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花はなくとも

天気がいい日に芝生の上でドーナツを食べたいと、先月から言い続けていた。

南池袋公園。
ビルに囲まれたその公園は、そこだけすこんと空が抜けている。
白いビルと青い空のコントラストに感じる都会ならではの開放感に、整えられた芝生と広いカフェ。



平日でもサラリーマンや親子連れで賑わっていて、近所に引っ越してきた7年前、初めて訪れた場所だが育てられたいい場所だなあと感じたのをいまでも覚えている。
その公園の近くで売っている大好きなドーナツ。

好きな空間に食べ物。
さらにいい天気。
これらが合わされば最高な時間を過ごせるだろう。その時間がずっと欲しかった。

わたしは一般的な会社員より仕事における稼働時間は短い。
が、自営業特有で変則的かつ純粋な休日は少なく、なかなか叶えられずにいたら、季節は春になっていた。

お花見、したいなあ、と思った。

しかしお花見の幹事の大変さたるや。
場所選び、場所取り、料理の準備、参加者の整理、そして天気予報とのにらめっこ。雨が降ったら中止。

もっともっと気楽なやつがいい。

そうだ、次の休みにずっとやりたかった公園でドーナツを食べよう、お花見もできたらいいなあ、ワインとパンと。そんな最高な時間なら、ひとりでも楽しい。
季節が、わたしを後押しした。

よく顔を合わせる友だちに、

ひとりでお花見するの、平日の昼間に。
ワインとパンとドーナツで。
だれに声をかけるわけでもなく1人でね。
でもよかったら隣どうぞってね。

そんな話をしたら、それ最高じゃん、と言ってくれた。だいたいの時間だけ決めて、またね、と別れた。

平日の昼間にだれが来るわけでもないと思ったが、前日の夜に、Instagramのストーリーズでこんなことするの、いいでしょと呟いた。

当日、うきうきで目が覚めた。
わたしが運営するレンタルスペースの利用があったので手短に説明をして、
水筒に温かいコーヒーを作ったり、お気に入りのクロスを数枚見繕ったり。
そう、美味しいパンにはオリーブオイルと塩もね。

気持ちのいい天気のなか、開店間もないドーナツ屋に着くとたくさんのひとで賑わっていた。
目移りしたが欲張りはせず、いちばんお気に入りのドーナツと、高加水のカンパーニュをひとつずつ買った。
自分の分だけでいい、だってひとりのお花見だし。
コンビニではワインを見繕う。
350ccくらいが自分にはちょうどいいが、それより小さい瓶しかなかったので赤と白2本を買う。

公園について桜の木を見上げるとまだ蕾の膨らみも見えなかった。
しかし雲ひとつない鮮やかな空の青さと芝生の緑はそんなことを気にさせなかった。
2〜5人くらいのグループが点々と芝生に座っていて、思い思いに過ごしていた。

適当な場所に、クロスを敷き腰を下ろす。
この公園では芝生が傷むので空気を通さないビニールシートは禁止されている。

わたしの性格上、土で汚れたビニールシートを拭いて保管するより布のクロスをじゃぶじゃぶ洗って洗濯機に放り込むほうが向いているし、旅先で見つけたカラフルなクロスは気持ちを上げる。

さらにクロスを敷き、ワインやパンやドーナツを置く。あーもう視界が最高だ。

白ワインを開け、瓶のまま飲む。
瓶から飲むには顔を真上に向けなくてはいけない。必然的に喉も鳴る。その動作が潔い感じがして好きだ。

あるとき、モンゴル料理を囲む会があった。
見知った顔もいたが、一方的に知っていて会うのは初めてのひともいた。
野趣的なモンゴル料理店の装飾に合わせて、ビールを瓶ごと煽っていたら、意外ですね、と声をかけられた。
これがTPOに合わせた飲み方だと思っています、と返した。
呆れられるかなとも思っていたが、彼女は世界を食で旅することを生業としており、通ずるところがあったのか好意的に捉えてくれて、数日後わたしの店を訪ねてきてくれた。


そう、芝生の上でワインを瓶から直接飲むのはTPOに合わせているのだ。
ここにワイングラスなんて似合わない。

ドーナツを齧りながら芝生で過ごす人々や鳩を眺めて、ワインを1本空けるころ。
友だちがひとりやってきた。
先日またね、と別れた彼だ。

もうないじゃん、と転がった空瓶を見て彼は言った。
大丈夫、もう一本あるからと、新しく開け赤たワインを彼が持ってきたビールと乾杯した。
彼はチーズや鴨のオイル漬けを持ってきた。
わたしのカンパーニュを手で千切って分け合った。
カンパーニュにオイル漬けのオイルを垂らし持ってきたハーブソルトをかけて齧り、ワインを流し込む。

そう、こういうのでいいんだ。
一人分を持ち寄って、分け合って、食べる。
カンパーニュって分け合うって意味なんだってと言うと、「しあわせのパン」だねと。
そうだ、そもそも彼と知り合ったきっかけは「しあわせのパン」を題材にした映画祭だ。

知り合う、と、仲良くなるはまた違う。
仲良くなったきっかけはなんだっかなあ、と考えていたら、
あれ!アヤさん?と頭の上から声がした。

見上げると、コミュニティスペースの掃除で出会い、わたしのコーヒースタンドでの朝ごはんの日にも来てくれた女性がいた。
聞くと、芝生が開放されていることが嬉しくて横切らないでいられるか!と思って通ったらわたしを見つけたらしい。
コーヒーをカップに注いでどうぞ、とすすめると彼女は腰を下ろした。

仕事に戻るところなんだけどね、と笑っていた。アヤさんって本当にどこでもいるよねと。

場所を守りつつ、まち、時にはまちの外に出ることが、結果場所にひとが集うことに繋がり、外部からの依頼も来る。
まちに出ることは、わたしの仕事になっている。
そういう働き方をしているひとが多くてびっくりしているし、気づくことが多いと彼女は言った。
仕事に戻る彼女をいってらっしゃいと送り出したら、入れ替わるようにまた友だちが来た。

彼女は最近、宿のバイトを始めた。
その帰りに寄ってくれた。

来週から宿の業務の時間が延びるらしい。
大変そうだが楽しそうに話していた。
彼女は宿にあるシェアキッチンで作られた焼き菓子を持ってきて分けてくれた。
友だちの店のオランジェットも。
オランジェットは彼女の好物であることを知っている分、分けてくれたことが嬉しかった。

そしてまたひとりと、友だちがやってきた。
公園からちょうど見上げたところにあるビルで働くサラリーマン。


近くの洋菓子屋のチョコレートパイを分けてくれた。
みんな綺麗に食べているが、わたしはうまく食べられず、ひと口食べるごとに袋のなかにパイの破片を撒き散らしていた。
手首の下までチョコがつき、見かねた友だちがお手拭きをくれた。
いつの間にかシャツにもチョコがついていた。
よく服汚すんだよね、と言うと、友だちもカワダさんってたまに服汚れてるよねと同意した。
その言葉がなぜか愉快に感じた。
とりあえず今夜洗濯機に入れるまでは着ていようという魂胆がばれていたか。

サラリーマンはコーヒーを飲んだあと、なんかうちの社員が通りそうな気がするからもう行くね、と足早に去っていった。

すると、あれよあれよと芝生に座る輪が大きくなった。
顔ぶれは、この公園やまちをどう面白く使っていくかを考え、遊ぶ場所を作ってくれた大人たち。

よく遊ぶ友だちがわたしのことを大人とくくることがあり、なんじゃそりゃあなたも大人よと思うが、わたしも彼らを線引きして大人たちと思ってしまう。
これは尊敬の線引きだ。

どうやらこれから公園のカフェでミーティングらしい。
わたしたちがたむろしているのを知って通りがかってくれたとは思うが、ミーティングの日時と場所が被ったのはまったくの偶然。

マラソンの話や、殺陣の話。
わたしたちの遊びを知ってくれていて嬉しかった。

仕事中、仕事の休憩時間、仕事終わり。
それぞれが公園に立ち寄り、腰を下ろし芝生の
感触や湿り気、匂いを感じて他愛のない話をしてまたねと手を振る。
そんな日常がここにはある。

じゃあそろそろ、と大人たちはミーティングへ。
わたしたちも次の目的地がある。
わたしの運営するレンタルスペースで、共通の友だちがパンやクッキーを焼き、出店しているのだ。

それぞれ出発し、レンタルスペースに戻る。
見覚えのある自転車があり、コーヒースタンドにはついさっき見送ったサラリーマンの友だちがいた。
またね、はここではすぐに会えるおまじないなのかもしれない。

パンがひとつ残っていたので、コーヒーとともに買い、パンは分け合って食べた。
今日は「パンを分ける」がキーワード。

出店時間が終わり、この日は解散することになった。
次に会う予定を確認するともうすぐそこで、またすぐにだね、またね、と別れた。

別れて急激に眠くなり、ホットカーペットに横になった。
アウトプットの日々の連続でバランスが崩れていたのかもしれない。

起きたらおなかが空いたので、徒歩1分の焼肉屋で帰宅していた夫と夕ごはんを食べた。
肉を焼きながら働き方についての話をした。
生活もできているし貯金もできているからとりあえず今の働き方でいいんじゃない、と。
重要なのは幸福度だ。



帰宅して湯船に浸かり、1日が終わった。

自分の日常を小説のように書いてみた。
読者は数年後の自分。
日常なので、落ちがない。
にもかかわらず4千字近くになった。
未来のわたしは楽しめるだろうか。
固有名詞を最小限にしているのは、いま暮らしを重ねているだれかを、未来の自分に思い出して欲しいから。あまり期待はしていない。

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