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必ず冬に倒れる女(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その38)

人生2回目のコロナになり、5日目を迎えた。当然、今週いっぱい出勤停止となり、仕事を休んだ。休む名目が見つかった喜びと、休んだ分、仕事が溜まっていく不安で、複雑な心境を抱えたまま、私はウイルスに侵食された我が身を、ひたすら横たえることしかできなかった。

あんなに休みたいと懇願していたのに、出かけることも楽しいこともできないまま、私は高熱にぽーっとしながら、ポカリスエットで薬を流し込んでひたすら寝ていた。今回のコロナは、あまりにも突然来た。近くにコロナの人がいたわけではなく、人混みに行ったわけでもなく、ただ鼻を垂らして中耳炎になっている娘を耳鼻科に連れて行ったことくらいしか心当たりがない。少しでも心当たりがあるとすれば、YouTube動画で、「これを聴き流すだけで波動が上がる!恐ろしいほど金運がやってくる!」という映像を流してみたことだ。それは、ティンシャや鐘のような音がところどころ流れる怪しげな南国調の音楽であった。私は意外にも素直に、ただ聴き流しただけで満足し、臨時収入でもあればいいナー♪と思いながら深い眠りについた。それを聞いた翌朝、私は高熱が上がっていたのだ。その音楽の仕業だろうか?私には高波動=高熱なのだろうか?高熱が転機となり、私の収入がアップするのだろうか?真相はわからないが、私は高熱を上げていたのだ。

「ん?熱あるかも?」おでこを触れば、じんわり熱い。違和感を感じながらも、あまりに急なことで、にわかには状況が掴めない私は、普通通りに娘を園に送り、普通通りに出勤してしまった。そして、すぐに追い返されることになった。あまりにも突然なのと、私がちょくちょくインフルやら体調不良やらで休んでいることがあるからか、管理職には「お大事に」とすら言われず、ちょいと寂しい胸の内を抱えたまま、私はそそくさと病院に向かうこととなった。

私は、年間を通して、風邪やらインフルやらコロナやら、はたまた疲れからくる謎の病やらで、体調が悪くなる習性がある。統合失調症になると、免疫力が低下するのかはわからない。よくよく思い返すと、統合失調症以前から、私は低気圧などの外的要因にも弱く、小学校時代から年間を通して小出しに学校を休んでいた記憶がある。特に、冬に弱い。冬は必ずと言っていいほど、風邪かコロナかインフルで寝込んでいる。コロナが蔓延してからは、体調不良理由リストに新たにコロナが追加されたのだ。冬はそういったウイルスが流行するからであるのはもちろんのこと、私は「深窓の令嬢」ばりに身体がデリケートな作りなのだ。感化されやすいというか…反応しやすいというか…体調不良になる理由があれば、すぐにそれに身体が応じる作りとなっているのだ。HSPの一つの体質だろうか。

生活上、無理が祟っていることは否めない。仕事もして、子育てもして、というフルコンボな生活を送るにふさわしい心身ではないことは、最近切に痛感していることだ。それに加齢も加わり、老体に鞭を打ちながら何とか生活しているのだ。統合失調症を患った身体は、脳が疲れやすくなっている。脳が疲れると、身体も疲れを感じる。その逆もある。身体がダメージを被るほど疲れると、脳というか頭も、疲れていることがある。統合失調症を患ったことがない人よりも、脳も身体も疲れやすい。それでは、免疫力低下についてはどうだろうか。ググってみた。

「自己免疫疾患」とは細菌やウイルス、腫瘍などの自己と異なる異物を排除するための役割を持つ免疫系が、本来の働きをせずに自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで異常を来す疾患の総称です。
https://www.mmjp.or.jp › sickness42

https://www.mmjp.or.jp/nishisonogi-med/index.html

自己免疫疾患とは、膠原病などに代表される疾患のようで、風邪やコロナやインフルのことではないようだが、それにしても、風邪やコロナやインフルに該当する免疫力の低下も、自分自身の身体には感じている。
統合失調症のカラダは、本来であれば、無理の効かない、無理のできない、まさしく「深窓の令嬢」ばりに大事に扱われないと生きていけないような、大変デリケートなカラダなのだと経験上、感じている。しかし、私の経済上、深窓にうずもれてなどいられない。いっぱしの市民として、労働しなくてはならない。子どもを産んでしまった以上、育てなくてはならない。毎年のこと倒れながら、寝込みながら、私は無理をしなければ生きていけない。起き上がり小法師のように、倒れても倒れても、起き上がらなくてはならない。娘のお菓子のおまけについていた、ディズニーキャラクターの起き上がり小法師を指で二、三回倒したことを思い出しながら、私は自分の姿の滑稽さを、心からおっかしーと思った。起き上がり小法師は指で倒すと、力によっては、ピン!と起き上がったり、ぐわんぐわんと回りながら起き上がったりする。バカじゃん、と私は鼻で笑った。倒れても絶対起き上がるの、バカじゃん。私は起き上がり小法師に言いたかった。「ああ、もういいよ、いいよ、絶対起き上がらなくていいよ、倒れてていいよ。」と。意地でも起き上がらなくていいよ、と言いたかった。それは頑固な我が娘が、意地を張るのと似ていた。まだ小さく幼い、力のない娘が、声高に自己を主張し、「この紫の服じゃなきゃイヤっ!」とか「ガチャガチャした〜い!」とか「お風呂行かないっ!」とか言っているのと似たように感じていた。力のない、弱い者が、自分に力のないのをつゆ知らず、向かい風に立ち向かっているかのようだった。私は今一度、起き上がり小法師を倒してみたくなって、娘の小さなおもちゃでごちゃごちゃの魔窟箇所を何箇所か探ってみた。見つからなかった。捨ててしまったことを思い出した。娘もほったらかしていたし、私も何度も何度も立ち上がるその様をバカにしながら、なんの気なしに捨てたのだ。今、少しだけ後悔している自分を確認した。神様も、私という起き上がり小法師を、バカにしながら何度も指で倒して面白がっているのだろうか。冬は必ず、そして冬に限らず私は倒れている。へたり込んでいる。仕事を辞めた方がいいのでは、とも考える。こんな身体でできるはずがない、とも考える。だけど、神様は起き上がり小法師なのだから当然、当たり前に、起き上がるだろう、と信じているから倒すのだろうか。私はそんな強い起き上がり小法師ではない。しかし、コロナ5日目を迎え、待機期間が終了しようとしている現在は、なんとか食欲を取り戻し、和風炊き込みご飯とトンテキとわかめスープを作って家族で食べた。脳内では来週からの仕事の算段も始まった。ああ、やれやれ、また来週から、日々が始まる。バカじゃん。私はまた娘にねだられたら、起き上がり小法師付きのお菓子を買ってしまうのではないか、と、何度も何度も起き上がるあの様をまた見てみたいと、畏敬の念を覚えた。

ちいかわのは娘にねだられなくとも、私も欲しい


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