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読書メモ The Joy of Living 6

Part One: The Ground - Chapter 6 - The Gift of Clarity

仏教の見方では、空(emptiness)と意識(awareness)は切り離すことはできない。この自発的な意識を仏教の用語では明瞭さ(clarity)という。食べなければ、行かなければ、ここに居なければといったはっきりした意識がないと我々は行動したり物事を感じることができない。

明瞭さは筋肉のように育てる物ではなく、そこにあることに気づく必要がある。明瞭さ、あるいは自然な意識は毎日の生活の一部であるため、認識しづらい。

仏教の修行では真っ直ぐに座って普通に呼吸し、心をリラックスさせ、心を休める(with your mind at rest)よう言われた。そうして様々な思考や感覚や感情に意識を向け、心と流れてくる思考に違いはあるか、思考とそれを考えている人に違いはあるかと自分に問いかけるように言われた。自分はまだ子供だから他の修行僧のように上手くできないという自分の考えは変えようのない現実ではなく、そのことを考えている心の動きであると一瞬、明瞭に意識できた。

ここでは心と思考には差がない。それらは皆、空の無限の可能性の一つに過ぎない。

瞑想の実践をするためには、あなたが瞑想に対して持っている期待を全て捨てることが肝心だ。あなたは既に自然な心の性質である平和で、開かれて、リラックスして明瞭な性質を全て持っている。何かを変える必要はない。心を観察しながら、心が既に持っている性質を認識できるようになれば良いだけだ。

心の明瞭さに気づくことができるようになるには、空を認識できることができるようになるのと同様に時間がかかる。心の明瞭さは、空と同様に無限だ。制限も始まりも終わりもない。さらに心を検証すると、自分の心と他人の心の境界線がはっきりしなくなってくる。こうなってくると自己と他、自己と外界といった境界は薄れてゆく。すると世界はそんなに恐ろしい場所ではないと認識できるようになる。

脳の働きでも最も古くからある脳幹の働きのためか、人は敵対的な関係を楽しみ、自分と他人を個別のものと認識するが、これはそのように見えているに過ぎず、本質的な現実ではない。自分が知覚した相対的現実が現実であるという考えは間違っている。

心は全ての経験の源であり、心の向きを変えることにより、私たちは全ての経験の質を変えることができる。あなたが周囲の人や特定の状況について持っていた恐怖をなくすことができたとしたら、何が起きるだろうか?何も変わらないとも言えるし、全てが変わるとも言える。

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