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今アツい、子どものゲーム問題

今、私の周りで、学校行かない子どものゲーム問題がけっこう熱い!
ゲームをさせるかさせないかではなく、残念ながら今どきゲームはマストとして、ゲームに取り組んでる時間がどれくらいか問題、です。
私はゲームにはまったく興味がありません。子ども時代も、周りの友達が夢中になってやってようとも興味がないので、好きなだけ本を読んでいました。
そして、私は元教師。子どものゲーム依存について情報がありすぎる立場にいました。

なので、娘が夫にSwitchを買ってもらったときも最後まで反対してましたし、その後も買って放置は親の怠慢とばかりに、都度都度娘と話し合い、ゲーム時間を決めて遊ぶように働きかけてきました。
まあこれは、多少なりともゲーム依存を心配する親ならよくある行動かと思います。私の場合それに教員風味が足されて、なお頑な、といった具合です。

問題は娘が不登校となってからのゲーム時間なのでした。
不登校となってからは、娘ももれなく、ゲームに没頭する日々を送っていました。
学校で起きた嫌なことから気持ちを逸らすためにやっているんだろうなぁ、と見ていて感じる姿だったので、少し目を瞑ることにしたのですが、やがてそれが2時間になり3時間になりました。

ある日、娘の友達が遊びに来てくれた日のこと。
久しぶりに友達と遊べるというのに、話しかけられてもゲーム画面にばかり気を取られて、ろくに会話もしない娘の姿を見て、やはりこれはマズイ!と危険を感じました。
学校に行ってない引け目から話せないのではなくて、それよりもゲーム画面を追い続けることに全部の集中力が行っていて、言語中枢の働きが緩慢になっている、みたいな感じを受けたのです。

子どもと親とは違う人間、子どもを信じて好きなことを思い切りさせなさい、という考え方に人気がありますが、このときやはりゲームにその話を結びつけるのは間違ってる、と思ったのです。どんどん成長する子どもの脳に、ゲームは刺激が強すぎるし負担が多すぎます。
なので、また娘と話し合い、もともとのゲーム1時間ルールに戻りました。
娘は少し不満そうではありましたが、図書館やプールなどできるだけ一緒に出かけたりして、なるべく暇な時間を無くすようにしていました。

そうこうしてるうちに、実家の母が怪我をしたので、春先に娘を連れてしばらくの間、佐渡ヶ島で過ごしたことがありました。
以前から長期休みのたびに娘と甥っ子をつれて佐渡で過ごさせるようにしていたのですが、そのたびいつも孫たちがテレビを独占したり、ゲームに没頭したりすることを祖父母が快くは思っていないだろうな…と感じていたので、今はたいへんなときだから祖父母の暮らしを優先するように、と話しました。
娘はSwitchを持っていかないことにしました。「持ってくとやめられないから」と言っていた気がします。

怪我をして満足に動けない祖母とゲームを封じられた孫娘は、一緒に仲良くばあばの大好きな「鑑定団」を見ていました。
録画もしてあるので半年分ぐらいの回を見て、
「これ本物かな?」「ばあばはこの番組何百回も見てるからばあばの目は確かだよ。これは絶対本物」「えー!ママー!これ300万だって!」と盛り上がっていたので、娘の審美眼も養われたやもしれません。
家事の合間に、生きもの大好きな娘と一緒に海に行ってウミウシの観察をしたり、かもめの大群が住む岩島を観察して、かもめの玉子を狙うとんびとの闘いを目撃したりと、リアル「ダーウィンがきた!」な時間も送ることができました。
このとき、「クレイジージャーニー」のアリハンターの回を繰り返し見て、「私もオーストラリアに行く!」と決意するきっかけもありました。

と、島での暮らしが思いがけず良いリハビリとなりまして、佐渡から帰ってきたころにはすっかりゲームと良い距離感が保てるようになりました。
「私、そんなにゲーム好きじゃなかったわー」
とケロッとした顔で話すこともあり、そんな様子を見るにつれても、ゲームはもっとやらねば!と依存性は強いし、お金もとられるし(課金)、宗教みたいだな…と感じたことをここにこっそり記します。

今では午後から学校に行くようになったので、放課後友達と遊ぶためにゲーム時間を温存している娘です。

仕事柄、ゲーム依存で入院するレベルのケースを見聞きしていましたが、子どもがゲーム依存になり親のカードで勝手に課金したり、制限しようとすると暴れたり、というケース(決して少なくないですよ)は、それ以前に家庭に何かしら事情がありました。その多くは、子どもについて真剣に向き合ってくれる大人の不在です。 
私も教師だった頃は、子どもと向き合う時間はほぼなく祖父に任せきりでしたから、このまま仕事に邁進していたら良くなかったと思います。(というか娘に「いつでもじいちゃんちで寂しかった」と言われています。)
娘の不登校をきっかけに試行錯誤しながらも向き合っている毎日です。

子どもは暇が苦手な生きものですし、なにか嫌なことが起きたら、嫌な気持ちから手っ取り早く逃れる手段としてはゲームしかない、とは思うんです。
しかし、ゲームをしているときの子どもの表情や態度を観察していると、たしかに1時間を超えるとより没頭し、声も耳に入らなくなり、すぐにやめられなくなるようだと感じます。(子どものゲームは脳への刺激の観点から、1時間以上は依存性が高まると言われています。)

フリースクールで働いていたとき、通っていた生徒たちはもれなくゲーム依存中かゲーム依存後、でした。
その中でも長い期間を引きこもり、その後大学に行くようになった生徒の口癖は「ゲームはコミュニケーションツールだから」。
友達同士や、新しくきた仲間との距離が縮まるツールであって、それ以上でもそれ以下でもない、という意味です。長ーーい時間をゲームに費やした彼が言うのだから間違いありません。(どれぐらい長いかというと、皆さんが想像した時間の4倍ぐらいでしょうか)
にんじんの皮剥きをするにも、そのツールであるピーラーは使ったら片付けますよね?
一つのツールを何時間も使い続けてやめられないというのは、やはり気持ちの悪いことだと思うんです。ピーラーを一心不乱に使い続けてる人がいたらなんとも鬼気迫る感じがするでしょう。

子どもにとって、楽しく使える時間を見極められるよう手助けするのはやっぱり親の役目だなと思うこの頃です。

というか、人生いちばん楽しいのは、自分が何をして誰に会いどこにいくか決めていくこと、自分の生き方そのものがリアルに面白いと思うんですよね!
それを伝えるためにも早くカフェをしよう。

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