら執筆していたのも束の間、酔っ払って寝落ちして、気がついたら2022年FIFAワールドカップの開催地に到着していたのだった。

アラビアン音楽は本当に睡眠薬だ。
昔からエキゾチックな音楽が好きだったので、テンポがゆっくりでアラジンの中に出てきそうな感じの曲が大好きだ。

快適なアラビアンナイトを過ごした。

2章 燕脂の山羊

さて、3:27、カタールドーハに着いた。

最高だ、W杯開催国は見渡す限りのフットボールで溢れている。

11月はもっともっと最高な空間になっているのだろう。

実は、予定よりも1時間早めに着いた。

5時間も時間があれば、1回外でも出ようか。
と思っていたが、ぼーっとしすぎてトランジットエリアへ。
ダメだ、出口がない。
私はこうして5時間ほどドーハハマド空港に監禁された。

悲劇はまた起こった。
トランジット時に荷物検査のため液体物を捨てなければならない。多めに買った飲み物はゴミ箱へと放たれていった。

そして問題の荷物をどこで受けとるか、という事に関してはだいぶ大変な事になってしまった。

3人のスタッフに確認したところ、3人全員から違う回答を得たからだ。

1人目。カタール航空カスタマーサービスのおばさんに聞いてみた。
「あんた、チケット買い直したら?空港のカウンターで聞いてみて」

2人目。カタール航空のカウンターのお兄さん①に聞いてみた。
「念のためウィーンで荷物ピックアップする必要があるかスタッフに聞いてみたら良いよ」

3人目。カタール航空のカウンターのお兄さん②に聞いてみた。
「あんたの荷物はロンドンまでスルーだよ」

人間不信になりそうだ。
誰を信じれば良いのか、誰の言っていることが正しいのか。

燕脂の山羊はかなりマイペースだった。


3章 蒼き雄鳥

ロンドンまでの道のりもあと少し(なはず)。

さて、ここから闘いが始まる。

当初予定していた時間より約15分ほど早くウィーンに到着。

与えられた時間は1時間35分。

ラッキーなことに前から2番目の座席だったため、早く降りられる。

ここからどうするか。

荷物をウィーンに置いていくのだけは避けたかったので、以下の手順で動くことに。

①到着してすぐに乗り継ぎカウンターへ。スーツケースをどこでピックアップするのか確認。

②乗り継ぎ時間が短いため、可能であればスーツケースをロンドンまでそのままスルーして欲しい旨伝える。

③無理ならターミナルと搭乗口の確認。気合いで入国→荷物ピックアップ→再チェックインを30分で終わらせる。時間ギリギリだが前のフライトの関係でこうなってしまい、どうしてもそのフライトに乗りたい旨を伝える。

④搭乗口まで走る。

パワープレーだが自分にできることはそれしかない。乗り遅れも許されないし、スーツケースを置いていくのも許されない。

結局のところ、ウィーンでもスタッフの言ってることが皆違ったので、念のためカスタマーセンターとカタール航空専用のカウンターで確認。ロンドンピックアップで問題なかったので、せっかく入国手続きしたのにまた再出国。

ウィーンの滞在時間、わずか15分。

それでも4年ぶりのウィーンでテンションが上がった。

大学生の頃、オペラが見たくてウィーンまで飛んだのだった。

それで、また出国手続きをしようと思ったらなんと長蛇の列。並んでる全員に全力で謝罪して最前列に入れてもらった。本当にすみません。
でもオーストリアのひとや、その場に並んでいたひとたちは皆とても優しく、親切に早く行きな!と前に並ばせてくれたのだった。

多分真面目に列に並んでいたら普通に間に合わなかった。

さて、どうにかゲートに着く。
ところがフライトが15分遅れてる。更にここでもっと大変な事に気がつく。

18:30キックオフだと思っていた試合が17:30だったのだ。時差の計算ができていなかったので、小学校からやり直します。
(大体のヨーロッパ諸国は7時間時差なのだが、ロンドンは8時間時差ということを失念していた。)

更に乗客の手荷物が多すぎてオーバーヘッドビンに乗らなかったり、子供が泣き喚いてたり、全然ことが進まなく、結局ウィーンを発ったのは15:40。予定より1時間遅れ。本当にやめてくれ。

フライト情報を確認。16:42頃にロンドンに着きそうだ。
後半から試合みることになるかも…という不安のまま、疲れすぎて機内で寝落ちしていた。

で、ロンドンに着陸して目が覚めたらキックオフ30分前。ここからトッテナムまでは1時がかかるから絶対に間に合わない。

“”スピード違反で捕まったら、罰金は私が払うんで出来るだけ早く向かってもらえる?””ドライバーにそう頼んで空港から爆速。

結局スタジアムに着いたのは試合終了15分前。

ゲートに向かうと、スタッフにもうスタジアムには入れられないと告げられる。

その場で泣き崩れた。
「何のためにロンドンに来たのか?今日が自分にとって大切な日なのに?」
そうすると、困ったスタッフは宥めて、警備員の1番偉いひとを呼んで事情を説明してくれた。

そして、スタジアムに入れてもらえたのだ。

サッカーが好きな人はわかると思うが、
5分でも10分でも観戦できることに価値がある。

こうして私は愛してやまないソンフンミンのハットトリックのうちの2点を目に焼き付けて誕生日を過ごすことになった。

今季初、ホームでのハットトリック。
後半からの途中出場にもかかわらず、ストライカーとして文句なしの結果で終わった。

最高のスタジアムに、大好きな選手、団結した応援、もうすべてがカッコ良すぎた。

たった15分でも、これ以上に幸せなことはないと思った。

そして、自分がこんなにもサッカーが好きなんだと改めて気がついた。

スパーズの関係者と、シーズンチケットホルダーと話をして、写真も思う存分に撮って、スパサポにフィッシュアンドチップスをご馳走になった。

こうしてなんとか、最高の25回目の誕生日を過ごすことができた。蒼き雄鶏のエンブレムのクラブと共に。

London, United Kingdom,

Ayaka Otty

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