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距離感。

ひとりひとり、心地よい人との距離感というものがあるような気がします。

それは物理的な距離にしろ、精神的な距離にしろ。


誰かとの間にある、目に見える物理的な距離。

こっちの方は、距離の開き方が目に見える分、わかりやすい。

もう少し近づいても良さそうなら、近づけるだけ近づくし、相手が微妙な感じなら、ちょっと距離を開けることができるから、調整もしやすい。



その反面、誰かとの精神的な距離はどうなのか。

こっちの方は、目に見えない分、わかりにくいし、時々、気にかけてあげないといけない。お互いに。

そうしなければ、近づきすぎた場合、お互いの許容範囲みたいなものを、害してしまうかもしれないし、遠すぎたら遠すぎたで、ギスギスしたり、よそよそしいままになってしまう。


まれに、あまり気にかけなくても、「この人との距離感、ちょうどいいな」って人もいますが、そんな人には、そう易々とは出会えないものです。

あるいは、鈍感のドンスケな自分の場合、出会っていたとしても、かなりの確率で見逃してきてしまった気もする。



自分にとって、課題というか、これまでも、多分これからも気にしてしまうのが、精神的な距離の取り方。


自分で「ここだけは守りたい」というパーソナル・スペースへの防衛本能が強すぎて、そこへの誰かの侵入を許せるだけの余裕が持てない。

そしてこちらはこちらで、相手のどこまでなら踏み込んでいいか考えあぐね過ぎて、結局近づけないことが多い。

距離感を掴むのが下手というか、なんというか…。


そのせいで、自分からダメにしてしまった誰かとの関係性も、これまで少なくはないと思います。



そろそろ、この辺りを変えていきたいなあと、漠然と考え始めているんです。



何で急にこんなことを考え出したのかというと、多分それは、ここしばらくの、人との距離(物理的な方の)をとって生活する、という状況がしばらく続いたからなのではないかと。

この状況の中で、離れて暮らしていても、遠くから気にかけてくれる人が多くいることに、ありがたいなあと思い、それと同時に、実際の距離と、精神的な距離というのは、あまり関係ないのかなあなんて思ったりして。

近くにいても、通じ合えない人はいるし、遠くにいても、何となく通じ合っているなあ、という人もいる。

当たり前のことかもしれないんですけど、この一週間は、そんなことを感じていました。


誰とでも、精神的な距離を縮める必要は決してないけれど、そういう人は、多いに越したことはないと思うんです。特に、こういう非常事態には。

自分が精神的な距離の取り方が下手なのは、これまで、自分の何かを、誰かにgiveしてくることを、しなさ過ぎたせいもあると思います。giveするとしても、何か見返りを求めることが前提だったなあ、と急に反省し始めたんですよね、この一週間ほどで。


30手前にして、遅いわ!って感じなんですけど。でも、自分ができる形で、何かgiveできる人間になりたいなあ、と思い始めています。

理想は“無意識にgiveできる人”。でも、いきなりそこを目指していくのは厳しいので、“意識してgiveしていく人”を最初はやってみようかな。ちょっと、しばらくは恩着せがましいかもしれませんが、多めに見てください。




#距離感 #精神的 #give #コラム #エッセイ #noteのつづけ方

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